遭遇 その6
いたい……くるしい……うごけない……つらい……さみしい……おなかすいた……のどかわいた……なんで……だれも助けにきてくれないの……。
ナンデ? ナンデ? ナンデ? ナンデボクダケ、コンナメニ?
ぼく……このまま……死んじゃうのかなぁ……ひとりぼっち……死ぬ……しぬ……。
シヌナンテ、タニンゴト、オモッテタ。
でも……仕方ないよね……かってに一人で……うごいたのが……わるいんだから……。
ホントニ? シカタナイ? ナニモ、ワルイコト、シテナイノニ?
イタイ、イタイ、イタイ、モウヤダ……。
──やだ……やだやだやだやだこわいこわいこわいこわいこわい……。 うっ……うぅぅぅっ! だれか……たすけて…………オカア──。
「──はっ!? はぁ……」
東仙一輝は名も無き野山に魔法で設置したドアを開けたら存在する隠れ家──その中にある自分の部屋のベッドの上で目が覚め、夢だと分かった瞬間に一安心して深いため息をつく。
「また……向こうでは全く見なかったのに……」
一輝が目覚めたこのレンガ造りで二階建ての家には六人それぞれの部屋が二階に用意されており、一つの部屋の広さはマンションのワンルームぐらいはある。
部屋に備えられているのは高級ホテルにありそうなシングルサイズの白い洋風ベッドに服や装飾品が入っている大きめのクローゼット。
壁の隅には薬や調合素材、鉱石の入った銀色の鉄製コンテナが置かれており、広い壁には一輝の使う剣が三本だけ飾られてある。
窓も上下にスライドさせて開ける幅広い『上げ下げ窓』があるのはあるのだが、外に見えるのは異空間のただひたすら白いだけの景色だけであり、今となっては換気するぐらいしか意味はない。
何も無いと外からの白い光が原因で明るすぎて寝付けれない為、完全に光を遮断させる革製の黒い厚手のカーテンを窓際に付けている。
荒い呼吸を整えた一輝は自分のベッドから立ち上がると尋常じゃない汗を掻いているのに気付く。
着ている白の寝間着も汗が染みこんでいて気持ち悪く感じ、とりあえず少しでも気持ちを切り替えようと予備の寝間着に着替えはしたが体の動揺は収まらない。
「……少し水でも飲みに行こうかな」
一輝は早速行動に移り、別の部屋で寝ている人達を起こさないよう金属製のドアノブをゆっくり開ける。
そこから見える二階の広い廊下は品質の良さそうな木で作られた黒味の強い茶色の床。
六人の部屋に繋がる木製のドアがそれぞれ向かい合わせになっており、均等に列が三つ並んでいるその光景はちょっとしたホテルみたいだ。
まだ寝ている他の者を起こさないよう音を立てず慎重に歩き、手すりのある木造の階段を降りると生活に必要な設備が全て整っている一階へ到着する。
異空間の中にあるこの家では水を使うにも火を扱うにも全て魔力を使って補っており、一輝が作成した発電機のようなものに魔力を注ぐと台所や風呂には水やお湯が流れ、料理を作る時は『火を出して』のように声を掛けたら、かまどの下に置く薪代わりにコンロのような火が出てくる。
魔法に使う魔力は種類によっては消費が激しいが、生活する程度に注ぐぐらいであれば微々たるものでそこまで気にしなくても問題はない。
一輝が台所の金色に輝く蛇口の栓を捻ると透き通った水が出てくる。
銀製のコップやフォーク、皿といった食事に使う食器が沢山積み重なっていたり、並べられている大きめの食器棚から銀製のコップを取り出す。
水を入れて一気に飲み干すと、口から喉へ、喉から食道へ、食道からお腹の中に入っていく感じが伝わってくる。
「ふぅー……まだ夜なのかな?」
この真っ白な空間でも時間の流れは外の世界と共通しているが、現時点で昼なのか夜なのか分からず定期的に確認する必要がある。
気温は高くも低くもなく、数字で表すならニ十度前後を保っており住むにはちょうど良い具合だ。
水を飲んで落ち着いた一輝は外の世界が夜かどうか確かめに出入り口のドアを開けたら、目の前には革製のブーツが泥だらけになっている赤髪ポニーテールの女性が立っていた。
「ん? まだ外は夜だというのに何をしているのだ?」
女性はそう言いながら泥だらけのブーツを脱ぎ、入り口付近に自分で用意したであろう別のブーツへ履き替えていた。
「えっ!? えーっと……さっき起きたら何だか寝付けなくなっちゃって……だからまだ夜かどうか確認しようかなと……」
嘘をついているわけではないが悪夢を見た事は言えなかった。
「そ、それよりもクリムこそなんでこの時間に外へ?」
これ以上、色々聞かれるのも辛いと思った一輝は話を変えようとする。
「──今日は久しぶりに雨が降っていなかったから、たまには外で軽く鍛錬でもと思ってな」
クリムと呼ばれた女性は腕を組むと軽くため息をし、何故か少しだけ不服そうな顔をしていた。
「何か不機嫌そうな気がするんだけど……どうしたの?」
「不機嫌という訳ではない──しかし男性に下の名前で呼ばれるのが好かんというか慣れんというか……昔みたくクレンゾン師匠と呼んでくれた方が助かるのだが……」
「う~ん、でもクリムの方が可愛いよ?」
