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騎士と悪魔の輝ける日々  作者: 玲島和哲
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「私は怖い」

 部屋に戻ったイエーグナは、椅子に座って足を組み、黙々と本を読んでいた。既にマットレスが戻ってきており、半分に折られた掛け布団を背に、リベジアンは自らのベッドに座って、その様子をじっと見ていた。


 数冊借りた中には、昔国家転覆を企てて死刑に処された社会活動家の著作物が入っていた。イエーグナがその本を取り出した時、リベジアンは当初、それを借りぬように静止しようとはした。


 しかし、言ったところで聞かぬであろうし、また、極力はイエーグナの意思を尊重したいという思いもあったので、あえて口出しはしなかった。案の定借りる際、図書係はイエーグナを不振そうな目付きで一瞬見つめた。図書室を出る時、リベジアン自身も、そうした視線を受けていることを背中で感じた。


 他に借りた物として、先程即座に暗記にしてリベジアンに読んで聞かせた論評の対象になっていた作家の全集を二冊、動植物それぞれの事典である。一冊一冊が大きく重いので、手助けしようとしたものの、イエーグナはそれを拒否し、一人で軽々と持ち運んでいった。


リベジアンは、不思議な思いを、平穏な表情に微かに表しつつ、読書をするイエーグナを見ていた。

「……さっきみたいに、一気に読んだりしないのかい?」


 返答はなく、イエーグナはじっと、表情を変えることもなく読み耽っていた。


 リベジアンはそれを確認すると、小さく頷きつつ下を向き、そのまま外に目を向ける。昼間の空は真っ青で、白い雲は所々に程よい大きさで浮かんでいる。遠くの胡麻粒ほど鳥が、辛うじて三匹飛んでいるのが見えた。束ねたカーテンが揺れたかと思うと、涼しい風が身体に触れるように通り過ぎる。


「……読むんなら、じっくり読んだ方が良い」


 リベジアンは、声がした方に目を向ける。体勢から表情までほとんど変わっていなかったため、気のせいかとも思われた。


「ゆっくり読む方が、じっと浸れる」


 そう彼女は言うが、それでもイエーグナのページを捲る早さはなかなかのものだと思いつつ、リベジアンは彼女を見ていた。


「……それなり、楽しめてもらえるなら、私としても嬉しいよ」


 リベジアンは微笑みながら言った。すると、視線を本に向けながら、イエーグナが明らかに読むのを止めたのが分かった。リベジアンから微笑みが消える。イエーグナは目を閉じ、本を、音を立てて閉じた。


「……楽しんでいると思うか? 私が」


「えっ?」


 イエーグナは、リベジアンのほうを向いた。


「楽しくない」イエーグナはリベジアンを見る。「私は何一つ楽しくないぞ? 何一つ」


 二人はじっと、視線を合わせる。一人は鋭く、一人は微かに戸惑い……


 これまでのイエーグナの言動には、どことなく浮わついた、本心かどうか判断に迷うような所があった。仮に本音であったとしても、彼女自身がそうだと信じていない様な、自らの真意を蔑ろにするような、半ば放言の如くして紡がれた言葉であった。


 その中で、イエーグナのその言葉は、今までの中で、最も実感が籠った物となっていた。


「……もし」イエーグナか小さく口を開く。「もし私が、何も怖くないと言ったら、どう思う?」


 イエーグナの言葉の調子は、そのままだった。いささかも憐れみを乞おうとしない、挑発的で、ともすれば戦士のように気高いとさえいえるような口調である。


「蔑む? 何の力も持っていないくせにって? 怖がろうが無かろうが関係ないって思う? カッコつけて、背伸びして、その惨めさを憐れに思う?」


「……そんなこと」


「私は怖い」イエーグナはリベジアンの言葉を遮り言った。「翼をもがれた状態で、虎の群れの住む穴の中に捨てられた鳥になった気分だ」


 リベジアンは、どう答えるべきかを検討するかのように、落ち着き無く頭を下げ、また彼女の方を向く。


「あんたがどれ程、優しい顔をしようと関係ない。虎は虎だ。気が向けば、いつでも私を牙を剥ける。私の父を殺したのはお前だ」


 些かも悲劇めいた調子のないその語調は、次第に攻撃的なものを含み始める。


 イエーグナは本を机に置いて、リベジアンの方へ近付く。目の前まで来た、かつての怨敵の娘を見上げる。自らを見下ろす、その顔に影のかかったか様子には、しかし不思議と、恐怖を感じさせるものがなかった。


 イエーグナの心情がそう見せているのか、あるいはその心情を表情に見るようであるからなのか、あるいはリベジアンが、あらゆる意味においても強者であるが故なのか、判断はつきかねた。


 イエーグナはゆっくり両手を挙げると、やがてリベジアンの首を包んだ。その手の温もりが、新たなる筋道でも見つけたように、リベジアンの首へと伝わっていく。力が加わり、息苦しさこそ感じぬが、圧迫感が更に増す。


