1.最強の赤子、降臨
魔女界の退屈な日々に飽き飽きしていた私は、ふと思いついた。
「そうだ、人間体験とやらに行ってみよう。半年(人間界の五十年)ほど、ちょうどいい休暇になるじゃない」
人間界の百年は、私たち魔女にとってはたったの一年。人間の暦で千五百歳の私にとって、人間の一生など一瞬のまたたきに過ぎない。
人間に化ける間は「基本魔法禁止」というルールを自分に課し、私は手始めに、これ以上ないほど無力で愛らしい「人間の赤ちゃん」の姿になって地上へと舞い降りた。
……そう、ここまでは完璧な計画だったのだ。
「おお……! 天が、亡き妻の代わりに俺に天使を授けてくださったッ!!」
私を拾い上げたのは、大粒の涙を流すむさくるしい男だった。
名をガストン・ド・マルテル伯爵。超大国フランキアの王宮にその名を轟かせる、絵に描いたような脳筋騎士である。二年前に最愛の妻を亡くし、寂しさのあまり筋肉をいじめまくっていた男の前に、金髪碧眼の美幼女(中身は最強の魔女)が降臨してしまった。これが私の人間体験の、計算違いの始まりだった。
ガストンは私を「オデット」と名付け、深い愛を注いでくれた。……独自の、かなり偏った方向性の溺愛を。
「オデット! 今日からハイハイの負荷を上げるために、足首に砂袋を巻くぞ!」
「ばぶあーう! (※訳:ふざけるな!)」
「よし、いい返事だ! 将来は我がマルテル家を継ぐ有能な騎士を婿に取り、二人で俺の背中を越えるんだ!」
ガストンは私を最高の騎士に育てるべく、物心つく前から容赦のない英才教育を叩き込んできた。
途中で泣き叫んで逃げ出してもおかしくないレベルの地獄メニュー。
しかし、私は魔女だ。
攻撃魔法を放つ際の絶大な反動に耐えるため、魔女の肉体は、凄腕の騎士すら一蹴するレベルの体幹と筋力を秘めている。魔法を封印していても、身体能力のベースが違った。
結果として、私はガストンの期待を遥かに超える、とんでもない神童へと仕上がってしまった。座学も剣技も、常にトップの成績。
ただ、そんな最強の私にも一つだけ弱点があった。
「さあオデット、おやつに真っ赤に実ったリンゴ剥いてやったぞ!」
「……っ!?」
差し出された果実を見た瞬間、私の全身に鳥肌が立った。
大昔、どこぞの白雪のようなお姫様に差し入れようとした毒リンゴを、間違って自分でかじって酷い目に遭ったトラウマが蘇る。
「いらない!! 私は一生リンゴなんて食べない!!」
「な、なぜだオデット!? ビタミンは騎士の筋肉に不可欠だぞ!?」
「うるさい脳筋親父! 嫌なものは嫌なの!!」
私はリンゴをガストンの口に力任せに押し込み、木剣を掴んで訓練場へと逃げ出した。




