真夏の銃剣(その7)
「お父さん、明日、仕事は?」
お父さん、お母さんともこのまま病院で泊まると言ったので訊いてみた。
「明日は休む。心配するな」
そう言って、とりあえず入った個室のベッドの脇に丸椅子を持って来て腰かけた。
「耳、どうだ?」
お父さんは鼻よりも耳を訊いてくる。
「やっぱり、聞こえない」
僕がそう答えると、お父さんは、そうか、と呟いて続けた。
「音楽、もう楽しめないな」
お父さんはそう言うけれども、僕はそこまで頓着はなかった。
「いや、右耳は聞こえるから別に平気だよ」
「鼻以外に痛いところはないか?」
そう訊かれて、
「右の拳が痛い」
と答える。
さっきの検査では右手は腫れてはいるけれども、骨にも異常はなかったし、問題ないとのことだ。
「殴ったのか」
お父さんは、静かに、訊いた。
「うん、殴った」
「そっか、凄いな、かおるは。
・・・自分はまだ一度も人を殴ったこと、ないからな・・・」
そういえば、と思った。お父さんが僕を殴ったことは一度もなかった。
「ほんとに小さい頃、かおるのお尻を叩いたりしたことはあったけどな・・・」
お父さんの言葉を聞いて、2人して軽く笑いあう。
「眠れるか?」
「うん・・・鼻が痛いけど、なんとか眠れると思う」
「今日は、お疲れさんだったな・・・ゆっくり休め・・・」
「うん・・・・」
僕はそのまま目を閉じた。
次の朝、一番から鼻の手術をした。終わった後、麻酔が切れてからの痛みは信じられないぐらいで、鼻をもいでしまいたいぐらいの違和感だった。その後、痛み止めも入っているのだろうか、点滴をしてから少しましになった。
手術中は思ったよりも出血量が多く、もう少しで輸血が必要だったらしい。執刀医の先生からは、血が固まりにくい体質のようだ、と言われた。
その日の午後からは、もう、面会OKとなった。さつきちゃんがそれを待ちかねたように、病室に来てくれた。耕太郎も一緒だ。さつきちゃんのお父さんも来て、僕にありがとうとお礼を言い、僕のお父さんとも少し話してから、帰って行った。その後、さつきちゃん、耕太郎、僕の三人で、しばらく話をした。
「物が食べられるかどうか、分からなかったから・・・」
と、花瓶と小振りの向日葵の花束をお見舞いに持って来てくれて、ベッドの横に活けてくれた。ブラインド越しに差し込む真夏の日差しが向日葵の花びら一つ一つに当たって、一瞬、黄色い花が白く変化したような錯覚に陥る。
ベッド脇に丸椅子を持って来て耕太郎と2人して腰かけ、ガーゼで鼻の部分が覆われた僕の顔を不思議そうに見ている。
改めてありがとう、とさつきちゃんからお礼を言われる。僕は、いやいや、こちらこそありがとう、そしてごめん、と言う。するとさつきちゃんが今度はいやいやいや、わたしこそ・・・と何度か遣り取りをしている内に、さつきちゃんの方から、ふふっ、と笑い出した。僕もそれにつられて笑い出す。耕太郎も、なんとなく、にこにこと訳も分からず笑い出した。
10分ほどなんやかやと昨日の話を耕太郎に聞かせるような感じでしている内に、僕は何気なく聞いてみた。
「さつきちゃんは、僕の鼻が歪んでたから、あんなにじろじろ顔を見てたんだね」
そう言うと、ん?、というような顔をして、突然、
「耕太郎、そろそろ帰ったら?自由研究の準備に図書館に行くんでしょ?」
と言った。
耕太郎は、え?という顔をした。
「まだ来たばかりだし・・・それに友達との約束は三時だから、まだ大分時間があるよ」
さつきちゃんは耕太郎の言葉をほとんど聞いていないような感じで、
「帰った方がいいよ」
あまり表情を変えずに言う。
耕太郎はなんだかよく分からない、という感じで、
「うーん・・・じゃあ、帰る」
また来るね、とそのまま帰ってしまった。身長は耕太郎よりも圧倒的に低いが、さすがに威厳のある姉だと感心する。それにしても、なんで突然耕太郎を帰らせたのか、僕にもよく分からない。
耕太郎が病室から出ていくと、さつきちゃんが改めて、僕の方を向き直って言った。
「かおるくんの鼻が曲がってたから、びっくりして・・・・」
なんだか、‘根性が曲がってる’みたいな変な表現に思わず、苦笑する。さつきちゃんも、ちょっと言い方がまずかったかな、と、ごめんね、みたいな感じで自分の手の指をストレッチするように弄んでいる。この手の指のストレッチは癖のようだ。
「それに・・・」
さつきちゃんは視線を床に落として、僕の顔をわざと見ないようにして話し始めた。
「かおるくんの目が、なんだか、あのひとにすごく似てたから・・・」
「あのひと?」
「うん、掛け軸の、ご先祖様・・・」
ええ?と、唐突なその言葉に、僕はとても不思議な感じがした。あの時の自分の感情や心は、あのひととは多分、似ても似つかないものだったはずなのに。それを僕は素直に言ってみた。
「いや・・・似てるって言われたら自分としてはすごく嬉しいけれども・・・
あの時、岡崎の呻き声を‘やかましい!’とか、平手ではたかれて、‘なんだ、こいつは!’とか思ってたんだよ・・・とても、あのひとみたいな心の状態じゃないよ・・・」
僕がそう言うと、さつきちゃんは、
「そうかな?」
と、ちょっとだけ顔を上げて僕に続けて話しかけてくる。
「かおるくんが相手のことをそう思うのはすごく当たり前の自然なことだし・・・
それに、それ以外に自分自身で気付かない心もきっとあったと思うよ・・・
だって、わたし、かおるくんの目になんだか吸い込まれそうになったもん・・・
だから・・・・」
だから?・・・・
「つい・・・・」
つい?
