第二章‐1
いつの間にか眠っていたらしい。
倉嶋篤志は、携帯電話の着信音で目を覚ました。ベッドに寄り掛かって、床に足を投げ出して座り込んだまま眠っていたようだ。ぼんやりした視界で周りを見回すと、そこは一ヶ月半ほど暮らして馴染み始めている自分のアパートの部屋だった。ズボンのポケットに手を突っ込んで、着信音を鳴らしている携帯電話を取り出す。画面に表示されていたのは見覚えのない番号だったが、念の為に出てみることにした。
「もしもし?」
電話は昨日の夕方、彼が救急車を呼んで運んでもらった少女が搬送されたという救急病院からだった。電話番号を教えた覚えはないが、一一九番通報のログから探したのだろう。電話の内容は、昨日搬送された救急患者が夜の間に失踪したのだが、なにか知らないか?というものだった。
「いや、ただの通りすがりなもので、心当たりはないですね。……はい。……いえ、こちらこそ、お役に立てなくて済みません」
電話を切る。
ベッドを振り返ると、そこには青い髪のコスプレ美少女が眠っていた。
(あーあ。シラを切り通しちゃったよ……)
彼は軽く溜め息を吐く。
昨晩、突然、窓から入ってきて一方的にわけのわからないことを告げ、意識を失ってしまった彼女を、篤志は最初、もう一度病院に運ぼうか、とも考えた。しかし、彼女は気になることを言っていたのだ。
(セレストラル星系連邦? ……どこだよ、それは)
聞いたこともない。
(それに、『ヴィシュトダ・グラーニャ』とか言ったか……? それは、おそらく――)
この紅い石のことだろう。少なくとも、この石のことは詳しく聞かねばならない。篤志は、右掌に埋まった紅い石を改めて見つめた。
そんなわけで、倒れた彼女の靴と帽子を脱がせてベッドに寝かせ、熱を出しているようだったので額に冷却シートを貼ってやり、一晩中看護するつもりでベッドの脇に座っていたのだ。……結局、眠ってしまったようだったが。しかし、彼は彼で、とんでもない激痛を経験した直後だったのだから、無理もない。
(ありのままに起こったことを言うぜ? フラグをへし折ったと思ったら、フラグのほうから飛び込んできやがったんだ。なにを言ってるかわからねぇと思うが、俺にもわけがわからねぇ……)
そんなことを考えていると、
「う……、ん……」
電話の着信音と話し声で、目が覚めたのだろう。青い髪の少女が、小さく呻いて眼を開く。初めて見る彼女の瞳は、髪と同色の深い青色をしていた。
「……おはよう」
篤志は、とりあえず挨拶してみる。
「おはよ」
彼女も普通に挨拶を返し、ベッドの上に身を起こして、額に貼り付いていた冷却シートを剥がした。それを、なにかわかりかねる、といった不思議そうな顔で見つめている。篤志は立ち上がってデスクの前に行き、眼鏡を手に取ってそれを掛けると、デスクの前の椅子をベッドの脇に引いてきてそこに座った。
「起きたばっかりのとこ悪いけど、確認させてくれ。あんたは、セレストラル星系連邦公安局一級監査官、レーナ=アンヴィル、で間違いないか?」
記憶力には自信がある。
「……ん。そうよ」
彼女――レーナは子供のような仕草で、こくりと頷いた。
「じゃあ、レーナ。あんた……、異星人、ってことでいいのか?」
「あなたたちから見ると、そういうことになるのかしらね」
彼女は再び頷く。篤志は、何秒か沈黙した。予期していたが、やはり驚くものは驚く。
「……この国の言葉、上手いな」
少し気が動転していたのか、どうでもいいことを聞いてしまった。レーナはあっけらかんとしてそれに答える。
「あら、わたしは、わたしの母星語で喋ってるわよ? それを自動翻訳アプリケーションが、あなたの理解出来る言語に翻訳して耳に届けてるの」
今どき、スマホでも音声認識で翻訳が出来る。恒星間航行が可能なほどの星の技術なら、このくらいたいしたことではないのだろう。
レーナは、うーん、と伸びをする。昨晩の、どこか張り詰めたような雰囲気が全くなく、なんというか緩い――。
「痛たたたた……」
伸びをした彼女が、今度は身を縮めて脇腹を押さえる。セパレートの衣装の為、剥き出しになっている脇腹が青黒く鬱血していた。
「やっぱり怪我してんじゃないか! 病院に戻ったほうがいいんじゃないか!?」
