19. 婚約成立
「……以上が、私とグランドール嬢との婚約に関する提案です。父上」
王城の執務室。アヴィは、父である国王、そしてグランドール公爵を前に、凛とした佇まいで書類を差し出していた。
書類に記されていたのは、フィーネとの正式な婚約の打診、そして「もし今後グランドール公爵家に男子が生まれなかった場合は、将来、二人の間に生まれる第二子(次男)をグランドール公爵家の正式な跡取りとして養子縁組する」という異例の特約だった。
長年、長男エリオスを失った悲しみと、「公爵家を自分の代で断絶させるわけにはいかない」という重圧に一人で苦しんできたフィーネ。彼女のその懸念を完全に払拭するために、アヴィが自ら父王を説得し、勝ち取った条件だった。
「ふむ……。第一王子の婚姻としては異例だが、名門グランドール家を存続させ、かつ両家の絆を確固たるものにするならば、これ以上の策はないな」
国王は満足そうに深く頷き、隣に立つジェラルドへと視線を向けた。
「どうかな、公爵。そなたの愛娘を、我が息子の伴侶として任せてはくれまいか」
ジェラルドは固く目を閉じ、深く息を吐き出した。幼い頃から「魔法も使えない役立たず」と世間から陰口を叩かれ、兄の死の自責の念に押しつぶされそうになっていた愛娘。
その娘の存在そのものを慈しみ、「彼女と一緒にいたい」とここまで情熱を傾けてくれた王子。否やなどあろうはずもなかった。
「……身に余る光栄にございます、陛下。……殿下、どうか、娘を……フィーネをよろしくお願いいたします」
厳格な公爵のモノクルの奥から、温かな涙が一筋零れ落ちていた。
◇◇◇
両家合意のもと、晴れて婚約が成立した二人は、秋の和やかな日差しが降り注ぐ王城の東屋で、二人きりの穏やかなお茶の時間を過ごしていた。
「フィーネ嬢、これを受け取ってほしいんだ」
会話が途切れたタイミングで、アヴィはすっと上品な木箱を取り出し、隣に座るフィーネに手渡した。
「これは……?」
フィーネが首を傾げながらそっと蓋を開けると、中から陽光に照らされてきらりと輝く一本のブレスレットが現れた。
華奢で美しい金の鎖に、見惚れるような『碧色の石』と、神秘的な『紫色の石』が交互に並べられている。派手な宝飾品を好まないフィーネの好みを完璧に理解した、可憐で洗練された仕上がりだった。
「素敵なブレスレット……。殿下と私の瞳と、同じ色ですね」
フィーネがアメジストの瞳を輝かせると、アヴィは眩しそうに目元を緩めた。
「職人に命じて特別に作らせたんだ。いつも身に着けていてくれると嬉しいな。私の代わりに、君を守れるように」
そう言ってアヴィは箱からブレスレットを持ち上げると、彼女の華奢な左手首へとそっと着けてみせた。
肌に触れるアヴィの指先が温かく、フィーネの胸がトクトクと甘く脈打つ。
「……うん、よく似合っているよ」
「ありがとうございます、殿下。……一生の宝物にしますね」
手首のブレスレットを愛おしそうに撫でるフィーネを見て、アヴィは満足そうに微笑む。
けれど次の瞬間、紅茶に手を伸ばしたアヴィの表情に、ふと微かな陰が差した。彼は手元の磁器のカップを見つめたまま、ぽつりと、探るような声音で問いかけた。
「……ねえ、フィーネ嬢」
「はい?」
「君は……私と一緒にいて、本当に幸せかい?」
唐突な問いに、フィーネは目を丸くした。
「どうなさったのですか、突然」
「……いや。この婚約は、私が半ば強引に進めてしまったところもあるからね。君の本当の気持ちを……ちゃんと聞いておきたいと思って」
照れくさそうに、けれどどこか不安を押し殺すように笑うアヴィ。
それを見たフィーネは、胸が締め付けられるような愛おしさを覚えた。
(……そういえば、私はまだ一度も、自分の気持ちを言葉にしてお伝えしていなかったのね)
アヴィは出会った時からずっと、飾らない言葉と真っ直ぐな行動で、想いを伝え続けてくれていたというのに。
フィーネは静かに紅茶のカップを置くと、意を決したように小さな手を胸元でぎゅっと握りしめ、真っ直ぐに隣に座るアヴィの碧眼を見つめた。
「その……私は殿下に……アヴィ様にこんなにも想っていただけて、本当に心から……幸せだと感じておりますわ」
「フィーネ嬢……」
「私は、アヴィ様のことが……大好きです」
必死に勇気を奮い起こし、自分の気持ちと、真っ赤になりながらも「アヴィ様」と名前を口にしたフィーネ。
そのあまりの愛おしさに、アヴィは息を呑み、耐えかねたようにフィーネを力いっぱい抱きしめた。
「きゃっ……!? 殿下……!?」
突然の強い抱擁に驚き息を詰まらせるフィーネ。アヴィは彼女の細い身体を壊しそうなほどきつく抱き寄せ、白金の滑らかな髪に深く顔を埋めていた。
「ありがとう……フィーネ嬢」
溢れ出す歓喜を隠そうともせず、アヴィが掠れた声で囁く。
「私も君が好きだよ。誰よりも愛している」
「殿下……」
彼女の温もりを確かめるように、アヴィはその華奢な身体をさらに強く引き寄せる。耳元で聞こえる声は、どこまでも切なく、震えている。
「自分の中に、こんな風に誰かを愛おしいと思える感情があるなんて、君に出会うまで知らなかったんだ。何を見ても冷めていて、自分を心のない人形だと思っていた私に……君が感情をくれた。私を、人間にしてくれたんだ」
直撃したあまりにも甘く切実な告白に、フィーネは真っ赤になった顔を隠すようにアヴィの胸元へ額を押し当てた。
「そ、そんな、大袈裟です……」
「大袈裟じゃないさ」
アヴィはゆっくりと抱擁を緩めると、腕のなかの少女を愛おしそうに見つめ、その額へと誓いを立てるように口づけを落とした。
「……ねえ、お願いだから……もう『殿下』なんて他人行儀に呼ばないでくれないかな」
離したがらない子供のように腕の力を強め、アヴィはどこか甘えるようにフィーネの耳元で囁く。
「この前も、今も……君が名前を呼んでくれて、どれほど嬉しかったか。だから……これからは、二人でいる時はずっと、名前で呼んでくれるかい? 私も……君を『フィー』と呼びたい。二人だけの特別な呼び名として」
アヴィの甘い碧眼に見つめられ、フィーネは溢れる涙を浮かべながら、幸せそうに深く頷いた。
「はい……! アヴィ様……っ」
「ありがとう、私の愛しいフィー」
アヴィが生まれて初めて知った、誰かを狂おしいほどに愛する情熱。そして、兄を失い凍りついていたフィーネの心を優しく溶かしていく、温かな光。
二人は互いの体温を確かめ合うようにそっと手を重ね合い、柔らかな日差しに輝く手首のブレスレットを見つめた。碧と紫の石が、二人の深い絆を祝福するように、優しく温かな輝きを放っていた。
――どんな未来が待っていようとも、この手だけは絶対に離さない。
可憐な公爵令嬢と、誇り高き第一王子は、永遠の愛を胸に、輝かしい未来へと一歩を踏み出すのだった。
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次回、エピローグです!




