真夏の銃剣(その2)
花火は去年と同じくらいの時間に終わった。
神社にお参りした後、僕たちはぞろぞろと続く混雑の中、停車場にやってきた市電に乗り込もうとしていた。
ああ、鷹井市にもこんなにたくさん人がいたんだなあ、とぼんやりと車内がほぼ満員になっている様子を見ながら、僕はしんがりを勤める。僕の目の前にはブルーの花が散りばめられた浴衣を着たさつきちゃんの背中がある。さつきちゃんはドアのステップに足をかけ、車内に入ろうとしているところだった。僕も、ようやく乗り込める、と思っていたのだけれど、
‘ぐっ’
急に僕のTシャツの襟首に後ろから力が加わり、引っ張られる。襟がびりっ、という感じの音を立てるのが喧騒の中でも聞き取れた。体の上の部分を引っ張られたので僕は体の上下のバランスを崩し、ととっ、と何歩か自分で後ずさった。次に、右手首をもの凄い力で掴まれる。ようやく僕は後ろを振り向く。
名前は思い出せないけれど、背の高い、‘ああ、西條高校に受かった人だ’というイメージで顔を覚えていた男子が僕の手首を掴んだままじっと僕の顔を見ている。怖い顔、というよりは、無理に真面目な表情を作っているような感じの顔をしている。その隣にやはり‘この人も西條高校に受かった人だ’という、名前を思い出せない背の低い男子が立っている。
そして、脇には岡崎が興味の無さそうな表情で立っていた。
その3人の西條高校生と僕の4人は、本当にごく自然に何となく、という感じで市電とは反対の方向に歩き出す。僕は多分、腕を振りほどいて電車に飛び乗ろうと思えば乗れたと思う。けれども、怖いとかどうとかいう以前に、自然と体が西條高校生たちと一緒に歩き出す、という感じになった。自分でも自分の心理状態を分析できないけれども、おそらく、連れ去りや誘拐される人の何割かは、こんな感じになってしまうのではないかな、と想像した。
着いたのは神社とは反対の方向の月極め駐車場だった。個人経営だが、かなり広い駐車場だ。賢いな、と思った。コインパーキングなら、監視カメラがあるが、ここにはない。
着いてからもごく自然に僕は3人と向き合った。ずっと無言だった。3人は制服を着ている。おそらく、学校の補習か夏季特訓かが夜まであり、その帰り道に、せめて花火ぐらい見ようと立ち寄ったのだろう。そこで偶然僕を見つけた、ということなのだろうか。
3人の内、背の低い人が僕に話しかける。
「何でお前なんかが女の子たちと一緒に花火見てるんだよ」
意味がよく分からない。
「それに、クラス会の時の、久木田をさすってたのは何なんだよ」
これもよく意味が分からない。けれども更に背の低い人は僕に言う。
「お前なんかが人を憐れめる立場かよ」
これは、分かる。確かに僕なんかが久木田のことを憐れめる立場ではない。僕自身かなり愚か者だし。なかなか深いことも言う、と思った。けれども。
「パンツ脱げよ。小学校の時みたいに性器出せよ」
また、意味が分からなくなった。僕は、小学校の時には訊けなかった質問を、今日、初めてしてみようと思った。
「僕に‘パンツ脱げ’って言ってるのは、君の意思なの?それとも、誰かに命令されてビビってるから言ってるの?」
背の低い方は瞬間に、かあっ、と顔を赤くする。
「俺が誰かに命令されて動く訳ないだろ!俺の意思だよ」
僕は、続けて質問する。
「じゃあ、君自身が僕の股間を見たい、ってことだね?」
背の低い方は、一瞬ぽかん、とした後、怒気を込める。
「誰もお前の股間なんか見たくない。お前がパンツ下ろしながら、オロオロ泣きそうな顔になるのが面白いんだよ!」
「じゃあ、僕が、別にオロオロせず、ごく普通の顔をしたままパンツ脱いだら面白くないかもしれないけど、それでもいい?」
背の低い方がだんだんうろたえてきているのが分かる。
「早く、脱げよ!」
「うん。別にパンツぐらい、いくらだって脱いであげるよ」
ああ、そうか。‘どうなっても構わない’っていうのは、こういう恥ずかしい状況の人間がやるのもありなんだと分かった。多分、それは、赤穂浪士の大石内蔵助が股をくぐったように、お釈迦様が鬼の口に飛び込んだように。決して涙を呑んで恥を忍んでそうしたのではなく、本当に大事なことの他のことは、股をくぐることであろうと、鬼の餌食となって命が無くなることであろうと、‘どうでもいい’ことなのだ。本当に大事なこと以外にはとことん、淡泊で執着がないのだ。本当に大事な目標・志のために生きていた方々にとって、それ以外のことは‘どうでもいい’些末のことなのだ。目標・志のためにはそれ以外のことなど、自分の名誉や命すら‘どうなっても構わない’のだ。
もちろん、僕はそんな方々のような目標も志も無いけれど、少なくともパンツを脱ぐなんて程度のことよりも大事なことはたくさん持っている。だから、別にパンツを脱ぐことなんて僕にとっては‘どうでもいい’ことでしかない。
さあ、真夏だし、涼しくなるからいいか、と思い、背の低い方がなんだか表現しがたい表情をしている前で、僕はパンツを脱ごうとした。
「卑怯者」
穏やかだけれども、よく通る声が背後からした。
駐車場の入口にさつきちゃんが立っている。
そのまま僕たちの方にゆっくりと歩いて来る。
あれ?電車に乗ったんじゃないの?と思うのと同時に、僕は、
あ、まずい!