篤志は慌てて言う。しかし、彼女は顔をしかめながらも怪訝そうに聞き返してきた。
「びょういん? ……あぁ、病院ね。あそこ、病院だったのね。でも、どうしてわたしが病院から来たって知ってるの?」
「それは、俺が昨日、通報してあんたを病院に運んでもらったからだ。――って、そんなことはどうでもいい。病院に戻ったほうがいいんじゃないか?」
篤志はもう一度言うが、彼女は首を横に振る。
「肋骨が何本か逝っちゃってるみたいだけど、秘匿任務中だから、この星の公共機関に痕跡を残すわけにはいかないのよね」
「よくわからんが、そんなこと言ってる場合かよ。ちゃんと治療しないと――」
「この程度なら、自力で治せるでしょ」
レーナは彼の言葉を遮って、平然とそんなことを言った。
「……なんか、すごい異星の医療技術とかがあるのか?」
尋ねる篤志に、彼女は小首を傾げる。骨折しているわりには、危機感がない仕草だった。
「んー? あなたたちから見て、すごいのかどうなのか、よくわからないけど」
そう言って、右手を脇腹の患部にかざす。
今気付いたが、レーナは右手にだけ、やはり青系統の色の手袋を着けていた。手袋といっても、手首から中指の付け根までしか覆っていない、実用とは程遠いものだったが。装身具の類なのだろう。その手の甲の部分の装飾の縫い取りの中央に、親指の爪ほどの大きさの青い石が嵌まっている。
「『治癒』」
レーナがそう言うと同時に、かざした右手と患部の間に、淡く白い光を放つ円形の模様が浮かび上がった。円の内部には三角形を上下逆に二つ組み合わせた、いわゆる六芒星が描かれており、その周囲にはなにか細かな文字がぐるりと刻まれている。ファンタジーもののマンガなどで見掛ける、魔法陣のように見えた。数十秒の後、白い魔法陣が消える。かざしていた右手をどけると、脇腹の鬱血も消えていた。
「……え? あんた、今、なにしたんだ!?」
「治療魔法だけど?」
驚いて尋ねる篤志に、レーナは、さも当然、という口調で答える。
「まほう……?」
『異星人』より、とんでもない言葉が飛び出した。ミステリーだと思って読んでいたらファンタジーだった、みたいな――。
(いや、SFだと思ってたらファンタジーだった、か)
どうでもいいことを考える篤志に、彼女が尋ねてきた。
「この星程度の文明レベルじゃ、開発されてないの? 魔法」
「魔法って……、あの、魔法陣書いたり、呪文唱えたりする、あれか?」
篤志は、よく読んでいる、魔法が出てくるようなファンタジーもののマンガやラノベを思い出して、そう尋ね返す。しかし今、彼女はたった一言で魔法とやらを使ってみせた。ロールプレイングゲームの魔法並みにお手軽だ。
「なんだ、あるんじゃない、魔法。でも、この星では未だに、そういう面倒な手続き、自分でやってるのね。わたしの星では、そういうのはほとんど、このシュタルケンがやってくれるんだけど」
そう言って、レーナは右手の手袋の甲の青い石を示す。なにか勘違いした様子の彼女の言葉に、篤志は大急ぎで首を振った。
「いや、ないよ、ないない。魔法なんて、お話の中にしか、ない!」
「概念だけで、まだ開発されてないの? やっぱり、文明レベルが低いのね、この星」
レーナは呆れ半分、納得半分のような顔でそんなことを言う。誤解は解けたようだが、なんだか見下された気がする。その気持ちはひとまず頭の隅に追いやって、篤志は、彼女の右手の手袋の甲に嵌まった青い石を指して聞いてみた。
「で、そのシュタルケンとかいう石があると、魔法が使えるのか?」
「しゅたるけん?」
自分で言った言葉なのに、レーナは首を傾げる。どうも、発音かなにかが違ったらしい。すぐに、ポンと手を打つ。
「――あぁ、魔装機ね」
先ほどは『シュタルケン』と言っていたが、今度は『魔装機』と言った。しかし、聞いたこともない単語だ。おそらく、適当な訳語が存在しないので、自動翻訳アプリが造語を作ったのだろう。
「別に、魔装機が魔法を使うわけじゃないわよ? あくまでも、魔力を消費して魔法を使うのは、本人。魔装機は魔法の使用を補佐してくれるだけよ。まぁ、魔法の起動や制御に特化したケータヤルンみたいなものね」
