第七章:新たなる陽光の下で〜第29話:一ノ瀬陽の決断〜
第29話です。
国家という強大なシステムを背負った桜庭の「非情な宣告」。
ハルだけでなく、仲間たち、そして何より愛する弟・陽向までもが
国家の「再編」という名の排除対象とされる……。
八月の終わり。
夜明け前の空気は湿り気を帯びたまま停滞し、嵐の前の静寂を無理やり引き延ばしているようだった。
廃工場の地下、黄金色の光に包まれたサーバールーム。
兄さんがホログラムとなって姿を消した後も俺の左眼――『バイナリ・サン』には彼が遺した熱いログの感触が刺青のように刻み込まれていた。
俺は額を伝う汗を拭うことさえ忘れ、目の前に立ち塞がる「論理」を見据えていた。
「……ふむ。一ノ瀬零のリアルタイム・介入。
演算外の事象でしたがそれもここまでです」
桜庭瞬の声は感情を完全に剥ぎ取られた精密機械のように平坦だった。
彼の背後、巨大なモニターには俺たち『デシメーターズ』全員の顔写真と、これまでの活動記録が赤字で塗り潰されている。
そしてその上には国家の判子を模した冷酷な文字列が踊っていた。
【認定:国家秩序を乱すサイバーテロリスト】
「一ノ瀬陽。君がその眼――『バイナリ・サン』を使い続けるなら
この国を混乱に陥れるテロリストとして即刻認定します。
そうなれば君だけでなくデシメーターズの皆さん、そして……君の家で待っている幼い弟、陽向君も『再編対象』となる」
心臓を氷の刃で突き刺されたような感覚。
呼吸が一瞬で止まる。
(……陽向まで……?)
「あの子は何も関係ないだろうっ!」
佐藤さんの叫びはコンクリートの壁に虚しく跳ね返った。
桜庭は眼鏡の奥の瞳に一切の揺らぎを見せず淡々とタブレットを操作し続ける。
「関係はあります。
一ノ瀬陽、君という『非効率なエラー』を放置することは社会システム全体への脅威だ。
……システムを健全に保つためにはその根源に関わるリソースをすべて摘出しなければならない。
それが私の所属する『国家最適化室』の正義です」
国家の正義。
それはたった一人の子供の未来さえも効率という天秤にかけて、平然と切り捨てるものなのか。
俺は震える手で左眼を覆った。
兄さんは言った。
「お前と陽向に国家の牙が向かないよう俺は死人になるしかなかった」と。
兄さんが二年間も俺たちの前から姿を消したのはこの冷酷な論理から、俺たちを守るためだったんだ。
俺にこの眼を託したのは俺が一人で立ち上がり、いつかこの巨大なシステムを乗り越える「真心」を証明してくれると信じたからだ。
(……でも俺が戦えばみんなを、陽向を、もっと危険な目に遭わせるのか?)
脳裏に陽向の無邪気な笑顔が浮かぶ。
「お兄ちゃん、おかえり」と笑って迎えてくれるあの小さな灯火。
それを俺のわがままな正義感で消してしまってもいいのか。
「……ハル。迷うな」
低く重厚な声。
律さんが俺の隣に一歩踏み出した。
彼は『アイギス・コード』を構え、俺ではなく真っ直ぐに桜庭を見据えている。
「テロリスト認定だと?笑わせるな。
法の番人を自称するなら貴様がやっているのは法の下の平等ではなくただの『選別』だ。
……ハル。君が選んだ道なら私は地獄まで付き合うと決めている。
陽向君のことは源さんと佐藤さんが命に代えても守り抜く」
「そうですよ、ハル先輩!
私たちは奪われた真心を取り戻すために集まったんです。
ここで止まったらあの八十六人のみんながまた『数字』に戻っちゃいます!」
真希の叫び。
背後で源さんが静かに頷き、佐藤さんが豪快に拳を合わせる。
俺の胸の奥で消えかかっていた熱が再び爆発した。
そうだ、俺は一人じゃない。
みんな最初から分かっていたんだ。
奪われる側でいることの惨めさを。
誠実さが踏みにじられることの痛みを。
だからこそ俺たちはここに立っている。
「……桜庭。あんたの言う通りかもしれない。
俺の真心はあんたの論理から見ればただのノイズだ」
俺はゆっくりと手を下ろした。
左眼――『バイナリ・サン』がかつてないほどの黄金の光を放ち始める。
それは兄さんが託した『Re:Birthday』の鼓動。
人の想いを痛みを知らない演算機になど絶対に解析させないための「生の記録」。
「でもな。……そのノイズがあるからこそ人間は生きていけるんだ。
……あんたが管理しようとしている世界に涙を流す場所はあるのか?
誰かを想って損をしてでも笑える瞬間はあるのか?」
俺は桜庭に向かって一歩強く踏み込んだ。
「俺は、俺たちのやり方でこの腐ったシステムのログを書き換える。
……テロリストだろうがノイズだろうが構わない。
……俺は奪われた真心を取り戻し誰もが胸を張って『誠実』でいられる世界を、自分の手で記録し続ける!」
発動。
『――プロトコル:真心。全システム、リミッター強制解除』
黄金の光が地下空間を昼間のような輝きで満たした。
バイナリ・サンが捉えるのはもう過去のデータだけではない。
目の前の桜庭が構築しようとしている「冷徹な未来予測」の回路。
それを一千万通りの「可能性(if)」という名のノイズで飽和させ粉砕していく。
「馬鹿な……。演算能力が計測不能……!?個人の感情がこれほどのエネルギーを……!」
桜庭が初めてその冷徹な仮面を崩し愕然として目を見開いた。
「桜庭!これが俺の、俺たちの決断だ!」
黄金の閃光が桜庭のタブレットを粉砕し、彼を包んでいた白銀のシールドを完全に消失させた。
衝撃波でビル全体が揺れ電子の嵐が吹き荒れる。
そして静寂。
モニターの「テロリスト認定」の赤い文字が消え、そこにはただ真っ白なキャンバスが広がっていた。
「……負け、ましたね。
私の論理は君という『例外』を組み込むことができなかった」
膝を突き壊れた眼鏡を直すこともせず桜庭が力なく呟いた。
「……あんたのその優秀な頭脳。
これからは世界を壊すためじゃなく誰もが救われるシステムを作るために使ってください」
俺は彼に背を向け仲間たちの元へと歩み寄った。
窓の外。
暗い夜空の向こう側に一筋の光が見え始めていた。
長い、長い夜が終わろうとしている。
俺たちの戦いはここで大きな転換点を迎えた。
阿久津を倒し、桜庭という国家の執行者さえも退けた。
だが俺のバイナリ・サンはまだ「終わりのログ」を記録していない。
兄さんが最後に残したあの言葉。
「このログの本当の結末をお前たちが決めるんだ」
俺は空を見上げ、確かな決意と共に呟いた。
「……帰ろう。……俺たちの場所に」
第29話を最後までお読みいただき、ありがとうございました。
ハルが自分自身の「答え」を出し、桜庭という最強のライバルとの決着を迎えました。
兄・零が姿を隠してまでハルに託したかったもの。
それはどんな巨大なシステムにも屈しない「一人の人間の意志」だったのでしょう。
次回の更新は、第30話:「断罪の記録者は今日も笑う」。
事件の終息。日常への帰還。
最後にハルが視た「本当の兄の姿」とデシメーターズが歩み出す新しい未来。
【皆さまへ】
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30話とエピローグで完結予定です。最後までよろしくお願いいたします。




