夏の始まり その三十四
津太郎が小学校の頃から今に至るまで通学路として使っている通り道にある電信柱。 その何処にでもある電信柱は家から約五分の場所にあるのだが、まさか七年間ずっと貼られてあったチラシが実は一輝の捜索願いに関する紙だとは思いもしなかった。
「絶対そうだ。 この紙を小学生の時に学校へ行く途中でいつも見てた記憶がある──ていうか嫌でも見えてたって感じだったな」
津太郎はスマートフォンでチラシを見ていると、当時の思い出が頭の中で蘇ってくる。
最初の方は学校へ行く時も帰る時も通り過ぎる度に見ていたが、流石に時間がしばらく経つと関心も薄れていき見向きもしなくなり、いつの間にか壁に貼られた紙切れ程度の認識になっていた。
「確かそのまま貼っただけで何もしてなかった気がする……その状態で何年間も放置してたらそりゃボロボロにもなるか」
ただ、チラシが今も貼っていたのなら忘れる事は無かっただろう。 しかしチラシは雨や風、日差しといった様々な自然現象と時間経過による経年劣化で徐々にボロボロになってしまっていた。 津太郎が高校生になった時にはもう写真の部分は破け、文字の部分は殆どが薄れてしまっていたり写真と同じように破けてしまっていて、既にチラシとして機能していなかったという。
「何で忘れてたんだろう……」
津太郎はスマートフォンをベッドに置いた後に小さく呟く。
チラシの内容について頭の中から抜け落ちていたのは、やはり先程も感じた『他人事』という点が大きいのかもしれない。
家族や関係者は見つける為に聞き込み、チラシ配りといった情報収集を全力で行うが、赤の他人からすれば殆どの人がそこまで関心を持たないのが現実だろう。
津太郎もまたその中の一人に過ぎなかっただけで、忘れてしまうのは珍しくも何ともない。
「一輝の事を知ったのはつい最近だと分かっていても何かへこむな……」
今は力になりたいとか思っておきながら昔は見向きもしなかった自分に危うく自己嫌悪になりそうだった。
「駄目だ駄目だ、今更ここであーだこーだ思っても意味ないだろ……! ウジウジ悩んでる暇があったら他に何か調べてみないと……!」
後悔した所で何も変わらないと感じた津太郎は次に一輝の行っていたキャンプ場は何処なのか検索してみた。 名前については先程のチラシに書いてあったのですぐ分かる。
「大南川キャンプ場か。 シンプルな名前だな──って、ここは……」
検索サイトの右側に書かれてある所在地を見ると、そこは津太郎の家から車で三十分から四十分程で着く地域にあった。
「家からかなり近いぞ……何となく遠い所かと思ってたから意外だ」
キャンプ場の位置は把握した──が、それと同時に急に何かが思い付きそうになる。
「あれ……? ちょっと待てよ──」
ただ、まだ頭の中でハッキリとした答えが出ている訳ではない。 津太郎はメモ用の紙とスマートフォンを持って勉強机に移動すると、椅子に座ってこれまでに得た情報を忘れないようメモしながら考える。
そしてネットニュースについてメモをする為、スマートフォンの履歴から一輝に関する記事を見ていると、下の方に『万が一に備えて、広範囲に渡って貼り紙を設置する』と書かれてある事に気付いた。
「キャンプ場から広範囲……だからあの電信柱にも貼られてあったのか──って違う違うっ……! 確かに納得はしたけど俺が閃きそうだったのはこの事じゃない……!」
津太郎が気を取り直してメモをしていると、急に部屋のドアが軽くコンコンとノックされる。
「うおっ!?」
集中していたせいかドアを叩く音自体は全く大きくないのに驚いてしまう。 とりあえずこのメモを見られるのはまずいと思って慌てて大きな引き出しの中に隠した。
「……? いきなり大声出してどうしたの?」
ドア越しに聞こえてきたのは美咲の声だった。 すぐ目の前にいたのだから当然だが先程の大声が聞こえており、こういう質問をされるのは普通だろう。
「しゅっ、宿題するのに集中してたからいきなりノックされてびっくりしただけだよ」
