真夏の銃剣(その10)
翌日、さつきちゃんからこんなお誘いが掛かった。
「新生児室、観に行かない?」
僕は赤ちゃんやら小さな子供やらは苦手なのだけれども、もう起き上って動けるようになっていたので、退屈しのぎにいいかな、と思って一緒に別フロアーの新生児室に見物しに行くことにした。
新生児室には20人ほどの赤ちゃんが仲良く並んでいた。
よく眠っている子もいれば、むずむずと芋虫みたいに動いている子や、きゅーっ、と泣いている子もいる。顔の小さな、全体的に小柄だな、という子もいれば、その子の隣に顔が倍ぐらいに見える子も居たりする。皆、眼が開いていないけれども、既に一人ずつ性根が違うんだろうな、というのがはっきりと分かる。ガラス越しに見える新生児室は、僕にとっては動物園のようにも思える。
「かわいい・・・」
さつきちゃんは、ずっと顔を崩しっぱなしにしている。にこにこというよりは、デレっとした感じの笑顔だ。女の人というのはやはり母性本能があるのだろうか、普段見たことのない表情でガラスに顔をくっつけるようにして見入っている。
「かおるくん、見て、あの子」
そう言ってさつきちゃんは、あくびをしている男の赤ちゃんを指さす。
僕はただ、「うん」とだけ答えるのだけれども、さつきちゃんは僕の相槌も耳に入らないかのように、今度は別の女の赤ちゃんに手を振ってみている。
「かおるくんは、男の子と女の子とどっちが欲しい?」
突然訊かれて僕はちょっとびっくりする。一体誰と誰の子供?とまず質問し返したくなるけれども、さつきちゃんはそんな意識も何もなく、本当にただ、赤ちゃんがかわいい、という気持ちだけでこの単純な質問をしてきたようだ。
「え・・うーん・・・男」
反射でつい答えてしまう。
「そっか・・・わたしは女の子が最初でもいいかな、って思うんだけど。でも、どっちでもかわいいよね」
そんな僕たちの遣り取りを、おそらく孫がこの中にいるのであろう年配のご夫婦が、怪訝な顔で見ていた。
さつきちゃんは補習の帰りに寄ったので、セーラー服を着ている。僕は病院支給のパジャマ姿だ。おそらくそのご夫婦は、学生の分際で何を浮かれたことを言ってるんだ、という感覚なのだろう。特に男性の方が何度もさつきちゃんをちらちらと見ている。
けれども、と僕は思う。
確かに、単に高校生二人がままごとのように恋愛しているのだとしたら浮かれている、と言われても仕方ないだろう。けれども、僕は今、さつきちゃんのおあばあちゃんが言っていた、「男と女がいないと子供はできんしね」という言葉を思い出していた。
「男と女がいないと子供はできない」というのは、人間である以上、事実・現実・真実だ。そして、それが神様からの授かりものである、ということも事実・現実・真実だ。
別に僕とさつきちゃんは、自分たちの子供というつもりで今の会話をしていた訳でもなんでもないけれども、その事実・現実・真実から目を反らしているから、逆に結婚や子供を授かることも考えずに‘浮ついた’お付き合いばかりしていて、いつまでも結婚しない人たちが増えているのではないだろうか。結婚しない人が増えていることの理由は色々あるとは思う。結婚を望んではいるけれども出会いがない、とか、女性の結婚・子育てを支援する職場環境が整備されないとか。けれども、実は、そういった理由は子供が駄々をこねる言い訳のようなものではないか、と、僕は思うことがある。
親は小さな子供が駄菓子を選ぶ時にこう言う。
「二つは駄目。どっちかにしなさい」
分別のつく子なら、納得して一つだけにする。
厳しいようだけれども、「子育てと会社と二つは駄目。どっちかにしなさい」と言われても分別つかない大人が増えたのではないか、という気もする。では、どうして男ばかり仕事を優先するの、と言う意見もあるかもしれないけれども、男も同じことだと思う。男だって「子育てと会社と二つは駄目。どっちかにしなさい」と言われる。じゃあ、夫婦1人しか給料もらえないでどうやって生活するの?という話も当然ある。でもそれも、「そのようにやりくりしなさい」と言うしかない。夫婦2人で考えるしかない。
・・・と、長ったらしいことを僕は頭の中でごちゃごちゃと考えた。それで、このご夫婦にささやかな抗議をしてみようと思い立ったのだ。
「ねえ、最近のバンコンカをどう思う?」
「え?」
僕の唐突な質問に、さつきちゃんはびっくりしている。ご夫婦も、ん?という感じで聞き耳を立てている様子が窺える。
「バンコンカ、って晩婚化のこと?」
「うん」
質問の意味が分かると、その後に続くさつきちゃんの答えは間髪入れず、躊躇なく、しかも澱みのないものだった。今度は僕とご夫婦が、えっ?と驚く。
「わたしは、女の人はできれば20代で出産すべきだと思う」
「ふーん・・・?」
僕は曖昧な相槌を打つ。僕の間抜けな様子とは裏腹に、さつきちゃんはその後もすらすら答える。
「産後の肥立ち、なんて今はあんまり言わないけれど、出産ていうのは母体に大きな負担を与えるんだよ。だから、体力・気力も充実してる時にやらないと、出産のダメージで一生健康を害する、それどころかそのまま死んでしまう、なんてことにもなりかねないくらい怖いんだよ」
「そうなんだ・・・」
僕主導の理屈っぽい話でご夫婦に抗議するつもりが完全に僕は間抜けで無知な少年の役割を担ってしまっている。
