26 キス
ヤバい!
となりには花瀬さんがいる。このままではいっしょに当たってしまう。
彼女だけでも――守らないと!
とっさに身体を押し倒し、背中にかばう。
自分がそんなことできる人間だなんて、考えもしなかったけど。
自然とそう思って、身体が動いた。
ほどもなく、飛翔物がおれの背中を串刺しに……。
串刺しにならない?
ギュッと瞑っていた目を開ける。
目の前に花瀬さんの顔があって、目を閉じていた。キスするぐらい近い。
じゃなくて。
どうして当たらなかった?
「なにをバカな事やっている」
エルだ。
いつの間にかとなりに立っていた。
小柄なその姿が、いまほど大きく見えたことはない。
「エルサマ……オドキクダサイ。ワタシハ、ソノモノヲ、コロサネバ……」
「たわけ」
パチン、と指を鳴らした。
突如雷鳴が轟いて、稲妻が頭上からアデリナさんを打った。
あたりが閃光に包まれたあと、ブスブスと煙を上げながらアデリナさんは地面に落下し、気を失った。もとのメイド姿に戻っている。
あの悪魔に、指を鳴らしただけで勝った……。
ぜったいにエルは怒らせないようにしよう。固く誓う。
「エル……ありがとう」
「こちらの不始末だ、ナガシン。事情はわからんが、部下の暴走を許したわたしの監督不行き届きだ」
それから、抱き合ったままのおれたちを見て、ふっと笑う。
「だがひとつだけわかったよ。ナガシン……アオイのことが好きだったんだな」
「いや……そんなことは」
「言うな。身を挺して人を庇うなどできることではない。わたしが間違っていたんだ」
そう言って、左手を上げる。
陽を受けて輝いている赤い宝石の指輪。
それを人差し指から外そうとした。
「だめだ」
反射的に声を上げた。
その指輪を外したら正気に戻るかもしれないのに……おれは止めた。
そんなこと、エルにさせちゃいけない。
こんな哀しい表情で……。
それだけは間違っている。
そう、間違っているんだ……おれは。
異世界の常識なんか知らない、と決めつけて、人の気持ちをないがしろにしていなかったか?
真剣に向き合ったのだろうか?
そりゃ、たしかに理不尽な目にあったし、全部が全部おれに責任があるわけじゃないだろう。
だからって、エルにこんな顔をさせた。その責任逃れになるわけじゃない。
女の子を哀しませたら、全部男が悪いんだ。
たとえ理不尽でも、どんな理由にしたって。
日本では古来よりそう言う風に決まっている。
「こっちに来い」
立ち上がって、手を引く。
足の向くままに歩いて、たどり着いたのは自転車置き場の裏の木立だった。
告白スポットとして有名な場所だ。
周囲から死角になる上に、雰囲気もロマンティックだから。
気力が抜けたようなエルの手を取る。
されるがままだった。
「これを外すのは、おれの役目だ」
胸が痛む。
おかしな現象に支配されていたとしたって、いまのエルの気持ちは純粋なものだ。おれだって悪い気はしてない。
だけど、正さなければならないことだ。
それは間違いなく、元凶たるおれの役目。
「なあ……ナガシン。お願いがある」
「なんだ」
「最後にキスしてくれないか……」
上を向いて目を閉じた。脳天が揺れるくらいかわいい。
だめだ、流されるなよ。
「……わかった」
と言いつつ、おれはする気はなかった。
もし……そんなこと、エルとキスをするなんてことがあるなら、この指輪がないときにしたい。
そんな未来はこないだろうけど。
身をかがめて顔を寄せるふりをしながら――指輪を抜き取った。
よし。
これで正気に戻ってくれるか?
「んっ――!?」
寸止めしていた口元が奪われた。
エルが背伸びしたのだ。
離れようとする首筋に手が回されて、ホールドされた。
やわらかかった。
こんな心地よい感触の物体があるのかってくらい。
鼻息が頬に当たって、ちょっとくすぐったい。
なにが起きてるんだろう。
思考が止まって理解ができなかった。
ただただ、このやわらかさを感じ続けたい。
そんな本能が、一瞬で全身を支配した。
……どれだけの時間が経ったか。
すぐだったのか、一時間なのか。
気が付くとエルは身を離していて、いままでで一番顔を紅潮させていた。
指輪は、間違いなくおれの手にある。
外しても意味がない?
「エル……」
金髪の美少女は、顔を真っ赤にしながらも、大きく息を吸い込んだ。
「キャーーーーーーーーッ!!」
絶叫する。
な、なんだ。
なんで叫ぶの?
悲鳴を聞いて、ざわざわと人が集まり始めた。
エルはにやりと笑うと、また叫んだ。
「ナガシンに、キスされたあーーーーーーーっ!!」
「えぇー……」
確信犯だろ、絶対。
その後、再び悪鬼と化したアデリナさんに追いかけまわされるハメになるのだが、それは別の話だ。
おわり