20.アレックス殿下の依頼③
ニコラスが戻ってきたのは、もう終業のベルがなるだろうという頃だった。
私が、今日やるべき仕事を終わらせて荷物を片付けていると、やや慌ただしく執務室のドアが開けられた。
「悪い!遅くなった」
「お疲れ様…アレックス殿下と話してたの?」
「まぁそんなとこ。あと野暮用…って、お!資料めっちゃきれいに直ってる!サンキュー!」
「逆に、なんで会議室からここに戻るまでの間だけであんなにクシャクシャになっちゃうのよ…」
罰の悪そうな顔をして執務机の椅子に座ったニコラスは、ぐっと伸びをしたと思うと、そのまま大きなあくびをした。
(…すっごい眠そう)
そういえば、彼は私と一緒にあの家に住み始めてから、あの初日以降、一度も家で見かけていない。
最初の頃は、家で顔を合わせないように私に気を使ってくれているのかと思っていたのだが、あの家で働くクロードさん達いわく、そもそもニコラスは、本当にあまり家に帰ってこないそうだった。
「…ニコラスって、すごい仕事量よね。大変じゃない?」
「えっ今更…?俺って、レヴィの目にどう映ってたの」
「いや、忙しいんだろうなとは思ってたんだけどね」
改めて思ったのだ。
私の思っていたよりも、彼が重要な人間で、忙しい人だと。
というか、アレックス殿下にも信頼されているのだろう。知り合いだなんてことも知らなかったし。
そもそもの立場から忙しいことは察していた。
だけど、それでも暇を見つけてはよくうちの課に遊びに来ていたし、『家に帰れない』と言っていたのも、多少誇張した表現なのかと思っていた。
「あの日以降、家にも帰れてないしな〜。寂しい?」
「…違います」
思わず即答で否定する。
ちょっと心配した様子を見せるとすぐこれだ。
誤魔化すようにおどけで、意識をそらす。
以前よりも、彼のことをわかるようになってきてしまったようだ。
(全然いらない能力だけどね…)
「ていうか、それなら私、引っ越す意味あった?ずっと聞こうと思ってたんだけど」
「それに関してはちょっと想定外ではあるんだよな。俺もここまで忙しいのが続くとは思ってなくてさ」
それでも、椅子に座った彼の向かいにある執務机には、まだまだ帰れないことを主張するかのように、書類の山が所狭しと並んでいる。
…これに加えて会議やら何やらがあったら、確かに家に帰る暇もなくなるのだろう。
というか、帰らないでここですべてを済ますほうが効率がいい気もしてくる気がする。
「まぁ…もう少し無理してでも家に帰ってみたら?クロードさん達も心配してたし、疲れも取れないだろうし」
「俺も帰れるなら帰りたいよ。…まぁ、レヴィがそんなに言うなら頑張って家に帰ろうかな」
「いや、私は別にどっちでもいいんだけどね」
「可愛い恋人が寂しいって言ってるなら、帰らない訳にいかないよな」
「言ってない!語弊!」
その言葉に、何故かニヤニヤとしだすニコラス。
この顔をしているとき、彼は基本的にくだらないないことを言ってくる前兆だ。
「でも好きなんだろ?俺のこと」
「違うから!もう!忘れたと思ったのに!あれは、アレックス殿下にあなたのどこが好きなのか聞かれたから、頑張って絞り出しただけね!」
なんだか、言い訳をすればするほど逆に肯定しているような気がして、恥ずかしくなる。
「しかも顔ね!?顔!!顔だけって言った!」
言ってから思ったのだが、やっぱり普通に恥ずかしいことを言ってしまったと思う。
なんなんだ、顔が好きって。
絶対言わなくてよかった。
「でも好きなことには変わりないじゃん。しかも顔って、どーもどーも」
「帰る!お疲れ様!」
「あ、ちょ!」
ニコラスが何かを言いかけていたような気はしたが、聞こえないふりをして強引にその場をあとにした。
これ以上ここにいたら失言が止まらないと思ったから。
しかし、私はそのせいで、それ以上に大切な夜会の話をすることを忘れたまま家に帰ってしまったのだった。
まさか、この日を境にとんでもない繁忙期に入るとは思わずに。
─2章終了─