レーナがそう説明する。が、またわからない単語が出てきた。篤志はさらに聞き返す。
「ケータヤルン?」
「コンピューターそのものじゃないわよ? あくまでも、コンピューターみたいなもの、ね」
彼が聞き返した、その意図を取り違えたのだろう。レーナは、そう念を押すように言う。それにしても、今度は『コンピューター』と聞こえた。どうやら、名詞の自動翻訳には、近い単語を探すのに若干のタイムラグがあるようだ。
ともあれ、コンピューター、と聞いて、少し興味が湧いた。この石が、コンピューター? チップとかメモリーとか、特に記憶媒体なんかはどうなっているのだろう?と、その青い石を思わず、まじまじと見つめてしまう。その間にも、レーナは説明を続けていた。
「こういう手袋や指輪や腕輪、ペンダントやブローチ、といった装身具型のものは、魔装具って呼ばれてるわ。軍なんかじゃ、魔装剣や魔装銃がよく使われてるわね。そういう武器型は、その形状に見合った攻撃魔法に、さらに特化してるそうよ」
「へぇー。――って、いやまぁ、その辺りの説明はいいや。ともかく、今の魔法で怪我は治ったんだな?」
レーナの長広舌を遮り、自分の余計な興味も振り切って、篤志は今、最も気にすべきことを聞く。しかし、彼女は首を振って答えた。
「今のは、痛みを抑えて、自然治癒能力を高める魔法よ。ちょっとした出血程度なら治せるけど、さすがに、骨折はまだ治ってないわ。わたしくらいの魔力じゃ、この程度が限界。……わたし、あんまり魔法使いの適性ないのよ」
(やっぱり、魔力とか必要なのか……)
残念。篤志はそんなことを思う。なんにせよ、ロールプレイングゲームの魔法のように、一発でHP全快、とはいかないらしい。
「もっと大量の魔力が必要な高位の治療魔法なら、切れた手足をくっつけたりすることも出来るけど」
……もとい、ゲームの魔法のように簡単だった。
「すごいな、魔法。なんでもありかよ」
篤志は感心したように呟くが、レーナは意外に真剣な顔付きで答える。
「なんでもあり、ってわけじゃないわ。魔法は『奇跡』じゃない、ただの『技術』よ。出来ることと、出来ないことがあるわ。例えば、この星程度の文明レベルの医療技術じゃ、手の施しようのない瀕死の重傷も、魔法でなら治療することが出来るかもしれないわね。でも、死んでしまった人は、魔法でもどうすることも出来ないの」
「復活の呪文はないわけか……」
「ん、そうね。魔法は単なる科学技術だもの」
また話が脱線している。未知の技術についての話が面白くて、ついつい聞いてしまうのだ。篤志は思考を切り替えて、聞くべきことを聞くことにする。
「それはそれとして。じゃあ、あんたの怪我が治るまでには、暫く掛かるわけだな? 任務中だとか言ってたけど、そんな状態じゃ動けないだろ? その間、どうするんだ?」
どこかに、この星で活動する為の拠点みたいなものがあるのかもしれない。それなら、そこまで送るぐらいのことはしてやってもいい。
だが、レーナは青い目を細めて、先ほどまでの真剣そうな表情とはうって変わった、悪戯っぽい笑みを浮かべた。
「お世話になります」
と頭を下げる。鮮やかな青色のロングヘアが、さらっと肩から滑り落ちた。
「いやいや、ちょっと待て! 公共機関は利用出来ないって言ってたくせに、無関係な一般市民の世話になろうって、おかしいだろ!」
慌てて抗議する篤志だったが、レーナはあっさりと言う。
「無関係じゃないでしょ?」
「え?」
「そ、の、み、ぎ、て」
と、彼女は一音ずつ区切って言うと、彼の右手を指差した。正確には、彼の右手に埋まった紅い石を。
「あなたは、もう巻き込まれちゃってるの。無関係じゃないわ」
「……あ!」
忘れていた。そもそも、この紅い石のことを聞きたくて彼女を匿ったのだ。
「そうだ、この石! これは、いったいなんなんだ!? どうすれば取れる!?」
食って掛からんばかりの篤志に、レーナは真面目な表情を作って顔を向ける。
「それを話すのは長くなるわ。その前に一つ、お願いしてもいいかしら?」
「……なんだ?」
「ミトーラ、貸してくれない?」
「ミトーラ?」
「お風呂よ、お風呂。道に転がってたから砂埃まみれなのよ」
そう言ってレーナは、にっこりと微笑んだ。