21 留学生(魔王)
おれの名は長崎真也。みんなおれのことをナガシンと呼ぶ。最近は親までそう呼ぶ。
釣りが好きなだけの、どこにでもいる高校2年生だ。おれのプロフィールを聞いたら、口をそろえてこう言うだろう。普通だね、と。
おれはその普通を愛していた。普通以下はちょっと嫌だけど、普通ならいいじゃないか。それになんの不平があるだろう。
普通であることは、むしろアイデンティティと言ってもいい。
それが……だ。
早口で言おう。
異世界に召喚されたと思ったら魔王様と釣り友達になって、なんだか知らないけど勇者と魔王の対決に巻き込まれつつ、最後は世界を滅ぼす存在と対決して、ピンチだった魔王を救った。
……普通じゃないね。
汚名返上ならぬ、普通返上だ。
もうおれのことは普通とは呼べない。
でも普通でいたいと願うこと、それは悪いことだろうか?
こっちの世界では、だれもおれが異世界で魔王と友達なんて知らない。
なら普通に過ごしている限り、おれは普通の高校生と同じことだ。
ちょっと、部屋に異世界へ続くチャック式の扉があるだけで……。
とにかく、あの事件のあともおれは普通に学校通いを続けていた。
世間はゴールデンウィーク明け。
連休も終わり、気だるさと襲い来る5月病と闘わなくてはならない、そんな時期。
おれが教室でぼんやりしていると、花瀬さんが話しかけてきた。
「ねえ、聞いた?」
ふわりといいにおいがする。おれ好みのロングヘア―に、おれ好みのぱっちりした瞳。快活でスタイルもいい。褒めちぎっているのは、中学のころ憧れていたからだ。まあ、普通なおれじゃ釣り合うわけないって、もう諦めたけど。
「なにが?」
そんな花瀬さんだけど、よく話はする方だ。同じ分譲地に住んでいて、近所だからだ。学校への行き帰りも顔を合わせることが多い。
まじめでいい子だから、言っていることはいつも正しい。だけど今日は、嘘としか思えなかった。
「うちのクラス、留学生が来るんだって!」
「は?」
思わず、隣の席のデカブツを見る。
変人交換留学生マイケル・シュトラウスは、2限目に早弁を決め込み、いまは睡眠をむさぼるのに夢中だ。本国に怒られないのだろうか。
「これ以上変人が増えるの?」
「あはは、おっかしー。留学生イコール変人じゃないよ。気持ちはわかるけど」
マイケルが変態の領域ギリギリの変人であることはクラスの共通認識だ。
「今度は女の子だって。どんな子かな、やっぱ背が高くてスラってしてるのかなー」
「うーん」
「アオイ~!」呼ばれて、花瀬さんは振り返った。
「ごめん、じゃあね」
そのまま友達のところへ行ってしまう。あいかわらず人気者だ。
そのうちチャイムが鳴って、みんな席へ戻った。
次は担任の数学だ。
文系なおれには苦悶の時間である。問題が当たらないよう祈るしかない。
「よーし、みんな。もう噂になっているかもしれんが……」担任は入ってくるなり言った。
「クラスに留学生がやってくることになった。急な話だが、いまからあいさつしたいそうだ。仲良くするんだぞ」
なんだか展開がはやいな。
担任が戸口を開ける。
入ってきた人物を見て、おれはぽかんと口が開いた。
廊下から差し込む光を受けて、金色の輝きが教室へ入ってくる。
背は小さい。同じ学年かと思うほどに。
身体つきも平坦だ。同じ学年かと思うほどに。
しかし顔立ちは、学年のだれも、いや、もしかしたら日本人だれもかなわない。それくらいきれいだった。
驚きよりもため息が教室を渡った。
そのちっちゃい金髪の女の子は、教壇の前でえらそうにふんぞりかえった。
「エルフリーデ・ゼッツァと言う。みなのもの、よろしくたのむぞ」
エルフリーデ……エル。
この金髪の美少女こそ、異世界の魔王だった。
***
「エル、なにしにきたんだ?」
昼休み。
