第四部
十字架に括り付けられた三人は、春樹の出現に思わず目を奪われた。普段は頼りなく、ぶっきらぼうで他人など興味がないかのように振る舞う春樹。
だが、そこにいたのは皆の知る春樹ではなかった。
穏やかな双眸が鋭く光り、見つめられれば心臓が貫かれるのではないかと思うほどの威圧。刀を握り壊してしまいそうなほど力強く掴み、血管が浮き出ている。
アキュラは自身が実体化していないことに安心したのか、冷や汗を浮かべながらも安堵の溜息を吐いた。心臓を抑え、呼吸を整える姿は死んでいないと確認しているようだ。
「春樹ッ! 何で来たんですか!?」
冬香が叫ぶ。口調は春樹のことを責めているが、内心は安心しているかのようである。
問われた春樹は視線をゆっくりと冬香に移し、キツく睨みつけた。
「ひっ!」
「……冬香。あまり俺を怒らせるなよ。俺はお前に心配されるほど弱くもない。勝手な行動は取るな」
「……は、はい」
怒気を含んだ春樹の声音に、亜希子も楓も肩を震わせる。それほどの怖さがあった。
「おいおい、正義のヒーローを残して説教か? 笑わしてくれるじゃねーか!」
「冗談は存在だけにしておけ」
足を踏み出したアキュラ。ほぼ同時に春樹も動き出す。
片手に青い炎を灯し、アキュラは春樹の顔面めがけて手を伸ばした。
「死に晒せッ!」
青い炎が目前に迫る。
だが春樹は避けもせずに、兜割りを放つかのような上段からの叩き斬り攻撃に入った。
「お前にやれるほど、俺の命は安くない」
春樹の刀が消える。
気がつくと、刃はコンクリートの床に突き刺さっていた。
見えぬほどの速さの斬撃を浴びせたのだ。
アキュラの身体が一刀両断されたかのように、一瞬だけ割れたかのように見えた。
しかし、アキュラの身体は倒れるどころか、春樹に向かって進んでいる。
「バカだなッ! お前の攻撃は当たらないんだよッ!」
アキュラの手が伸びた。
春樹は避けようともせずに、青い炎が迫るのを待つ。
やがて春樹の顔に手が到達しそうになる。
「消えろッ!」
「それはどうかな?」
突然、アキュラの手が見えぬ力に誘導されたかのように方向を変えた。右手を伸ばすアキュラが変えたわけではない。それは本人の驚く顔が語っている。
春樹の斬った床からコンクリートの破片がアキュラの腕に衝突したのだ。それにより、アキュラの腕は方向転換を余儀なくされた。
その隙を逃さず、春樹はゆっくりと刀を腰の位置に構える。
「お前はバカだ。己を正義と偽る正義など、悪に等しい」
「こっんの……クソガキッ!」
春樹は刃を走らせた。
刃は居合抜きをしたかのように走り、アキュラの身体を斬り裂く。
光にも似た速さで斬られたアキュラ。
春樹の手には何かを斬った感覚がなかった。
よろけながら後退したアキュラは、足を止める。
「……なるほど、ラスボスはお前ってわけか」
「ラスボス? 醒めない夢を見てるのか」
「醒めない夢か。確かに見ていても良かったな。だが、俺にはまだしなくてはならないことがある」
春樹はアキュラから視線を逸らさずに話を聞こうとした。
「お前のしたいこと、それはイジメ社会を変えることか?」
「イジメ社会を変える? バカなこと言ってんじゃねぇよ」
そのとき、アキュラの身体に斬り傷が露わになる。
血が流れたが、アキュラは痛そうな素振りは見せず、笑って見せた。
「人間の概念を変える。それは新たな世界を創造することだ。こんなところで躓いている場合じゃないんだよ。俺は平和そのものを作る」
「お前が言いたいことはわかった。だが、人間の概念を変えると言っても所詮は人間は人間でしかない。変えられるのは神だ。イジメがなくなってもイジメは必ずどこかで起こる。人が人である限りな」
アキュラの顔色が変わった。まるで先生に説教をされている生徒のようだ。
「神がいれば、神に対抗しようと人は団結する。苦しい環境があれば、協力して乗り越えようとする。それが人間だ。お前らは異世界で何を見てきたんだ? 夢か? 人々か? それとも武器か? 笑わせるな、俺は悪に立ち向かう人々を見たんだ。そこには人に対する悪意はない。あるのは共通の目標である魔王を討ち滅ぼすこと、それだけだッ!」
アキュラが駆ける。
春樹のギアは既に20にまで昇っていた。
小さく、吐息のように呟く。
「神夢威」
刀から魔力が迸る。
空中に軽く飛ぶ。
アキュラの前から姿が消えた。
照明を背に春樹が刀を振りかぶる。
それに気づいたアキュラは距離を取ろうとバックステップをした。
春樹は構わずに叫びながら、刀を振るう。
「斬空撃ッ!」
刃が走った。
風の刃となってアキュラに降り注ぐ。
「俺には触れられないぞッ!」
アキュラの叫び声が響いた。
風の刃がアキュラに迫る。
コンクリートの床に衝突した風の刃は、空気の爆発を起こしたかのように荒れた。
完全防御を装っていたアキュラの身体が吹き飛んだ。
「なにィィィッ!?」
アキュラの上半身に無数の斬り傷が入る。黒のパーカーが裂け、身体に風の斬撃が刻まれた。