「それに、子育てって、本当に大事な仕事。だって、1人の‘人間’を育てるんだよ・・・並大抵のことじゃできないと思う。おばあちゃんも言ってたけど。
できる限り母乳で育てた方がいいし。母乳は男の人に代わってもらう訳にいかないし・・・ 若いに越したことはないと思う」
「でも、今は30代で初産、っていう人が多いみたいだよ。旦那さんが40代っていうのも普通みたいだし」
「かおるくん、ちょっと計算してみて。
もし、旦那さんが40歳、奥さんが37歳で初産だったとするよね。子供が高校二年生の時、両親は何歳?」
「57歳と54歳だね」
「もしかしたら貯蓄もかなりあって経済的にも余裕があるかもしれないけれど、年齢的には色んな意味で‘引退’が近づく年だと思う。だから駄目、って訳じゃないけれども・・・前、進路のことで話し合った時に、川名くんが言っていたことも分かるし・・・
でも、子供が高校生や中学生でこれから社会に羽ばたく、っていうタイミングの時に、両親が働き盛りの年齢で、貧しいながらも社会人として、親として悪戦苦闘しながら懸命に生きてる姿を見せてあげることが子供の‘教育’にはとても大事、って気がする。それで、両親の若さだけでは補えない部分を舅・姑なんかに助けてもらえるのが自然かな・・・って。
かおるくんやわたしのおじいちゃん・おばあちゃん・お父さん・お母さんみたいに・・・」
僕もご夫婦も、聞き入ってしまっていた。
けれども、僕は一つの質問をどうしてもしたかった。
「でも、子育てと仕事のキャリアを築くことの両立をする社会的環境がないから、男の人と差がある、って言う女の人もいるよね・・・」
僕がまた理屈っぽい質問をすると、さつきちゃんは落ち着いた口調でゆっくりと答えてくれた。
「かおるくんには、そんな風に思って欲しくないな・・・
世の中には大事じゃない仕事は一つもないと思うけれども、その中でも子供を育てる、って実は物凄く創造的で遣り甲斐もあって高度で難しい仕事だっていうことが、もっと社会的に評価されていいと思う。もちろん、家庭それぞれに色んな環境や事情があるから一概には言えないけれども・・・例えば、子供が学校から帰って来て、台所からお母さんが、‘お帰り’って声をかけるたったそれだけのことでどれだけ子供の心を安心させて情緒を育てるか。専業主婦の真骨頂、と言ってもいいくらいだと思う。子育てと‘会社の’仕事の両立は‘できない’とは言わないけれども、‘とても難しいこと’だって思う」
僕は、さつきちゃんの答えに対して何か言おうとしていたけれども、あまりにも理路整然とした説明なので、口だけがぱくぱくと空回りするような感じになる。
「どうしても‘会社’で働きたい、っていうのなら、早い内に、‘子供を産むんだ’って自覚をもって、‘惚れた腫れた’じゃなく、真剣に相手を探して若い内に結婚した方がいいと思う。それで20代の内に子供を産む。子供が自分で生活の糧を得られるようになるくらいの年齢までは、バリバリと子育てに打ち込む。そうすれば、まだ30~40代前半で、次の仕事にも心置きなく打ち込めるよ、きっと。
政治家の人たちが共働きの夫婦のために保育所の充実に努めるのももちろんいいことだけれども、‘両立’のための政策だけじゃなくって、‘子育ては専心打ち込むべき国の急務である’っていう、思い切った政策を打って、わたしみたいな女性の地位向上にも努めて欲しいな・・・
なんて、自分で勝手に思ってはいるんだけれど」
こうして改めて聞いてみると、さつきちゃんや、さつきちゃんのおばあちゃん・お母さんが言って実行してきたことが、‘古風’でありながら、実は物凄く‘合理的’であると認めざるを得ない。
反対に、‘両立’は時代の先端をいく議論のように一見感じるけれども、「政治や社会がなんとなく作り上げた常識」を、ばさっ、と取り除いてしまえば、恐ろしく非合理で非効率的な議論に見えて来てしまう。‘物事の根本’がどこにあるかをよく考えないと、この先、この国にとって、本当に必要な対応が取れなくなるような気がして、恐ろしさすら感じた。
「でも・・・結婚も、子供も、‘縁’を頂いて初めてできるものだけどね・・・」
さつきちゃんはそう付け加えて、僕の顔をじっと見た。そして、にこっ、と笑う。
もはや僕の厚みの無い理屈などどうでもいい、と思った。これこそがさつきちゃんの‘真骨頂’なのだと思う。僕は本気で、さつきちゃんとこの先もずっと縁があって欲しいと改めて願う。
ご夫婦が、ぼくとさつきちゃんに、そっと会釈をして新生児室の前を離れて行った。
「?? 知ってる人?」
さつきちゃんが不思議そうに僕に訊く。ぼくはただ、ううん、と首を振っただけだった。
「あ」
僕がそういうと、さつきちゃんも僕の視線の先を追うようにして見る。
隣同士に並んだ男の赤ちゃんと女の赤ちゃんが、同時にあくびをした瞬間だったのだ。
さつきちゃんが嬉しそうに笑う。
「あの子たち、縁があるのかな?」
楽しいひと時ではあったけれども、帰りのエレベーターの中で、僕とさつきちゃんは少し厳粛な気持ちになった。
自分で点滴のスタンドを押しながら、とても痩せた若い女の人が乗って来たのだ。顔色もとても悪い。
その人が降りた階は、終末医療を専門に行う特別なフロアーだった。
今日、生まれた赤ちゃんもいれば、同じ日に亡くなる人もいる。
言いようもなく寂しい気分になった。




