第二章‐2
湯船にお湯を張るのは時間が掛かる。
「シャワーでいいか?」
話を早く聞きたい篤志は、そう尋ねた。
「しゃわー? まぁ、とりあえず、汗と埃を流せればなんでもいいわ」
レーナは聞き返しながらも、こくりと頷く。ベッドから出た彼女を脱衣所に案内し、浴室の扉を開けて聞いた。
「使い方、わかるか?」
「わかんないわよ。教えて」
そう、唇を尖らせる彼女に、シャワーの使い方を教えてやる。
「これを捻ると、あそこからお湯が出て――」
「あぁ、シャワーね。わたしの星でも同じようなのがあるわ」
「なんだ。わかるんじゃないかよ……」
説明しかけると、簡単にそう言うので、篤志は少し肩を落とした。それじゃあ、と脱衣所を出る。レーナは脱衣所に置かれた洗濯機を覗き込んで、篤志の背に問い掛けた。
「これ、なんの機械?」
「洗濯機。服を洗う機械だ」
上手く自動翻訳出来ているかわからなかったので、そう説明を付け足す。
「じゃ、ついでに、服も洗っておいて。なにか、適当な着替えも用意しておいてね」
レーナがそんな要求をしてきた。ずうずうしい言い草だが、さばさばした性格の為か嫌味はない。
「……わかったよ」
軽く溜め息を吐いて彼が答えると、それじゃよろしくね、と言い置いて、レーナは脱衣所の扉を閉めた。が、またすぐに扉が開いて、彼女が悪戯っぽい笑みを浮かべた顔を見せる。
「覗いちゃダメよ?」
「覗かねぇよ! いいから、さっさと入れ!」
篤志が叫ぶように言葉を返すと、彼女はくすくすと笑いながら、再び扉を閉めた。
「……まったく」
呟いてクローゼットに向かい、新しいバスタオルを引っ張り出す。
(あと、着替えか……)
なにがいいだろう?
その瞬間、篤志の脳裏に、天啓のように二つの選択肢が表示された。
1.無難にジャージ
2.勿論、裸ワイシャツ
「……せっかくだから、俺は2番の選択肢を選ぶぜ」
思考時間、コンマ5秒。彼はそう宣言していた。学生服のときに着るワイシャツを一枚、ハンガーから抜き取る。
(拒否されたら、改めてジャージでも出してやればいいし。試してみて損はない!)
寝不足のせいなのか、テンションがおかしい。
そろそろ大丈夫だろう、と篤志は脱衣所の扉を開けた。
「着替えとバスタオル、ここに置くぞー」
シャワーの水音が響く浴室に向かって、声を掛ける。
「ルーニー、ルーネ・カニ・ウィー・ダ?」
浴室の中のレーナがなにか言ったが、全く意味がわからなかった。おそらく、彼女の母星語なのだろう。
(あぁ、そうか。シャワー浴びるのに魔装具とやらを外してるから、自動翻訳が働いてないのか)
ということは、彼の言葉も勿論、通じていないことになる。とりあえず、わかりやすいように、浴室の扉の前にバスタオルとワイシャツを置いた。扉のすりガラスの向こうで、肌色の影が動いているのがわかる。なんだか覗きをしているような気分になってしまい、篤志は慌てて眼を逸らした。
(……そうそう、洗濯洗濯っと)
洗濯機を覗き込む。レーナの異世界風の青い服が、無造作に突っ込まれていた。勿論、下着も一緒に。
(うわぁ!)
またも慌てて、素早く洗剤を適当な量放り込み、洗濯機の蓋を閉めた。スイッチを入れ、洗濯を始める。
(乾燥機能付きでよかった……。あんなもん、干せないぞ……)
いつの間にか、シャワーの音が止まっていた。
「エー、エ・シス、ノナ・ピヲン・シュツル・デ・ディ?」
またレーナがなにか言ったようだが、やはり意味はわからない。おそらく浴室から出たいのだろう、と判断して、篤志は三度慌てて脱衣所から出て扉を閉めた。
椅子に腰掛けて待つこと暫し、脱衣所からレーナが顔を出す。
「ねぇ、これ、どうやって止めるの? 止めてくれない?」
脱衣所から出てきたレーナはワイシャツに袖を通していたが、ボタンは一つも掛けられておらず、両手で前をかき合せるようにして押さえていた。
「俺が、か!?」
「だって、わかんないんだもの。やって」
驚き慌てる篤志だったが、レーナはまた唇を尖らせてそんなことを言ってくる。仕方なく、篤志は立ち上がって彼女に歩み寄ると、ワイシャツの第二ボタンを手に取った。ボタンを掛ける手が震えてしまう。予想を超えた事態だった。
(これ、なんてエロゲ? ――とか言ってる場合じゃねぇ! 刺激強過ぎだろ!)