人だかりに囲まれているエルが、ちょっと来いと言う風に目くばせするので、マイケルといっしょについていった。魔法で人払いしたのか、校舎裏には不自然なくらい生徒がいない。
「なにをしにとは、失礼だな」口を尖らせる。それから下を向いて、妙にもじもじした。「その……旦那様といっしょにいたいと思ったら、悪いか」
「ええー……」
まさかと思ったけど、それか。
エルを助けるときに嵌めた指輪、それがたまたま左手の人差し指だった。その位置は異世界じゃ婚姻を示すものだったらしい。こっちだと左の薬指なのに。
「それはおれ、知らなかったからだし。だいたい、指輪の位置くらい変えたらいいだろ」
大きな赤い宝石のついた指輪は、まだ左の人差し指に嵌まっていた。
「ノウ! ミスタ・ナガシン!」バンっと背中を叩かれた。「ミス・エルの熱い気持ちを、ムゲにするつもりですかー!?」
「いやそんなつもりはねぇけどな、おれは友達として――」
「シャラァーーーップ!!」
「ふがっ」人差し指を口へ押し当てられる。ちょっと指先が入ったぞ、汚ねぇ。
「ワタシ感動したのでーす。ミスタ・ナガシンがあのひろーい湖の中で、たった一匹の魚を釣り上げた。あれこそ愛のなせるわざ! フォーリンラブ!」
「勝手に恋に落とすな!」
アメリカ人ばりに大げさなやつだ。いや、アメリカ人だった、こいつ。
「い、いやか? そんなに嫌なのか?」
エルは泣きそうな顔で言った。
うっ……。
女の子の涙に弱いものと、男は相場が決まっている。それが今世紀最大の美少女なら、総理大臣だって言うことを聞くんじゃないか。
問題はこのエル、もともと傍若無人な性格で、ちょっと傲慢ですらある。
こんなにすぐウルウルするような軟弱な女子ではないはずだ。
なにか変だ……。
変だけど、見つめられているとおれまで変な気持ちになりそうなので、横を向いた。
「言っとくけど、いやとかじゃないぞ。それは断じて違う」
「なら――」
「まてまて。エル、聞くけど、いままでおれを男として見たことってあったか?」
「…………」
「おれたち友達だっただろ。そりゃ、友情が愛情に変わる可能性は否定しないけどな、指輪の件があったっていくらなんでも飛ばしすぎだ」
「やっぱり嫌なんだな……」
「だからちがうって――」
いつからこんなめんどくせぇ女にジョブチェンジしたんだ。
エルと言えば、女心のわからないおれでも気兼ねなく話せるサバサバしたやつだったのに。
キッと視線を強くして、おれの手を指さした。
「それにおまえ、父様の指輪はどうした! 肌身離さず身につけろといっただろう」
「ああ……」
エルの父親の形見でもある青い宝石の指輪は、あの日からおれのものになった。アデリナさんが「これはもうナガシン様のものです」と渡してくれたのだ。
「さすがに、学校じゃ校則違反だからつけられねぇよ。ちゃんと持ってる」
ポケットから取り出して見せる。
「その校則とやらを変えたら、身に着けられるのか?」
「……まあ、そうかな」
こいつ、やる気だ。なにせ人の親に洗脳ビームをぶちかまして平然としてるくらいだから、校則を変えるなどなんでもないこったろう。
「じゃあ、つけろ。いますぐつけろ」
「わかったよ」ここは素直に言うことを聞いておいた方がいい。
ちょうどおれの人差し指と同じくらいのサイズだ。左手は婚姻を示すらしいから、右手につけよう。それが落としどころだ。
「ほらよ」
「…………!」
右手の人差し指に装着した指輪を見せると、そんなにうれしかったのか、さっきまでの不機嫌を吹き飛ばして、パァっと笑顔になった。
「よし、戻ろう。授業とやらを受けるぞ」
「あ、ああ」
「実は楽しみにしてたんだ。異世界の授業は、どんなのかな~」
鼻歌を歌いださんばかりのその背を、おれとマイケルは顔を見合わせてから追った。
これを『様子が変』と表現しなくて、どう言うのだ。