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もしも異世界に憧れる人達が増えたら  作者: テリオス
四章

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夏の始まり その三十六

 世間一般でいう夏休みが始まる前の日の夜。 


 とある地方都市の何処にでもありそうな白く塗装された五階建てマンションの一室には夫婦が住んでいる。

 見た目は共に四十代前半といった所で、夫の名前は早見達夫はやみ たつお。 黒髪の短髪で体型は全体的に細く身長も低めで、あまり頼もしそうに見えない。 服は緑色のポロシャツに黄土色の長ズボンと年相応の格好をしている。


 妻の名前は早見優子はやみ ゆうこ。 長く伸びた黒い後ろ髪をゴムで結んでいるが、せっかくの髪に潤いは失われており乾燥してしまっている。 そのせいでまとめた部分より後ろにある髪がすっかり広がっていた。 原因は不明だが顔も身体もすっかり痩せ細っていて、アイロンをかけていないシワの目立つ白のシャツと黒のジャージが大きく見える。


 マンションの間取りは三LDKと夫婦だけで使うには十分過ぎる程の広さだ──しかし二人はこの日の夜、リビングにも自分達の寝室にも行かず、今は誰も使っていない部屋にいた。


「明日からお前の大好きだった夏休みが始まるよ」


 立ったまま達夫が小さな声で優しく何かに向かって話しかけている。 


「こういう日は決まって凄くはしゃいでたよね。 小学生の時なんかお隣さんに怒られた事もあったっけ」


 優子もまた夫の隣に立ち、微笑みながら声を出す。 だがその笑顔は無理矢理にでも作っているように見え、出した声も何処か辛そうだ。


 その部屋の中にあるのはシングルサイズのベッドや少女漫画の入った本棚。 本棚の上には可愛らしいマスコットのぬいぐるみで埋め尽くされている。

 そして隅には勉強机があるのだが、勉強道具や教科書の類は一切無い。 代わりに置かれているのは──、


 遺影だった。


 小さめの黒の額縁の中にはポニーテールの髪型をした活発そうな女の子の写真が入っていて、黒の写真スタンドを使って立てている。


「知ってるかもしれないが、さっきお前の友達三人が家に来てからここで手を合わせてくれたぞ。 それと校長先生が終業式で一生懸命語ってくれたみたいだ」


「貴方は昔から友達を大切にしてたから、きっとお友達も同じ気持ちなのよね。 だからお母さん、貴方のお友達が来てくれた時はすごく嬉しかった」


 先程から夫婦二人が話しかけていたのはこの遺影に写っている娘に対してであった。

 その娘というのは津太郎の通っている神越高校の三年生で、名前は早見亜希はやみ あき。 運動場に現れた一輝達の動画を上げた事により生徒や教師に多大な迷惑を掛けてしまった責任に耐え切れず自殺をしてしまった女子生徒である。  


「あ、すぐ傍で見てるんだからこんな事言わなくても分かってるか、あはは……」

 

 まるで部屋の中に亜希がいるような言い方をしているのは、そう思っていないと精神が持たないのだろうか。


「でもちょっと前まで色々とみっともない姿を見せてごめんね、不安にさせちゃったよね。 これからはちゃんとしっかりするから」


 亜希が亡くなってから暫くの間、優子は情緒不安定となってしまったせいで感情の抑制、制御が出来なくなってしまっていた時期があった。

 そのせいで達夫や物に当たり散らすようになり、時には限度を超えてしまい隣近所の人に通報されて警察沙汰になってしまった事が何度もある。


 問題を起こした結果、マンションの住人から遠回しにここから出て行ってもらえないかどうか言われたり、管理人からも「他の人達から苦情が届いています。 娘さんとの大事な思い出が詰まっているというお二人の気持ちも分かりますが、これ以上騒ぎを起こされたら立ち退きを要求しないといけなくなります」という警告を受けていた。


 この問題を起こしたせいで周りからの視線は痛い。 しかし管理人のご厚意により何とか今もこの部屋に住む事が出来ている。


「また今度、長期休暇に入ったら三人で何処か行こう──」


 達夫が再び話し始めた途端、突然インターホンの音が家中に響き渡る。


「ん? 誰だこんな時間に? もしかして大家さんか?」


 警告についての話を聞いた時も大体この時間帯だった事を思い出した達夫はまた何か用があって来たのかと思い、待たせたら悪いと考えて家の中にあるインターホンから対応せず、亜希の部屋を出てリビングから玄関へ向かう。