「・・・ぎゅっ、てしてあげたくなって・・・」
さつきちゃんは、完全に90°下を向いて喋っている。
あの時は‘ぎゅっ’ていう感じではなく、単に腕を体に添えたふわりとした遠慮がちのものだったけれども、さつきちゃんの中では僕を‘ぎゅっ’と抱き締めたような感覚でいるらしい。
僕は、何と言葉を出せばいいのか、完全に分からない状態になり、さつきちゃんの真似をして指のストレッチをしてみる。黙っていると、余計に気まずいので、
「それは・・・ありがとう・・・・」
と、なんだかよく分からない返事をしてしまう。
「・・・わたし、今・・・結構頑張って話してるつもりだけど・・・」
消え入るような声で、そう言われて、はっ、とした。このままでは、駄目だと。けれども、気の利いたことを言おうとすると、余計に訳が分からなくなりそうだ。僕は、はっきりと、自分の感じたことを心のままに言おうと決心した。
「・・・凄く、嬉しかった。本当は、もうしばらくあのままでいたかった・・・」
そう言うと、さつきちゃんはようやく顔を上げて僕の目を見た。
「立ち上がったのは、あのままだと、僕の方からさつきちゃんを抱き締めてしまいそうだったから・・・・」
さつきちゃんは、全く視線を外さない。僕も、視線を逸らさないようにして、頑張って話し続けた。
「僕は、あのひとみたいな男になりたい、って、今でも思ってる。
もし、昨日、僕の目があのひとに似てたんだとしたら、確かに自分では気づかない、自分の奥底にある‘いいもの’が顔を覗かせたんだと思う・・・」
さつきちゃんは、真っ直ぐ僕の目を見ている・・・のか、鼻を見ているのか、一瞬分からなくなるけれども、そのまま僕は話し続けた。
「だから、あのひとにより近づこうとしたら・・・
多分、無意識の内に、立ち上がるのが、あの時の正解だったんだろうな、って、勝手に思うんだけど・・・」
今度はまた少し目を伏せ、にこっ、とさつきちゃんは笑った。そして、なんとなく、といいう自然な感じで僕のベッドのシーツの縁にちょこっ、と掌を重ねて置いて、
「そうだね。かおるくんらしい・・・」
と、もう一度顔を上げて笑いかけてくれた。
その後、ぽつぽつと、せっかくの夏休みなのにね、とか、いつ頃から部活の練習できるかな、とか、他愛無い話をしばらくした。
しばらくすると、太一、脇坂さん、遠藤さんがやって来た。さつきちゃんは補習を休んだけれども、みんなは補習が終わってから来たのだ。
みんな、本当に心配したんだよ、と言う。僕とさつきちゃんは2人して、ごめん・ありがとう、と皆に言う。
「でも、今まで誰もどうすることもできなかった岡崎をかおるちゃんと日向さんが懲らしめたなんて・・・やっぱり2人揃うと凄いことができるんだね」
僕はまた、‘結婚しなよ’という話にならないように軌道修正をする。
「いや、懲らしめた訳じゃないし・・・・それに、僕はなんにせよ岡崎を骨折させたんだから・・・もしかしたら学校からも何か処分を受けるかもしれないし・・・」
‘そっか’と皆がしーんとなったので、僕は自分のせいで方向転換した話の流れを更に軌道修正しようとした。
「それより、治ったら、本当の海に行ってみたいんだけど」
僕がこう言うと、脇坂さんがすかさず言う。
「その頃にはもうクラゲがいっぱいで海には入れないよ」
とかなんとかみんなでがやがやと話した。30分程で、じゃあ、今日はこれで、と皆帰って行った。
再び、僕とさつきちゃんの2人になった。




