003 影
肉の焼けるいい匂いが漂ってきた。
匂いに誘われてか、隣の部屋からスカイがリビングに降りていく音がした。今日は土曜日。一日中家でゆっくりしていたようだ。
ギアスは剣道の大会があった上、シフォンと出会い、一日に色々なことがありすぎて自分はもう少しゆっくりしていたい気分だった。
ベッドの上に大の字。窓の外は雨が降り出して、バシャバシャと激しい音を立てていた。どうやらゲリラ豪雨の真っ只中にいるようである。
もしもシフォンが本当に未来から来た自分の娘だったら。ギアスは天井を見上げてそんなことを考えていた。
外見も似ていたし、ケガの治りも異常に早い。それに、確かに全く別のどこかから放り出されてきたような、みすぼらしい格好をしていた。女手一つで育てられたと言っていたが、やはりそれでは生活は苦しかったに違いない。そう考えれば考えるほど信じてしまいそうだった。
《ギアス、ギアスなんだよね! そうなんだよね! やっと、やっと会えた。よかった、よかった……》
ギアスは思う。自分も失踪した母親と再会したらあんなふうになるかもしれないと。初めて会った瞬間のシフォンは目をうるうるさせて感動していた。あれが演技だったとすればこんなところにいる場合ではない。今すぐ子役のオーディションでも受けるべきだ。きっと二、三秒のうちに即採用されてしまうだろう。だからあれが、演技なわけがない。シフォンが言っていることは全て本当に違いなかった。
ギアスは、シフォンが未来からきた自分の娘だと信じはじめていた。シフォンと話すのもなんだか懐かしかった。自分の身内と言葉を交わしたのは幼稚園の頃以来だったというのもあるが、身内特有の独特の雰囲気がシフォンから感じられていた。
それなのに、どうして自分は自分の娘を一人にしたのだろう。ギアスはとても自分がこれからそんなことをするなど信じられなかった。
コンコン。ふと、誰かが扉を叩く。小さな音だった。
フィジーが夕飯だと呼びに来たのかと、ギアスは扉を開ける。しかし誰もいない。視界の下のほうに何かオレンジっぽいものが見えてそちらを向くと、ぶかぶかのパジャマに着替えたシフォンが立っていた。
「あっ……、ああ、わりぃ。今行くよ。おっ」
ふわ、と、シフォンがくっついてきた。シフォンはギアスのお腹に顔を埋め、しっかり抱きつく。彼女はすっかり部屋に入って、扉は閉まった。
「……」
「……」
(やっぱり、全部、本当なんだな)
ギアスはお腹のあたりに、シャツが濡れる感触を覚えてそう確信した。何も言わずにそっとシフォンの頭を撫でて、何かを言い出すのをじっと待つ。
少ししてシフォンは顔を埋めたまま、小さな声で話しはじめた。
「私、パパに、捨てられたと思ってた。でも、パパはそんな人じゃなかった。……、ゴメンナサイ」
「おいおい……。そんな、シフォンが謝ることなんかねぇよ。何も。……っていうかオレ、まだパパなんて呼ばれる歳じゃねぇし、ギアスでいいよ」
「うん、ギアス。……、ねぇ、ギアス。私、ギアスに会えて、本当によかった」
シフォンはようやく顔を上げ、真下からこちらを見上げた。
目は口ほどに物を言うとは言うが、これまでこんなに感情を込めた視線を送られたことがなかった。ギアスは照れくささに笑みを漏らし、
「ああ。オレもシフォンに会えてよかったよ。まだ実感湧かねえけど、とりあえずオレもシフォンの味方だ。さ、涙拭いて、飯にするぞ」
ギアスはハンカチでシフォンの涙を拭ってやりながらそう言い、階下のリビングを指差す。階段を降りていくシフォンの後ろ姿を見ていれば、娘というより、妹ができたような不思議な感覚がした。
○○○○
時刻は23時を回った。
夜闇に包まれた都会は星空のような夜景を繰り広げ、高速道路を走る自動車の列はさながら流れ星のようだった。
まるで剣山のように、街明かりに照らされた夜空をいくつもの高層ビルが突き刺している。なかでも背の高いビルの屋上の、強い風が吹けば下まで真っ逆さまに落とされてしまいそうな縁のところには、どういうわけか座っている、少女らしき怪しい人影があった。
蜂のような黒と黄の攻撃的なストライプのキャミソールの上に白いパーカーを着て、頭にはすっぽりとフードを被って顔が見えない。気の遠くなるような高さも恐くないようで、はたはたと両足を揺らしながら夜景を見下ろしていた。
「だいたい、500年ぶり、かぁ。国も時代も違うし、だいぶ景色違うんだ」
謎の少女は独りごちた。
美しい夜景はもちろん、時折聞こえるバイクのエンジン音とパトカーのサイレン、熱帯夜の気温も負ける夜風を、彼女はじっとしたまま愉しんでいるようである。
ふと、彼女は立ち上がり、軽く伸びをする。くわわ、と大きなあくびもしたら、危なっかしくもビルの縁から真下の地面を見下ろした。
「ああ、めんどくさ〜。ホントにこの街にいるのかなぁ。これだけの範囲からしらみつぶしって……、ハァ、嫌な仕事押し付けられちゃったなぁ、まったく」
言いつつ、真下の地面から遥か遠くの山脈の影までを見渡した。
「まずはこの方角、西から探そう。これで最後の最後で見つけたらぶっ殺してやる!」
次の瞬間、少女の姿はもうどこにもなくなっていた。
彼女はその場で飛び上がったかと思えばビルの縁に着地するのではなく、幽霊のごとくコンクリートの壁の中へと消えてしまったのだった。
意外と更新できました。
明日も更新します。
昨日は投稿から2日目にして1日に130pvが出ました!
これからもよろしくお願いしますm(_ _)m