 黒茶色の金属製のドアの鍵を解錠かいじょうし、「はーい」と言いながら開けると目の前には半袖のワイシャツに黒のスラックスを着て、黒の革靴を履いた成人男性が二人いた。


 どちらも達夫より身長が高く、黒髪までは一緒なのだが一人は眼鏡を掛けて髪型はオールバックと知的そうに見え、無駄な脂肪の無いスリムな体型。 もう一人の髪型はショートボブで笑顔が似合いそうな童顔。 体型は少しだけぽっちゃりしていて暑いのか白のタオルを首に掛けている。


「あの~、夜分遅くに申し訳ございません」


 知的そうな男性が自然と笑顔になると、見た目に似合う女性を虜にしそうな声で挨拶をしてきた。 もう一人の男性はその後ろで頭を下げている。


「は、はぁ……」


 しかし達夫の方はどういう対応すればいいか分からず、呆然とした表情で息を漏らすように返事をするしかなかった。

 ただパニック状態になっているという訳ではなく、達夫は返事をしながら二人を観察していた。 最初は何かを売りつけにきたセールスマンかと思ったが、夕日が沈みかけているのを見て今は営業時間外だとすぐに気付く。 何より二人揃って手には何も持っておらず、床にも商品らしき物は置いていない。 なので恐らくセールスマンではないだろうと判断した。


(もしかしてマスコミか……!?)


 ふと達夫はその考えが頭をよぎる。


 一輝達が運動場に現れた日から数日に渡って神越高校はマスコミや近隣住民、その他諸々の騒動によって大混乱となっていた──が、騒動による混乱が起こっていたのは学校だけでなかった。

 亜希が自殺をした次の日から早見夫婦の住んでいるマンションにも話を聞こうとマスコミ達が出入り口の所で待ち構えていたり、時には玄関の前にいた時もあったという。


 愛する娘がこの世からいなくなってしまっただけでも夫婦にとって『辛い』という言葉では片付けられず、地獄の苦しみを味わっていたというのに、仕事と称して無理矢理にでも話を聞き出そうとしてきたマスコミには散々な目に遭って悪い印象しか残っていなかった。


 頭の中でマスコミに囲まれた時の光景を思い出した達夫は、警戒し始めたのかドアを支えていた右手をドアノブの方へと移動させる。 まだマスコミと決めつけるのは早いが、少しでも亜希に関して余計な事を聞いてきたら問答無用でドアを閉めてやろうと心の中で決めていた。


「早見さん──ですよね? 少しお話宜しいでしょうか?」


 知的そうな男性は相変わらず落ち着いた雰囲気で話しかけてくる。 名前を教えていないのに知っているのは、やはり騒動によって悪い意味で有名になったからなのだろうか。


「僕──じゃなかった、私達は決して怪しい者ではありませんのでっ!」


 雰囲気的に後輩らしき肥満体系の人が続いて明るい笑顔を振りまいたまま声を掛けてくる。 少し気の抜けた幼げのある声はまるで息子に話しかけられたみたいで、聞いてると思わず警戒心を解いてしまいそうだ。  


「……話とは一体なんでしょうか」


 一々回りくどい質問をしていたら無駄に話が長くなって近所の人達にも迷惑になると思った達夫は、もう色々と言わず単刀直入に聞いてみる。


「その言葉を聞けて安心しました。 早見さんのドアノブを持つ手に力が入っているように見えたので、てっきり閉められるのではと思っていましたから」


 まるで心を見透かされているような感覚に陥った達夫は目の前にいる男性に不気味さすら感じた。


「──早く要件を言ってくれませんかね」


 本当なら今すぐにでもドアを閉めようとも考えたが、ドアの間に割り込まれそうな気がして出来ず、とにかくさっさと済ませようと話題を戻す。


「これはすみません。 つい余計な事を言ってしまいました」


 そう言いながら頭を軽く下げた後、笑顔から真剣な表情へと変わった。 そして口を開ける。


「──早見さん、貴方は『異世界』というのをご存じでしょうか?」


 男性の口から出てきたのはまさかの『異世界』という言葉だった。   

 

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