なんとか、一つ、ボタンを掛け終える。
「……これでわかったろ? 後は自分でやってくれ」
そう言って椅子に戻ると、それを後ろに向けて座った。
「えー、全部やってよー」
「……無理」
レーナはぶつくさ言いながらも、ごそごそと自分でボタンを掛け始めたようだ。暫くして、彼女の声が掛かる。
「出来たわ」
その声に、篤志は振り返った。案の定というべきか、ボタンを掛け違えている。篤志はそれを指摘してやって、再び後ろを向いた。また暫くして、彼女の声が掛かる。
「出来たわ」
その声に、篤志は再び振り返った。今度は、ボタンもきちんと掛けられている。しかし、安堵したのも束の間、その服装には根本的な問題があるようだった。
身体をよく拭かずに着たのだろう。ワイシャツが濡れて肌にぺったりと貼り付いている。特に、ワイシャツを内側から押し上げている胸の辺りなどは、危険なほどに肌色が透けて見えていた。その丘陵の一番上の、ツンと尖った桜色まで見えてしまっている。さらに、彼女が足を進める度に、ワイシャツの裾がひらひらと揺れて、太腿がちらちらと見え隠れした。その上の陰りまで、なんとなく見えてしまっているような気がする。
(自分でやらせておいてなんだが、ダメだ、これは……、破壊力が高過ぎる!)
篤志は口元を押さえて、またも椅子ごと後ろを向いた。レーナは、ぐしゃぐしゃと不器用にバスタオルで青く長い髪を拭きながら、ポスンとベッドに座る。
「この星のシャワーでは、ピヲン出ないの?」
「……ピヲン?」
「温風よ。シャワーの後に、温風が出て髪や身体を乾かすの。さっきも聞いたんだけど、言葉が通じなかったみたいで、あなた、行っちゃうし。それで、いつまで待っても温風が出てこないから、このびしょ濡れの身体、どうしよう、って考えちゃったわ」
「この星のこの国の一般家庭では、そんな機能はないな」
どこかの金持ちの家には、それくらいの機能はあるかもしれない、と思い、そう答えた。それで身体を拭くのが下手なのか、と納得する。篤志は椅子から立ち上がって、脱衣所兼洗面所からドライヤーを持ってきてやった。
「髪を乾かす道具ならあるぞ」
「なにそれ? 銃?」
「いや、確かに形はそれっぽいけど。人の話を全然聞いてないな、おまえ」
使い方を教えてドライヤーを渡してやると、レーナは上機嫌で髪を乾かし始める。篤志は再び椅子に座って、さて、と頭のモードをシリアスに切り替えた。
「髪、乾かしながらでも、話は出来るだろ? この石について――」
「待って」
とドライヤーを止めて、彼の言葉を遮るレーナ。
「その前にもう一つ、お願いしたいことがあるの」
「……なんだ?」
問い返す篤志に、彼女はまたも、にっこり微笑む。
「お腹が空いたわ。なにか食べさせてくれない?」
脱力した。
「……おまえなぁ……」
「だって、昨日一日、なにも食べてないのよ? 魔力を消費すると、体力も消耗するし」
彼女は真顔で言った。はぁっと溜め息を吐いて、立ち上がる篤志。いろいろあって昨晩から立ち上げっぱなしだった為、自動的にスリープモードに入っていたパソコンの前に座り、デリバリーのウェブサイトを開く。
「……ピザでいいか?」
「ぴざ?」
一発で自動翻訳が出来なかったのだろう。レーナが聞き返してきた。説明するのも面倒だ。適当に選んで、宅配を注文する。
(あぁ、贅沢をしてしまった。食費に余裕なんてないのに……)
篤志は少しブルーになる。しかし、そういえば自分も昨夜からなにも食べていない。さらに言えば、服も昨日帰宅したときの学生服のままだった。着替えのついでに、自分もシャワーを浴びてこよう、と、レーナにその旨を告げる。
「覗かないわよ?」
「……覗かなくていい」
もう付き合いきれない。篤志は額に手を当てて嘆息し、さっさと脱衣所の扉を閉めた。
素早くシャワーを浴びて部屋着に着替え、脱衣所から出ると、髪を乾かし終えたレーナは、ベッドにうつ伏せになってくつろいでいた。まるで子供のように足をパタパタさせている。ワイシャツの裾からお尻が見えそうで、篤志は慌てて顔を背けた。ドライヤーもバスタオルも、床に放り出してある。どうやら、片付けが出来ない子らしい。もう何度目になるかわからない溜め息を吐いて、篤志はそれらを片付ける。
ピンポーンとドアチャイムが鳴った。宅配が到着したらしい。いいタイミングだった。もう少し早く来られていたら、裸ワイシャツの女の子に応対させるところだった、と篤志は胸を撫で下ろす。宅配ピザを受け取って代金を支払い、部屋に戻ると、レーナはベッドの上にあぐらをかいて待ち構えていた。裸ワイシャツでそんな格好をされると、目のやり場に困る。篤志は眼を逸らしつつ、ベッドの上にピザの箱を置いて蓋を開けた。チーズの匂いが漂う。
