夏の始まり その三十五
「でも自分からキャンプ場の名前を聞きに来るなんてどうしたのよ。 昼間に言った時はあんまり嬉しそうじゃないっていうかノリ気じゃなかったのに」
美咲からすれば急な心の変わりように一体何があったのか不思議なのだろう。 そういう意味ではこのような質問をされてもおかしくはない。
「あ、あれはちょっといきなり過ぎて頭が追い付いてなかっただけだって。 誰だってキャンプに行けるなんて嬉しいに決まってるさっ」
先程の宿題の時と違ってこれは本心だ。 ただ少しだけ表現が大袈裟なような気もするが。
「ふーん。 まぁ行く気満々の方が彩ちゃん達も喜ぶでしょうし、こっちとしても気が楽だけど──名前を知って何がしたいの?」
「えっ……!? えーっと……」
ただ一輝が七年前に行っていたキャンプ場かどうか知りたかっただけで、他に目的は無い津太郎は何を言えばいいか困っていた。
「事前に調べておいて何処に何があるか把握しておこうと考えているんだろう。 分かっているだけでも気持ちには余裕が生まれるからね。 備えあれば憂いなし、さ」
廊下から津太郎の自信なさげな声を聞いて察したのか巌男がリビングからフォローしてくれた。 非常に心細かった津太郎にとって巌男の声は非常に心強く、美咲も納得してそうな顔をしている。
「へぇ~、そうなの?」
「ま、まぁそんな感じかな、あっはははは……」
ここはもう巌男の言葉に乗っかってそのままの勢いで話を少しでも逸らすしかないと思い、津太郎は口を閉じるのを止めなかった。
「そ、それでさ、ついでに聞きたいんだけど、何でそのキャンプ場にしたかは教えてもらったりとかしてる?」
咄嗟に出た言葉は津太郎自身も分からないが、このキャンプ場を選んだ理由だった。
「どうしてかは聞いてないけど……単純に近いからじゃない?」
「近いって?」
「ここからキャンプ場までがって事よ。 そっちの方が行き帰りの負担も少なくて済むでしょ? まぁこれは何処へ出掛けるにしても一緒だろうけど、特にキャンプなんて絶対疲れ果ててクタクタになるし、私が決めるとしたら出来れば一番近い所にするわね」
今まで家族で遠出した経験から出る意見なのか、津太郎が思わず頷ける程の説得力はあった。
少し遠い場所へ出掛けるだけでも疲れるというのに、それに加えて朝から外で色々な作業を一日中ひたすら行うキャンプなんて、行く時はまだしも帰る時は疲労も頂点に達しているのは間違いない。 そう考えると美咲の言う通り、相当キャンプ慣れしていない限りは出来るだけ身近な場所を選ぶのが適切だろう。
「確かにそっちの方が──ん? 出来れば一番?」
津太郎の中で美咲が最後に言った事が妙に引っ掛かってしまい、眉間にシワを寄せながら真剣な表情で小さく呟いてしまう。
「えぇ、そうだけど……近場なら子供とだってまだ気軽に行けるじゃない。 遠い場所でキャンプだなんてとてもじゃないけどお父さんが提案しても却下するわ」
「私だって家族とキャンプへ行く時ぐらいは流石に苦労させるような所にはしないさ」
「本当に~? だったら──」
美咲がリビングを覗きながら巌男と会話をしている途中、津太郎は俯いて廊下の床を見ながら考え事をしていた。
(近い、気軽、キャンプ、移動、行き帰り、苦労させない、負担、疲れ、子供──)
巌男と美咲の言葉から気になった事を心の中で囁き、頭の中でキーワードのようにして並べる。
(……そうかっ! もしっ……! 一輝のお母さんがもし、俺の母さんと同じように考えていたとしたら──)
津太郎はこのキーワードとお互いの母親の存在を組み合わせた瞬間、歯車が上手い具合に噛み合ってようやく部屋で思い付きそうだった『何か』について閃く事が出来た。
「じゃ、じゃあもう用は済んだし部屋に戻るよ!」
苦労して導き出した自分なりの答えが出た瞬間から明らかに興奮しているのが嫌でも分かる。 この答えを忘れない内に書き留めておきたいと思い、多少強引にでもその場から離れようと階段のある後ろへ振り返る。
「別に上がるのは構わないけど寝る前にはちゃんと歯磨きしなさいよー。 せっかくの夏休みを虫歯で台無しにしたくなかったらね」
「分かってるって! それじゃ、おやすみ!」
津太郎は階段を登りながら美咲に向かって言う。 階段を軽快に踏む音はまるで落ち着きの無い小学生のようだ。
「今日はやたら落ち着きがないわねぇ……やっぱり夏休みが始まったのが原因なのかしら。 お父さんはどう思う?」