と瞬間的に思った。こういう場面で女の子が登場した場合、マンガやドラマでは飛んで火に入る夏の虫のように、目の前の男たちからはにやにやとなぶられるかのごとく言葉や態度で扱われるのが王道のパターンだ。
・・・けれども、僕は拍子抜けした。
背の高い方と背の低い方を見ると、明らかに、‘ヤベえ・・・’というような狼狽し、動揺した様子を見せている。さつきちゃんを‘目撃者’のようにでも思っているのかもしれない。それにしても、浴衣を着た可愛らしい女子を見て、こんな反応しかできない2人が何だか可哀想だった。
さつきちゃんは、その2人を完全に無視して、なぜかそのまま岡崎の正面に立った。
岡崎の顔も知らないのに、場の雰囲気だけで元凶が誰であるかを見抜く鋭さに、僕は正直感歎した。
「卑怯者」
さつきちゃんは岡崎の眼を見据えて、もう一度言った。その、鋭い、けれども落ち着いた声を聞いて、岡崎はぼんやりとさつきちゃんの顔を見る。一瞬、その声が、本当にさつきちゃんから発せられたものなのか、状況把握に戸惑ったようだ。
けれども、数秒後に、それがさつきちゃんの声であったことに気付くと、へえ、というような嘲笑ったような奇妙な表情をする。さつきちゃんはその岡崎の表情には構わず、次の言葉を放つ。
「かおるくんの方が、強い・・・」
さつきちゃんは、姿勢を崩さず真っ直ぐ立ったまま、岡崎の目を見据えて淡々とその短い文章を繰り出した。
「どこが」
岡崎は嘲笑でもってさつきちゃんの言葉に応え、岡崎もさつきちゃんの顔に真っ直ぐに視線を向ける。
「かおるくんは、本当に恥ずかしいことが何かを知ってる。だから、あなたの手下が今言った程度のことはどうでもいいことだ、って、切って捨ててる。
でも、あなたは本当に恥ずかしいこととどうでもいいことの区別がつかない。
かおるくんとの力の差は歴然」
‘手下’と決めつけられて背の低い方は、かあっ、と顔を真っ赤にした。
けれども、それよりも、岡崎の様子が明らかにおかしい。クレバーで冷静・怜悧な、誰が何を言っても言葉ではなく‘自分が手を汚さない’実行だけでもって人をいたぶり続けてきたあの岡崎が、今、さつきちゃんの言葉になぜか過剰反応をして、口で対抗しようとし始めているようだ。
「馬鹿か。こいつは、パンツを脱げと言われれば脱ぐような、自分の意思も意見もないような奴だ。‘自分’っていうものがないんだよ」
岡崎が‘らしさ’を失い饒舌でむきになり始めるのとは反対に、さつきちゃんは更に‘さつきちゃんらしさ’を深めていく。さつきちゃんが岡崎に向けているのはもはや憐れみの表情だ。
「かおるくんはずっと昔から、あなたのやることなすこと、切って捨ててただけ。
何を言っても、何をしても、あなたがかおるくんに勝つことはこれからも、ない」
岡崎の顔が、かあっ、と赤くなっているのが、薄暗い街灯の下でもはっきりと分かった。岡崎はなおも言葉でさつきちゃんに対抗しようとする。
「こいつがパンツを脱ぐのを、周りの全員が笑ってた。こいつは、全員に負けたんだよ」
さつきちゃんは、声にも憐れみを滲ませて静かに答えた。
「もし、それが本当なら。あなたの周り全員、誰もかおるくんに勝てない」
僕は2人の遣り取りを耳でうっすらと聞きながら、眼球を超高速で動かして、周囲の様子を窺っていた。そして、見つけた。
さつきちゃんの立っているちょうど真後ろ。百メートル以上先だが、コンビニの看板の青い光が見える。