呻き声をあげ、アキュラは必死に耐える。
全身を真っ赤にして、アキュラはボクシングで防御の構えをしたまま、固まった。
着地し、春樹はゆっくりと刀を構える。
「神夢威は魔法、及び魔力を同時に消せる効果のある、俺の魔法だ。お前の身体は魔法のときと実態のときがあるのは、最初にやりあったときからわかってる。残念だったな」
「……それだけか?」
ゆっくりとガードを解き、アキュラは血だらけの上半身を晒しながらも意識を保っていた。執念という一言以外では、奴が立っているのはあり得ない。
呼吸は荒れ、身体には生傷が絶えないのに、眼差しは今にも人を殺す瞳をしていた。
春樹の背筋に悪寒が走る。
「……俺は人類を、世界を変えてみせるんだ。この世の中を……この世の中をォォォォォオオオオオオッ!」
「お前には無理だッ!」
春樹は走った。今、アキュラは得体の知れない何かに変わろうとしている。それを直感しての行動だ。
ギアはまだ5にも満たない。だが、虫の息のアキュラを仕留めるのには充分だと感じた。
叫びながら、刃を振るう。
「神夢威ッ!」
瞬間、魔力が刃を包んだ光が空間を覆った。
三人も目を閉じ、結末を見守ろうと必死だ。
春樹の刃はアキュラに届いていなかった。
割れたプレートのような物が、アキュラの前に浮かび上がり、春樹からの攻撃を防いでいる。
目を見開き、春樹は呟いた。
「……ま、まさか、ギフトピースなのか!?」
不思議な光に包まれ、宙に浮くピース。
それは徐々に光を増していき、アキュラの手に触れる。
目を見開き、アキュラは呟いた。
「……これは、神から俺へのギフト……なのか!?」
「クソッ!」
春樹は二度目の攻撃を放とうとする。
「……俺には未練などないッ! 俺に世界を変えるだけの力をッ!」
「やめろっ! やめろぉぉぉぉぉっ!」
眩い光が照らされた。
春樹は双眸を腕で隠し、距離を開く。
やがて光は消え、上半身裸のアキュラの姿がそこにはあった。
生傷は消えたアキュラ。全快したのは一目でわかった。
「……クククッ。漲る。漲るぞォッ!」
「な、何が起こったんだ……」
警戒をした春樹。
アキュラは片手を掲げ、叫んだ。
「ブレイズ・フレイムッ!」
片手から放たれたのは、青い炎。まるで噴水のように青い炎が発射され、春樹は目を疑った。
さっきまでは、直接触れることでしか相手に攻撃ができなかったアキュラ。
しかし、今手に入れたのはギフトを遠隔操作できるギフトなのだ。
春樹はすぐに跳躍した。
青い炎が三人の十字架を燃やす。
「なッ!?」
屋根の鉄筋に捕まり、青い炎の手から逃れた春樹。
下方に視線を移すと、亜希子、冬香、楓の三人の主柱である十字架に青い炎が燃え移る。
アキュラは微笑みながら、言った。
「お前はそこで見ていろ。お前の大切な人が燃え果てる、その時をッ! グランドブレイズ・フレイムゥゥゥゥゥゥッ!」
燃え盛る青い炎はアキュラを中心に、津波のように周囲に打ち寄せる。ありとあらゆる物が燃え、塵となってゆく。温度は急上昇し、アキュラ以外の人間から汗が浮かび上がる。
握っていた鉄筋すらも、今にも崩れ落ちそうな音をたてた。春樹は手を離し、刀を地面に向けて振るいながら叫んだ。
「神夢威ッ!」
着地と同時に刀は空を斬った。衝撃波と共に青い炎が払われる。
しかし、完全に消火することは不可能だった。所々が未だに青い炎によって燃えていた。
「お前が何をしようと、俺は必ず止めてみせるぞ」
「バカが。そっちの十字架を見てみろよ」
アキュラに促され、視線を冬香、亜希子、楓に向ける。楓の括り付けられた十字架だけが、未だに青い炎が燃やしていた。
「は、春樹く……んッ!」
「楓ッ!」
春樹はすぐにアキュラに向けていた身体を楓の方へと変える。走り出そうとすると、視界が急に変わっていた。
続いてくる痛み。春樹の頬をアキュラは殴っていたのだ。
虫歯の痛みを抑えるかのように頬を片手で支える春樹。ゆっくりと立ち上がり、アキュラを睨みつける。
「お前、関係のない人間まで殺すつもりか!」
「殺すつもり? 何言ってんだよ、俺はな、殺すつもりはなかったんだよ。お前さえ来なければ、こいつは俺の子を産む女でいられたんだよ」
アキュラはゆっくりと楓に近づき、顔を鷲掴みにした。
指に血管が浮かぶ。
「こいつは消させてもらうぞッ! お前に不幸を味わわせる、その為にッ!」
「させるかァァァァァッ!」
春樹は急激に立ち上がろうとした。だが、片足がガクッと下がる。
低ギアで攻撃しているとはいえ、連続で使用していた春樹の身体には早くも負担が訪れていたのだ。
己の身体を呪うが、それよりも先に楓を助けなければならない。
動け、動けッ! と何度も叫ぶ春樹。
そんな春樹を、楓は見つめながら小さくか細い声で囁いた。
「……私が、死んでも、自分を責めないで……」
春樹は目を見開く。
その瞬間、アキュラが叫んだ。
「ブレイズ・フレイムゥゥゥゥゥゥッ!」
アキュラの片手から青い火炎が楓の顔を埋めた。




