夏の始まり その二十四
一輝が津太郎の部屋から出ると、二人は一階に降りる為に廊下を歩く。
「──ちょっと聞きたいんだけどさ、魔法でここに来た時ってどの辺りに転移してきたんだ?」
廊下で部屋にいる時と同じ音量で話すのは良くないと思った津太郎は、あまり家全体に響かせないよう小さな声で後ろにいる一輝に質問をする。
「津太郎君の家から少し離れた所にある公園だよ。 奥にある草むらとか木のおかげで姿を隠せるし、人も少ないから転移魔法を使うには丁度よくて」
一輝も津太郎の真似をするように小声で話す。
「あー、あの公園か……確かに公園みたいな誰でも自由に出入り出来る場所なら、周りの人に見られても怪しまれないと思うから丁度いいんじゃないか」
家から近いという事もあってか、言われてすぐ公園の光景が目に浮かぶ。
(隠れるにはピッタリだが、あそこは……)
しかし一輝の言っていた公園は約一ヵ月前に中年男性が首を吊って自殺した事件が起こった場所だった。
ただでさえ人がそこまで寄り付かなかった公園に立ち寄る人が一切いなくなり、公園や周りの草むらが手入れもされなくなったのはこの事件が原因だ。
だが一輝にとってせっかく良い場所が見つかったというのに、そこは自殺の事件現場なんて縁起の悪い事を言えるわけがなく、今は黙っておくことにする。
「でもどうして急にこんな事を?」
「あぁ、もし良かったら俺は時間たっぷりあるし公園まで見送りに行こうかなと思ってさ」
そして正直言うと、出来ればまた転移魔法を使う瞬間を見てみたいという気持ちもあった。
「見送りしてくれる気持ちは嬉しいけど……ちょっと止めておいた方がいいような」
「えっ? なんでだ?」
津太郎は階段の手前で足を止めて振り返る。
「津太郎君のお母さんはあくまでも僕が遊びに来たって事になってるわけだから、家の外もずっと付いてくるとなると凄い怪しまれるんじゃないかな」
「な、なるほど……」
一輝の冷静な分析に納得してしまったせいで、津太郎はこれ以上何も言葉が出てこなかった。
ここは素直に一輝の言う事に従い、玄関先までにしようと決めた津太郎は階段を降り始めたのだが、二人の足音が一階にまで響いたのかリビングにいた美咲が廊下に出てくる。
「あれ? どうしたの?」
「一輝がもう帰るから見送りをしに来たんだよ」
津太郎は降りながら言う。 どうやら美咲はリビングでホットのブラックコーヒーを飲んでいたらしく、廊下にまで良い香りがしている。
「えっ、もう帰っちゃうの? 早くない?」
午後二時という中途半端な時間に遊びに来た友達が帰るというのは、母親として違和感があるのかもしれない。
「あっ、えーっと……」
だがこういう所を追及されるとは予想してなかった津太郎はどうしようか困る。
「すみません、僕がもうすぐ──母と出掛ける約束をしていたのにすっかり忘れていまして」
階段を降りた一輝が津太郎のフォローをする。 しかし『母』という言葉を出す時は心なしか辛そうに感じた。
「あー、そうなのねぇ。 でもお母さんと一緒にお出掛けなんて本当に仲が良いんだ♪」
美咲は一輝にそう言いながら笑顔を振る舞う。 何も事情を知らない美咲は悪意を持って言った訳ではなく、単純に思った事をそのまま口に出したのだろう──だがその言葉を聞いた一輝の胸は苦しくなる。
「そう……ですね……僕もそうだったらと思います」
「──かっ、母さんっ! ここで話してたら時間無くなっちゃうからっ! もうそろそろ行かせないと!」
動揺して一輝が本音を漏らしてしまった事を気付かれそうになる前に津太郎が割り込む。 そしてそのまま一輝の後ろに回り込み、背中を押すようにして玄関先まで連れて行く。
「あ、そうだったわ──それじゃあ、またいつでも来てね♪」
美咲は一輝に軽く手を振る。
「はっ、はい! ありがとうございます! それとお邪魔しました!」
綺麗に揃えておいた黒の革靴を履くと一輝は全力で頭を下げた。