「さつきちゃん!」
僕が腹から出した大声に、そこにいる全員がびくっ、とする。
さつきちゃんの視線が僕に向いた瞬間、僕は指でさつきちゃんの背後を差し、
「コンビニ!走って!」
と、怒鳴り声を上げた。岡崎たちよりも早くさつきちゃんが反応することを祈って。
さつきちゃんは背後を振り返るとすぐに状況を理解し、躊躇なくダッシュした。
しかも、咄嗟に下駄を脱ぎ捨てて。この状況の中でも‘裸足で全力疾走する’という冷静で適格な判断に本当に恐れ入った。
けれども、間髪入れずに岡崎も走り出す。さつきちゃんを止めようというのだろう。
僕も、残り2人が反応する前に岡崎めがけて走り出した。普通の状態ならば岡崎がさつきちゃんに追いつくことは天地がひっくり返っても、無い。けれども、さつきちゃんは今日は浴衣なのだ。この状況で裾の乱れを気にするようなさつきちゃんではないだろうけれども、それでも万全の状態ではないのだ。僕は岡崎の背中の後ろを必死に走った。20mほど走り、差が1m程のところで、僕は岡崎の背中に飛びつくようにしてしがみついた。岡崎が、前のめりにだだっ、と倒れる。僕も岡崎の背中に縋り付くような形で倒れこんだ。
ごっ、と、岡崎の体が地面にぶつかる音がするのと同時に、これまで聴いたことの無い動物の鳴き声のような奇声が耳をつんざいた。僕はその音が下にいる岡崎から聞こえてくることにしばらくの間を置いてから気付いた。岡崎の右手首が反対の方向に曲がっている。どう見ても折れている。僕は、自分の行動によって人間の骨が折れた、という事実にとてつもなく嫌な感情を覚えるが、岡崎が奇声を発して苦しんでいることそのものには大した現実感を持たなかった。
それよりも、すぐに自分自身の置かれた状況を思い出し、立ち上がってコンビニに向かって走ろうとした。
けれども、足がもつれて、もんどりうってもう一度地面に倒れてしまった。
残りの二人がもう、隣に追いついていた。1人が、なんだか、適当な、弱々しい感じで、僕の肛門の辺りを蹴ってきた。痛いには痛いが、それだけで、動けなくなるようなダメージは受けない。
僕はとにかく、蹴られて動けなくなるような急所だけは守ろうと、亀の子のように、体を丸めた。
頭や顔は出ているので、そこを蹴れば一番ダメージを与えられるはずなのだけれども、この2人は頭がいい。エリート校に通っていることの意味も分かっているのだろう。決して、傷害沙汰になることはしようとしない。また、暴力をふるうことへのビビりもあるのだろう。外傷として目立たないよう、僕の脇腹を何度も蹴ってくる。それも、内臓にまでは傷をつけない程度の力加減で。そして、身体面ではなく、精神面での屈辱を感じるようなやり方で。けれどもこの2人は状況の成り行きで僕を蹴っているだけで、岡崎がさつきちゃんの真っ直ぐな言葉に屈したさっきの屈辱感と執着のようなものを持っているわけではないだろうと僕は考えた。ただ、相手がどこまでやるかは僕の知ったことではない。僕は、自分の身の前に、さつきちゃんを守らなくてはならない、その切実さから比べたら、この二人の余興のような暴力にこれ以上付き合っているいわれはない。
僕は、このままでは千日手なので、とにかくもう一度、立ち上がろうとした。岡崎は痛みからなのだろうか、地面にうずくまったまま、大声で泣き始めている。
やかましい、と、僕は思った。