「あぁ、ピザね」
自動翻訳に該当する料理が見付かったようだ。レーナが、そう言ってから尋ねる。
「ホジョとタスマは?」
「なに?」
「ナイフとフォークよ。切ったり刺したりする食器」
レーナが繰り返すと、今度は知っている単語に翻訳された。篤志は教えてやる。
「それは、手掴みで食べるんだよ」
「ふーん。文明レベルの低い星は、原始的ねー」
そんな感想を漏らしながら、レーナがさっそく一切れ手に取って頬張った。
「ん。なかなか美味しいわね、このピザ」
「……それはよかった」
「飲み物は?」
もう、いちいち突っ込むのも面倒になった篤志は、その要求におとなしく、はいはい、と返事をしてキッチンの冷蔵庫に向かい、二つのグラスにペットボトルから緑茶を注いで戻る。既に二切れ目のピザを食べ始めようとしているレーナに、グラスを手渡した。彼女は一口それを飲むと、眉をしかめる。
「苦いわ、これ」
「そういう味なんだよ。文句言うな」
レーナは、ずいっとグラスを篤志のほうに突き出した。
「ガル入れて」
「なんだ、ガルって?」
篤志が聞き返すと、レーナが説明する。
「砂糖よ。甘い調味料」
あぁ、と納得しかけたが、別の意味で引っ掛かった。
「いや、緑茶に砂糖はないだろ」
「自分の星の常識を押し付けちゃいけないわ」
もっともらしいことを言う。こんなことで言い争いをするのもばかばかしい。篤志は彼女のグラスを受け取ると、キッチンに戻って砂糖を入れてやる。
「ほら」
三切れ目のピザに手を伸ばす彼女に、グラスを返した。
「だいぶ飲みやすくなったわ」
レーナは一口飲んで、満足そうに言う。
「そうですか」
なんだか、彼女の執事にでもなった気分だ。篤志はようやく腰を下ろして、自分もピザを食べ始める。それから、二人とも無言でピザを頬張り、平らげた。ちなみに、レーナのほうが多く食べている。よほど空腹だったらしい。
ピザの空箱を片付けると、篤志は、今度こそ、と切り出した。
「さて、それじゃあ話を――」
「待って。その前にもう一つ――」
三度、彼の言葉を遮るレーナ。もう溜め息も出ない。
「今度はなんだ?」
彼女は青い瞳で真っ直ぐ篤志の目を見ると、言った。
「まだ、あなたの名前を聞いてなかったわ」
「……あぁ、そうだっけか?」
そういえば、名乗った記憶がない。
「ん。教えてくれる?」
彼女は少し上目遣いになって聞いてきた。別に、拒否するようなことではない。
「倉嶋篤志だ。……いや、アツシ=クラシマって言ったほうがいいのか?」
「どっちでもいいわ。自動翻訳でちゃんと伝わるから。ええと、アッツ……ア、ツシュ?……アッシュ」
「……灰になってしまった」
カント寺院に行かねば。
「灰? ……あぁ、灰?」
レーナは少しの間、小首を傾げていたが、自動翻訳でようやく意味が伝わったのだろう。ポンと手を打った。それから、急に慌てたように両手を顔の前で振る。
「ごめんなさい。あなたの頭を揶揄するつもりで言ったんじゃないの」
「頭?」
今度は、篤志が首を傾げる番だった。言っている意味がわからない。その様子を見てなにかに気付いたように、レーナが尋ねてきた。
「ねぇ、あなたの髪の色って黒?」
彼は髪を染めてもいないし、脱色もしていない。
「見ればわかるだろ? この星のこの国の人間は、だいたい黒髪だ」
彼女は複雑そうな色を目に浮かべて言った。
「じゃあ、鏡を見てくるといいわ」
彼女の言葉に、首を捻りながらも従う。篤志は立ち上がって洗面所へ行き、鏡を覗いた。鏡に映った自分の顔は、ひどくやつれて見える。
(いや、顔じゃなくて――)
「なんだ、これ!?」
髪だ。昨日までは一本も見当たらなかったはずの白髪が、異常に増えていた。髪全体のおよそ一割程度が白髪化している。原因といえば昨晩のことしか思い付かない。
(痛みや恐怖で白髪になる、ってホントだったんだなぁ)
などと、感心している場合ではない。篤志はもう一度鏡を見て、自分の白髪交じりの黒髪を再確認して嘆息した。確かに、これでは灰をかぶったようだ。
「……シンデレラかよ」
「しんでれら?」
彼の呟きを聞きとがめたレーナが聞いてきた。洗面所から出て、部屋に戻りながら篤志は説明する。
「この星の童話だよ。『灰かぶり』って意味だ。もっとも、童話のシンデレラは女の子だけどな」
「ふーん。じゃあ、あなたは『灰かぶり』のアッシュね」
レーナは口元に手を当ててくすくすと笑いながら、そう言った。