「私がこの手に力を込めれば……」イエーグナが口を開く。「いや、この光景を見られるだけですら、私は有無を言わさず、断頭台へ送られる。真意など……私の殺意であろうと、それとも悪質な悪戯だろうと、私がなぜ今お前の首に手をかけていようと、全ては一緒くたにされ、私の命運は決められる。子供の悪戯程度すら、私を処刑し得る十分な理由となる。私の言葉など誰も聞かず……お前がどれ程言葉を費やそうとも、私はそういう立場の存在だ。私は、侵略行為を行いそして敗走した、貴様ら曰く、愚鈍なる男をする父とする無力な悪魔だ。私は生きてなどいない。生かされているだけだ」


 イエーグナは両手を首から離す。リベジアンは微動だにしない。自らの首に何かされておらぬか、触れて確かめることすらしない。


 真っ直ぐに身体を起こしたイエーグナは、リベジアンのベッドの方へ目を向ける。


「……流石に、ベッドに水をかけただけじゃ、処分はされないみたいだけど」


 イエーグナはそれだけの言葉を、些かの自嘲も無しに、僅かな嘲笑を混じらせ、皮肉を込めて言った。同情されることを毛ほども嫌っている事が存分に溢れるその語調には、しかしまたその一方で、自暴自棄のような、あるいは破滅願望の様な物が滲んでいるようにも思われた。


 相手の怒りを誘発し、刀に手をかけさせ、自らの首を跳ねさせようとするような、そうした破滅願望である。聞く者によっては、彼女は殺してくれと言うのでは無いかと、あるいはそう言っているのかと、訝しんだことだろう。


 ……言葉は途切れ、沈黙がそこに取って変わられた。二人はじっと見つめ合う。イエーグナの顔からは、既に笑みは消えている。代わりに、今まで通りの敵意を込めた視線を向けている。


 リベジアンは……リベジアンは飽くまで、真剣な、しかしあと少しで同情や憐れみを表しかねないような、曖昧な表情をしていた。答えるべき言葉が見つからず、振る舞うべき行為が思い当たらず、しかし、何かしらをなそうとする意思を示すかのようなその表情……


 イエーグナは振り返り、リベジアンに背を向けると、そのまま席に戻ろうとする。


 ……その時、後ろで動きがあるのを感じ、イエーグナは振り返った。立ち上がっていたリベジアンは彼女に立ち上がり、彼女に近付き、そっと手を差し出す。その手には、一組の玉虫色の指輪があった。イエーグナはその指輪から、リベジアンに目を向ける。


「親しくなった者との関係を表す、様々な行為や物がある」リベジアンが言った。「これは、特別に親しい者同士が、その友好を表す際に身に付ける者だ。最近では、比較的ファッショナブルで気軽な利用のされ方になっているが、昔は同姓間の、友情以上の強い絆を示す際に、利用されていたそうだ」


 リベジアンは、微笑んだままそう解説した。そして、言葉を止めると、笑みを消し、より真剣なそれに取って変わった。


「君の言う通りだ」リベジアンが言葉を続ける。「君は……君はこの国に刀を向けた、侵略者ディグジールの娘……そうでなくても、君は敵方にいた人間。ボゴロフやヘグラルと同じ……君達の命は今、私達が握っていると言っても良い。そして何より重要なこととして……私は君のお父さんを殺した。これは覆しようのない事実だ」


 イエーグナは何の反応も返さず、ただじっと彼女を、睨むように見つめる。


「そうした中で、私が言わんとする言葉には、何の説得力も無いかもしれない。もっと言えば、君に対する侮辱にさえなるだろう。しかし、これだけは言わせてほしい」


リベジアンは一呼吸置く。そうして、自らの真意を込めるように、


「私は、君に死んでほしくないと思っている。戦争は終わった。これからは平和な時代が来るだろう。そうした中で君が生き残ったのであれば、私は君にも、平和に過ごしてほしいと思う。いや、願っている。幸せになれるのならば、幸せになってほしいとも思っている。だから……」


「……」


 イエーグナは、思わずその手に目を向ける。


「おこがましくも、私に君を守らせてほしい。君の前に立ち、君に背を向け、君に向けられるあらゆるものと戦わせてほしい。生かされているだけの君が、より良く生きていけるよう、私の手伝わせてほしい……君が私の下にいるのなら、君が私の後ろにいるのなら、いつの日か、私の隣に立つことができるように私に尽力させてほしい」


 イエーグナは、再びリベジアンの手の上の、玉虫色の指輪に目を向ける。


「もし、君が私を認めてくれるなら……無論、今でなくて良い、認めるだけの価値を見出だしたのであれば、これを左手の中指に着けてくれないか?」


 そう言うと、リベジアンは指輪を一つ取って、言葉通り、左手の中指に嵌めた。そして手を握り、中指の大きさに丁度よくはまった指輪を見せ、そしてまた開いて、最後の一個を示す。


 イエーグナは目を細めて、それをじっと見ていた。やがて、掌の上からそれを取り上げ、注視する。そして、持っていた指輪を手の中に納め、ぐっと握り締めると、すぐにでも投げ付けようと、小さく振りかぶる。リベジアンはその場を動かない。


「……」


 イエーグナは指輪を持った手を下ろすと、今度は自らのベッドのある方へと投げ付けた。壁に当たったそれは、ベッドの上に落ちる。友好の意思など、些かも示そうともしない目で、イエーグナはリベジアンを見ていた。


 それに対し、それを静かに受け止めるように、リベジアンは微笑んだ。


「昼の時間だ」リベジアンは言った。「昼食を食べに行こう」

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