津太郎は学生カバンを空けて夏休みの宿題である数学の問題集をゆっくり取り出しながら返事をする。 偶然ではあるが、勉強机の椅子に座っている今の様子を最大限に利用したこの言い訳ならドアを開けられても平気だろう。
「へぇ~、もう夏休みの宿題に取り掛かるなんて珍しいわねぇ」
「あー……いっつもギリギリだから今年からは余裕を持たせたいと思ってさ。 それよりも何か用?」
「別に用っていう程の内容でもないわ。 たださっきスイカ切ったから食べないかどうか聞きに来ただけよ」
「え、この時間にスイカ切ったの? なんで?」
「なんでって、明日は生ゴミを出す日だから今の内に皮だけ切り取ったんじゃない。 それでどうするの?」
「う~ん、お腹空いてないから別にいいかな」
お腹が空いてないというより、今はやりたい事があるせいで食欲がそこまで無いという方が正しい。
「そう。 まぁ切ったのを皿に置いて冷蔵庫に入れておくから好きな時に食べたらいいわ」
「分かった、ありがとう」
そう聞いた津太郎は寝る前に一個か二個は食べようかなと思った。
「せっかく宿題をやる気になってるのに邪魔しちゃ悪いし、そろそろ下に降りるわね」
「えっ、う、うん……」
嬉しそうに話す美咲の声を聞いて信頼を裏切ってしまったような気持ちになり、嘘を付いた事に対して少しだけ罪悪感が湧いてしまう。
この後、ドアから離れて廊下を歩く美咲の足音が聞こえてくる。 何とかバレずに済んで安心した津太郎は改めてメモを取ろうとしたが、ある事に気付いてシャーペンが止まった。
(──あっ、そうだ。 せっかくだし今の内に聞いておくか)
実は先程の思い付きそうなのとは別に、もう一つ気になっていた事があった。 それは頭の中で明確に疑問としては浮かんでいるのだが、答えは聞いてみるまで分からない事だった。 その答えを知るには今が一番丁度いいと思った津太郎は部屋を出て一階へ向かう。
すると階段を降りている足音に気付いたのだろうか、一階の廊下で美咲は立ち止まっていた。 ちなみに服は綿素材の薄い生地で上は半袖、下は長袖の色は青い涼しげなパジャマを着ている。
「母さん、ちょっといいかな。 教えて欲しい事があるんだけど」
津太郎は一階へ降りながら美咲へ呼び掛ける。
「いきなりバタバタし始めたからどうしたのかと思ったわよ。 それでどうしたの?」
そう言う美咲に対し、津太郎は階段を降りた後に口を開けた。
「えっと──今度行くキャンプ場って……どこ?」
津太郎が美咲に聞いたのは来月に行く予定のキャンプ場についてだった。 どうしても今の時点で知りたかったのは、もしかすると──という可能性が頭の中から消えなかったからだ。
「あぁ、キャンプ場ね──ん? あれ? ちょっと出てこないわ……」
首を傾げて思い出そうと悩み始める。 津太郎にとってまるで数分前の自分を見ているようだった。
「もしかして……まだ場所は聞いてないとか……?」
「いや、それは無いわ。 名前は絶対に聞いたんだけど──お父さん! 彩ちゃん達と行くキャンプ場の名前ってなんだっけ!」
美咲はリビングにいる巌男に向かって聞こえるぐらいの声を出す。
「大南川キャンプ場だよ。 お母さんが昨日、私に教えてくれたじゃないか」
するとリビングの方から大声を出していないにも関わらず廊下にまで低音の心地よい声が響いてきた。
「お父さんと違って山とかキャンプ場とかよく分からないもの~。 彩ちゃんから聞いた時は覚えてたけど今日はちょっと色々あったし忘れちゃうわよ~」
巌男と美咲が仲良さそうに会話をしている最中、津太郎は表情こそ何事も無いような態度を取っているが心臓の鼓動は激しくなっていた。
(マジか……まさかとは思ってたけど本当に同じキャンプ場とは……)
もしかすると八月中旬に栄子達と行くキャンプ場が同じ所かもしれない──この予想が当たった津太郎の手は興奮か、恐怖か、それとも歓喜のどれかは分からないが、震えていた。