「せっかくだし外まで見送るよ」
津太郎はそう言うと帰って来てから脱ぎっ放しにしておいたスニーカーを履く。
「でもさっきここまでって──」
「いいからいいから」
お互い小声で話し合うと、津太郎は玄関のドアを開けた後に一輝を外に出るよう誘導する。
「う、うん──それでは失礼しますっ」
「は~い、またいらっしゃいね~」
先に外に出ていた津太郎は二人が挨拶を済ませたのを確認してドアを閉めた。
「──さっきは本気でごめん。 母さんが言った事……やっぱキツかったよな」
完全に締め切ったと同時に津太郎は手を合わせて謝る。 どうやら一緒に外へ出たのは美咲が言った事に対しての謝罪をしたかったからのようだ。
「あはは……ちょっと驚きはしたけど、本当にそれだけだから。 それより早く家の中に入らないと」
「いやそういうわけには……あ、でも一輝も時間無いからこれ以上話すのは駄目か──じゃあ最後に一つだけ言わせてくれ」
津太郎は人差し指を一輝の前で立てながら言う。
「もし何か話が聞けたら、また遠慮せず俺の家に来てくれよ。 夏休みも八月の中旬以外なら多分空いてると思うからさっ」
言い終わった後に津太郎が見せた笑顔は真夏の日差しに匹敵するぐらい眩しかった。
「あっ、ありがとう……実はまた来てもいいのかどうか少し不安だったから、津太郎君からその言葉が聞けて良かったよ」
一輝が本当に嬉しそうにしている表情を見て津太郎は言ってよかったと安心した。
「来てくれないとお母さん探しがどうなってるか分からないだろ──って、あれ? 今思ったけど一輝って日付とか分かるのか?」
「えーっと、多分だけど把握してると思う……」
完璧ではないからか、声からはあまり自信が無さそうに見える。
「多分か……だったらちょっと待っててくれ。 すぐ戻ってくる」
津太郎は急いで自分の部屋の中に入り、机の一番大きな引き出しを開ける。 するとそこには私物が色々入っているのだが、その中に一切使われていない小さな卓上カレンダーが置かれてあった。
「あったあった。 これで一輝の日付関係の問題も不安が解消されるな」
それから階段を降りている最中、体重の掛かった足音が五月蠅かったのか美咲がリビングから移動しないまま話しかけてくる。
「そんなに慌ててどうしたのよ?」
「一輝が忘れ物してたから取りに行ってただけっ!」
聞いてきた美咲に対して即興の言い訳を返すと再び外に出た。
「おまたせっ! このカレンダー、俺には必要ないから一輝が使ってくれ」
「えっ、これを僕に……?」
「そうそう、カレンダーがあれば日付を間違う事は無いだろ?──いやそれよりも大事な事を教えとかないと」
津太郎は七月の所までカレンダーをめくった後、今日が何日かというのを教えて次に八月の中旬にある長期休暇の日を教えてから手渡した。
「もうなんていうか……今日も凄い助けられてばっかりだね。 津太郎君には一生頭が上がりそうにないかな」
「いやいや、同い年なんだしそういう上下関係とか本当に止めてくれ……」
この瞬間、二人の間に沈黙が流れる。 そしてお互いが察する──ここが今日は別れる時なんだと。
「それじゃあ、そろそろ行くね」
「あぁ、また今度な」
いつまでも話してはいけないと別れの挨拶は短めに済ませ、津太郎は一輝の後ろ姿を公園へ繋がる数メートル先の曲がり角に入るまで玄関から眺めていた。
一輝もまた曲がり角の所で津太郎と目を合わせると、頭を下げてからその場から立ち去ると完全に姿は見えなくなった。
一輝がいなくなった後、津太郎は自分の家を見つめる。 生まれてから今日という日までずっと過ごしてきたこの家を。
「帰る家……それに家族──失ってみないと本当にどれだけ辛いかなんて分からないんだろうな……」
津太郎は小さな声で呟いてから家に向かって歩き始める。 ありがたみを噛み締めながら一歩ずつ、一歩ずつ、ゆっくりと。




