5. ノッティンガム伯爵家
ウィボストンを発った駅馬車は、午後3時頃にはキャンボーンの街に入った。午前の休憩場の近くが山道の最高点だったので、その後は緩い下りで馬の負担が少なく、休憩時間が少な目だったんだ。
ところが、駅馬車の事務所の隣に、母の形見の指輪と同じ模様の紋章を付けた馬車が止まっていた。つまり、ノッティンガム伯爵家の馬車だ。
「あなたがエレナ嬢ですか?」
「はい。あ、これが母の形見の指輪です」
「はい。確かにノッティンガム家の紋章です。それでは、我が家の馬車で、急いでグラントチェスターへ向かいましょう。雨で一日遅れたので、閣下が心配しております」
「その、今から出て今日中に着くのですか?」
「替え馬を用意してあります。また、軍馬用の道を使いますので、途中で他の馬車に邪魔される事もありません」
「分かりました。お願いします」
そうして、お花摘み以外の休憩はほぼ無しで、ノッティンガム伯爵の館のあるグラントチェスターに向かって馬車は走った。サーシャのお花摘みの為に途中で止めてもらった程の強行軍だった。
ノッティンガム伯爵の館は高い壁で囲まれ、物見の塔が併設されている立派な建物だった。
私は応接室に通された。サーシャは籠に入れて侍従に渡した。サーシャも見知らぬ館で毛が逆立っていたから、とても伯爵様の前に連れて行けなかった。髭を生やした中年男性が如何にも貴族という豪華な服を着て現れた。
「初めて会うという事だな。私がお前の母エレクトラの兄で、現ノッティンガム伯爵であるフィリップだ」
「始めまして。エレナと申します」
「お前達家族の事は、半年に一回は様子を覗いていたのだが、肝心の時に役に立てなくて済まなかった」
「いえ、母の判断ですから、娘としては母に従います。伯父様の責任とは思っていません」
「ところで、エレクトラはお前に家庭の事情を話しているか?」
「いえ。物心つく頃には父がいなかったという記憶以外、何も知りません」
「そうか。エレクトラから水魔法は習ったのか?」
「多分、一通り教えて貰いました」
フィリップ伯父様は数舜思案していた。
「…エレクトラは幼い頃には並外れた魔力を現していた。それについて私達の父親、お前の祖父という事になるが、父とエレクトラが話し合った。魔力を売りにして名家に嫁ぐより、平凡な女として生きたいとエレクトラが言った。だから父はエレクトラに余計な魔力を見せるなと警告して、エレクトラも魔法学院では地味な魔法しか見せなかった。そして、学院を卒業してすぐ、学院で知り合った男爵子息と結婚してこの家を離れたんだ」
「それはダドリー男爵のお子さんだったのですか?」
「いや。二人共自分達の実家から離れて、普通の平民として生きようとしていたんだ」
「その、思い合って結婚して、思う様に生きていた筈なのに、父はどうしてしまったのでしょう?」
「推測だが、金の稼げる能力がある訳ではない平民の男が、家族3人で暮らしていくのは金銭的に辛かった様だ。お前の父は家を出た後、しばらく一人で暮らしていた」
…養うのが辛いって、残された母娘が母親一人の給金で生きていくのがどれほど辛いかは考えてくれなかったのだろうか…『暮らしていた』?
「その、父は今どうしているのか分かりますか?」
「3年前に流行り病で亡くなった。一人暮らしだから看病してくれる者がいなかったんだ」
…因果応報なのか…
「分かりました。その事はもう恨む事も無いと思います」
「その方が良い。それで、これからの事だが、お前には私の養女になってもらう。とりあえず魔法学院まで通い、その後どうするかはその時までに考えておきなさい」
「ありがとうございます。ご迷惑をおかけしますが、よろしくお願いします」
「迷惑などとは考えないでくれ。妹を助けられていたら、こんな事にはならなかったのだから」
それについては私の口から何か言う事は出来なかった。だから、ただ頭を下げた。
「これからは行儀作法と、貴族として最低限の知識を家庭教師から学んでもらう。慣れずに大変かもしれないが、飢えない為には貴族令嬢として振舞って貰わないといかん」
「はい。お願いします。行儀作法は母から少ししか習っていない為、ご迷惑をおかけして申し訳ありません」
「時に知識がお前を助けてくれる。そう考えてしっかり学びなさい」
「はい。よろしくお願いします」
「さて、しばらくは客間で過ごしてもらうが、お前の部屋を用意するにあたって、言っておかねばいけない事がある。我が家では猫を館の中で飼った事がない。だから、館の中でお前が暮らす場合、猫は庭の檻で飼う事になる。それが嫌なら、お前と猫は物置小屋で暮らしてもらう事になる」
「分かりました。物置小屋でお願いします」
フィリップ・ノッティンガムは少しの間、瞳を閉じていた。
「貴族令嬢としては、物置小屋で暮らしてもいい等と口にしてはならん。貴族令嬢としてのプライドが必用なのだ。一方、妹とお前で飼っていた猫を邪険にも扱えない。だから、物置で猫と同居する事は許可するが、調達品を揃えて貴族令嬢の部屋らしくは整える。ただし、家庭教師の授業を受ける時は館の部屋で受ける事。そして、将来友人が出来た時も、友人を呼ぶのは館の部屋にする事。そこは守ってもらう」
「はい。ありがとうございます」
こうして、私とサーシャはこれからも同居する事が許された。
そうして、そうなる可能性も考えて片づけられていた物置小屋に向かった。そこでは、サーシャが一足先にご飯を与えられていた。一瞬頭を上げたサーシャは、すぐに頭を下して、私に気付かなかったフリをしてご飯を食べ続けた。
そう、私が伯父様、近く義父になる方とそれなりの緊迫感をもって喋っている間、あなたはさっさとご飯にありついていた訳ね…何らかの圧力を感じたらしく、サーシャは耳をぴくぴくさせていた。
食べ終わったサーシャは、一瞬上を向いて、また視線を下げた。ふふん、こうなったら背中を撫でてあげる。
サーシャは、実は背中を撫でられるのはそれ程好きでは無かった。ペット扱いされるのが嫌なんだ。この子にとって、母、私、この子の三人で家族のつもりだったんだ。
ノッティンガム伯爵は、魔法学院を出たら好きにしていいと言っていた。伯爵家の跡継ぎは別にいるんだ。だから、伯爵と私は精神的に本当の親子関係になる事は無い。私は伯爵家に仮に預けられた子供に過ぎない。これからも私の家族はこのサーシャだけだ。どちらかがこの世を去るまで大切な家族でいよう。
…でも、今は嫌がらせに撫でてあげる。家族より先に一人でご飯を食べた罰だ。
猫小説をでっち上げた感じですが…もうちょっと可愛げを盛れなかったものか…時間が無かったんです。ヒマワリとサボテンの花を連載してますし。なんとなくヒマワリのアンナとこの娘、そして次回作案の主役の境遇が似ておりますが…なろうならよくある設定だよね。
8月8日は世界猫の日です。そんな日に猫が出てくる小説を読んでくださり、ありがとうございました。