美咲が二階へ上がっている津太郎を見ながら巌男に話しかける。
「──私としては、あの慌ただしさはとても大事な事を急いで実行しないといけないように思えたかな。 ただ、流石にどういう事かまでは分からないが津太郎にとって今すぐ行うべきだと判断したのだろう」
巌男は津太郎の顔を見ていないのに廊下から聞こえる声や階段の上り下りする音だけで、正解ともいえるこの結論にまで辿り着く。
「そういえば津太郎ったら珍しく今日から夏休みの宿題してるみたいなんだけど、まさか詰まってた問題の答えでも分かったっていうこと? 話してる最中なのに?」
「もしかすると私達の会話の中に答えでも紛れ込んでいたのかもしれないな」
「えーっ、まさかそれは無いでしょー」
まさか何気なく言った言葉が息子に大きなヒントを与えたとは知る由もない美咲は巌男と話しながらリビングへ戻っていく。
一方、急いで自分の部屋に向かった津太郎は椅子に座ってメモを取っていた。
「忘れない内に書いとかないと……」
『大南川キャンプ場』と少し雑にメモしたその下に書いたのは『一輝がこちらの世界で住んでいた所は大南川キャンプ場からそこまで遠くなく、もしかするとこの地域の何処か』という文字だった。
これが津太郎のようやく思い付いた事なのだがまだ確信ともいえる証拠は一切無い為、あくまでも津太郎の頭の中で出した答えに過ぎない。 だから間違っていれば単なる自己満足に終わるだろう──ただ、前向きに考えれば数ある可能性の中の一つを見つけ出したともいえる。
どうしてこの答えに辿り着いたのか、きっかけはキャンプ場のある所を把握した時だった。
次に津太郎の住んでいる地域からそこまで遠くない場所だという事実が、一輝が大南川キャンプ場へ行っていたという事実と上手い具合に結び付き、ハッキリとまではいかないものの薄っすらと答えが見えていた。
そして答えが出ないまま美咲と話している最中に『私なら一番近い場所にする』という言葉を聞いて、母親である翔子が小学生の一輝に気を遣って家から最も近い大南川キャンプ場を選んだ可能性が見えたという。
「でも──流石に俺の家の辺りでは……ないよな。 ここら辺で更地とか空き地とか見た事無いぞ」
少なくとも津太郎の家近辺、そして学校までの通学路に家が跡形も無く消え去り『売り地』と書かれた立て看板が刺さっている光景に一切心当たりは無かった。
「ていうか近所だったら普通に考えて同じ小学校だし一輝の事を昔から知ってるだろ……うん、やっぱこの一帯にいないのは間違いないな」
一輝がこの近くに住んでいるという予想は完全に的外れと分かった津太郎は、町の範囲をもう少しだけ拡大してみる事にする。
「この近辺じゃないとしたら、もしかして学校より向こうか?」
『学校より向こう』というのは神越高校から津太郎の家までの道と間反対の方向にある町であり、授業が終わると基本的に寄り道をせず真っ直ぐ家へ帰るせいで行く事はまずない。 最後に行ったのは風邪で具合の悪い小織を家にまで送った時である。
「んー……まぁ常識的に把握とか出来る訳ないよな」
七年前にはもう更地となっていた場所の特定を何も力の無い高校生がするなんて不可能と察した津太郎は流石に諦める。
高校より向こう側にある町に行って更地でも探してみようと少し考えてみたが、見つけた所でそれが一輝の家かどうかなんて分かる訳も無く、これは流石に時間の無駄と感じた。
「〜〜〜〜っ! とりあえず色々と分かったし、今日はもう休もう。 流石に疲れてきた」
津太郎はシャーペンを置いた後、思いっきり両手を上に伸ばしながら背伸びをする。 背中や腰の骨が鳴る事は無かったものの、身体中に血液が行き渡るような感覚がしたのは、今になってようやく全身の硬直状態が収まったからかもしれない。
メモと筆記用具を引き出しの中に片付けて部屋の電気を消した後、息を長く吐き出しながら倒れ込むようにベッドでうつ伏せになる。
「はぁ……」
真っ暗の中、津太郎は再び息を吐く。 だがこれは疲れから出たものではなく、一輝が昼間に泣いていた時の光景が目に浮かんだからだ。
「本当に会いたいんだろうな……でもそれは一輝だけじゃなくて、お母さんも同じ気持ちの筈なのに、何で家を──大事な息子が帰ってきた時の為の居場所を無くしたんだろう……」
頭の使い過ぎで疲労が限界に達していたのか、それから間もなく津太郎の意識は途切れ、深い眠りに就く。
そして午前〇時──静かに夏休みは始まりを迎え、そして終わりへと向かう。




