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バーナードが、書類を片手にいつものにこやかな笑みを浮かべて部屋に入ってきたので、ヴァッシュは嫌な予感がした。
基本的に笑顔が多い男だが、付き合いが長い分、ちょっとした表情の変化が分かってしまう。
そして経験上、バーナードがこういう顔をしている時は、バーナードにとっていいことがあった時だ。
ただ、それがヴァッシュにとってもいいことかどうかというと、少々微妙な線だ。
「お聞きになりましたか?」
「……何をだ?」
これは要警戒の笑顔だ。だが、バーナードはヴァッシュの警戒感など一切無視して笑顔で話を続けた。
「とある男爵家の話なのですが、何でも父と息子でもめているそうですよ」
「ほう?」
バーナードの話は、ヴァッシュにとってはもう直接関係ないかもしれないが、その動向は知っておいた方がいい相手の話だった。
「何でも、父親の方が婚姻による搾取を諦めきれなかったらしく、勝手にいもしない娘の婚約を整えようとしたそうですよ」
「ほう?」
二度目の「ほう」の時に、目が据わったのは仕方がない。
「もっとも、話を持ちかけられた相手の方は、全然取り合わなかったそうです。なにせあの家に娘がいないことは、どの家も知っているので。陛下直々の宣言でしたから、知らなかったとは言えませんよねぇ」
「そうだな」
「はい。で、息子の方が激怒したそうです。完全に家を潰す気か!と言って父親に反抗したそうですよ」
「息子の方がまだ理解していたようだな」
「可愛い息子さんの初めての反抗期に、お父さんはさぞかしショックを受けたんでしょうねぇ」
あはははは、とバーナードは楽しそうに笑った。
「跡形もなく潰すいい機会が訪れそうだったんですが」
「潰したら、ラフィーネが多少は悲しむ」
「そこはヴァッシュ様が何とかするとして、こちらとしては、騎士団長の奥方が妙なことに悩まされないようにしたかったんですが」
「止めておけ。陛下が決めた罰だ。それ以上は必要ない」
「かしこまりました。それでですが、どうやら息子の家督相続が早まりそうです。元老院からそういう話を持ちかけられたそうで、息子にしても、これ以上、父がやらかして家が本当に存続の危機に陥る前に、父親を強制隠居させた方がいいと考えたようです」
「それでいいだろう。少なくとも、息子がこちらに干渉してくることはないだろうしな」
「では、こちらはそれで問題ないと伝えておきますね」
どうやら、どこかしらかから、ヴァッシュに確認の要請があったようだ。
それがどうだろうが、ヴァッシュの答えは変わらない。
陛下の裁可が下っている以上、それ以上は望まない。
ラフィーネにも何かしらの手段で確認がいったかもしれないが、このことは二人で話し合った。
陛下から罰を与えられている以上、こちらはもう何も望まない。
ラフィーネからの唯一の要望は、もうこちらに接触してこないこと、ただそれだけだ。
「懲りない父君ですよねー」
「状況が見えていないから、何度も同じ過ちを犯すのだろう。だが、それはもう俺たちには関係のないことだ。唯一の家族である息子が何とかするだろう」
「そのように伝えておきます」
どうやらヴァッシュの答えに満足したらしいバーナードが、にこやかにそう言ったのだった。
青年の前には二通の手紙があった。
一通は、先日再会した知人からのものだ。
つい先日までデリック・リンゼイル伯爵令息を名乗っていた彼とは、単なる同級生という間柄だ。
何度か言葉を交わしたことはあったが、けっして友人ではない。
同じ年齢の見知っているだけの人間。
本来なら、こうして私的な手紙を交わすような間柄ではないので、手紙が送られてきた時は嫌な予感しかせず、嫌々開けた。
驚いたことに、内容は先日の謝罪だった。
現実を見ろと叱咤され、皇帝陛下が妹を新たなリンゼイル伯爵に任じたことで、ようやく現実が理解出来た。久しぶりに会った時に、何とか陛下に取りなしてほしいとお願いしたことを今は恥じている。全く現実を見ておらず、感情のままに振る舞ってしまった。
そんな感じのことが書かれていて、自分がやらかした全てのことに対して謝罪していた。
さすがにここまで手紙で書いて寄越したのだ。デリックが皇帝陛下の命令を破るとも思えない。
が、問題はもう一通の方だった。
息子の同級生の中に使えそうな人材がいるかどうか調べたのか、息子の友人として家を救ってほしい、約束の証としてデリックの妹との婚約でどうだろうか、そんな馬鹿馬鹿しい内容の手紙をデリックの父親が送ってきた。
それこそ面識なんてほとんどないのに、よく平然と送ってこれたものだ。
……デリックの妹といえば、新しくリンゼイル伯爵になったラフィーネ・リンゼイル。
彼女は、騎士団長にして公爵でもあるヴァッシュ・トリアテール公爵の婚約者になったばかりのはず。
「はは、本当に、自分に都合がいい夢でも見ているのかな」
誰があのトリアテール公爵に喧嘩を売るようなマネをすると思うのか。
まだデリックの方が現実が見えている。
「さて、この手紙をどうしたものか……」
届かなかったことにして燃やしてしまおうかとも思ったが、無視をしていても、勝手に騒いでいつの間にか巻き込まれそうな予感しかしない。
「……仕方ない。明日にでも、公爵閣下に渡しに行くか……」
このような手紙が送られてきましたが、無関係です。
そう言って、押しつけてくるしかない。
ほぼ面識はないが、幸いこっちも皇宮勤めだ。無下にはされないだろう。
「……まるで、不幸の手紙だな……」
指先で手紙をつまんでひらひらさせながら、青年はため息を吐いたのだった。