一輝は特に疑問に思わずサラッと言う──しかしクリムは言われた途端、顔を赤くして少しだけ頰を緩める。
「だからその……か、可愛いというのが騎士らしくなくて良くないと言っておるのだ……!」
一輝に対し怒っているような素振りを見せながら照れているクリム・クレンゾンという女性の赤く染まった長い髪は背中の中央辺りまで伸びており、触るもの躊躇してしまいそうになるほど美しいその長い髪を、特徴のない細い白の布で一つに束ねたポニーテールにしている。
つり上がった目に宿る紅い瞳からは燃えさかるような闘志を秘めているのとは裏腹に、無駄のない整った鼻や小さく可愛らしい口をしており、凛々しさと美しさを兼ね備えた容姿の女性である。
その大人びた雰囲気や見た目から年齢は二十を超えているのは間違いない。
身長は一輝より大きく百七六センチぐらいはあり、普段は赤色をベースにした鎧を着用しているのだが、後はもう眠るだけということもあり今は上下共に麻で作られた黒の無地服を着ていた。
「全く……父上もどうしてこのような名前にしたのか。 我としてはもっとこう──騎士らしい名前がよかったというのに……」
よほど今の名前に抵抗があるのか一輝に対して愚痴が止まらない。
「あはは……でもせっかく騎士団長が付けてくれた名前なんだからもっと大切にしないと可哀想だよ」
「──そう言われるとこちらは何も言い返せないではないか……ズルいぞ」
「な、なんかごめん」
クリムが少し拗ねたような顔をすると申し訳ない気持ちになった一輝は反射的に謝る。
その姿を見て何か心当たりがあるのか拗ねた表情から一変、明るい微笑みをこぼす。
「……フフッ、其方の謝る姿を見て、あの城のような建物でも大勢の民の前で盛大に頭を下げた時を思い出してしまったぞ」
「あれは頭より先に身体が勝手に動いちゃったっていうのかな、ははは……」
「そういう所もイッキらしいと思うがな。 見た目は大人しそうなのに誰よりも真っ先に行動を移すなんて昔からだったではないか」
一輝は誇らしげに語ってくれるクリムに対し何か照れ臭くなってしまい、特に痒くもないのに頰を指でなぞるように擦る。
「そ、そうなのかな。 自分では無我夢中なだけだからあまり自覚ないや」
「フッ、その自覚なき行動に救われた者が沢山いるということか……」
クリムは目を閉じ、一輝にも聞こえないような小声で話す。
「え?」
「いや、なんでもない」
それからクリムに入り口で長々と立ち話するのも嫌だろう、と言われ広間にある木製で長方形の見た目をした高級品の大きなテーブルまで歩くと、側にある六つの座り心地の良さそうな椅子にそれぞれ向かい合わせで座る。
「魔力はどうだ? もうほとんど回復したか?」
この世界では魔力の回復が遅い事を他の四人にも既に打ち明けていた一輝はクリムにそこを心配される。
だがここに隠れて十日は経った今、一輝の魔力は全回復といってもいいぐらい戻っていた。
「まぁなんとか……まさかここまで時間掛かるとは思わなかったけど」
「そうか、それはよかった」
一輝の返答に安心したクリムは周りに誰もいない事に気が緩んで笑顔で返すその姿は、騎士というよりは少し年の離れた姉のように見える。
「でもこっちに来ていきなりこんな障害に悩まされるなんて思わなかったなぁ……向こうで色々と手は打ってあるつもりだったのに、まさか魔力の流れという根本的な部分を突かれるのは本当に予想外だよ」
クリムの事を信用して心配事や不安を気兼ねなく軽い口調で話すその姿は、仲の良い姉に話しかけている弟のようだ。
「まぁ何事も上手くはいかないということだ。 しかもこちらとしては全てが未知の世界、何が起こるか分からなくて当然であろう」
それからクリムは立ち上がると一輝の側へ寄り、優しく頭を撫でる。
「其方はいつも誰よりも頑張っているではないか。 こういう時ぐらい大人しく休め」
「そう言われるのは嬉しいけど──流石にこの歳で頭を撫でられるのは恥ずかしいよ……僕もう今年で十七だし」
頭に置かれてある手を除けたりはしなかったものの、こういう対応に抵抗があるのは思春期だからだろうか。
「そうか──イッキもいつの間にか十七か……時が経つのはあっという間だな」
クリムは頭から手を離し、感慨深い様子で言う。
「──何か母親が息子に対して使うような言葉だけど、別にクリムも僕とそこまで歳は変わらないよね?」
「イッキよ、女性に対して歳について聞くのは失礼だぞ」
「ご、ごめん」
それからも二人の気さくな会話が続くも、鍛錬の疲れでクリムの方が先に眠気が来たらしく挨拶をした後に階段を登って部屋に向かっていく。
部屋のドアの閉める音が聞こえた後に、一輝はこっそりと家から抜け出して外の世界へと通じる扉から誰もいない野山に足を踏み入れる。
確かに外はまだ夜だった。
雨の降っていない夜空には月がうっすらと見えていて、周りからは虫の鳴き声も聞こえてくる。
足元が雨のせいで泥だらけになっていなければ、外で野宿なんかも出来たかもしれない。
(もうすぐ会いに行くからね、母さん。 そうすればきっとこの悪夢も見なくなる筈……)
一輝は頭上に見える夜空をただ一人で眺めながらそう願った。




