01. プロローグ
のどかな春の陽光が降り注ぐ、グランドール公爵邸の庭園。色とりどりの花々が咲き誇る小径を、白金の髪を揺らした小さな少女——四歳のフィーネが、楽しそうに歩いていた。
「あ……」
ふと足を止めたフィーネの紫水晶のような瞳が、キラキラと輝く。花壇の片隅で木漏れ日を浴びて咲く、一輪の綺麗な白薔薇。大好きな兄、エリオスの凛とした横顔が浮かび、フィーネは無意識に手を伸ばしかけた。
(兄さまにあげたら、喜んでくれるかな)
けれど——伸ばしかけた小さな指先が、躊躇うように空中で止まる。
「……でも……摘んじゃったら、お花さん、痛いかな……?」
ぽつりと呟き、フィーネは小さな頭を悩ませて手を引っ込めた。自分に手折られたら、この綺麗なお花は枯れてしまうかもしれない。
「——フィーネ? こんな所で何をしているんだい?」
不意に頭上から降ってきたのは、大好きな、どこか落ち着いた穏やかな声。
ハッと傍らを見上げると、十歳になる兄のエリオスが立っていた。輝く白金の髪を風に靡かせ、フィーネの答えを待つように、優しく微笑んでいる。
「兄さま……!」
パッと顔を輝かせたフィーネだったが、すぐに困ったように眉を下げて薔薇とエリオスを交互に見上げた。
「あのね、兄さまにこのお花をあげようと思ったの。でも、摘んじゃったらお花さんかわいそうかなって……」
消え入りそうな声で打ち明けられた言葉に、エリオスはふわりと目元を緩めると、フィーネの前にそっと膝をついた。
「ふふ、フィーネは本当に、優しい子だね」
フィーネの手よりずっと大きな手が伸びてきて、小さな頭をぽん、ぽんと愛おしそうに撫でる。
「大丈夫だよ、フィーネ。無理にお花を摘まなくても、君が『あげたい』と思ってくれただけで、僕はとっても嬉しいよ」
「そうなの……?」
「ああ。それにね、摘み取らなくても、こうして二人で『綺麗だね』って見てあげたら、お花だってきっと喜んでくれるよ」
エリオスの思いやりに満ちた言葉に、フィーネの胸の奥にあった迷いが、陽だまりに溶ける雪のようにすっと消えていく。
「うん……! ここで、兄さまといっしょに見る!」
満面の笑みを浮かべるフィーネに、エリオスも「ああ、そうしようか」と優しく頷いた。風にそよぐ白薔薇の横で、兄に優しく頭を撫でられながら言葉と微笑みを交わす、満ち足りたひととき。
公爵邸のテラスからは、そんな兄妹の仲睦まじい姿を、公爵夫妻が紅茶を手に微笑ましそうに見守っている。
何一つ欠けるもののない、光に満ちた温かな家。
この幸せな日常が、どこまでも続いていくのだと。幼いフィーネは少しの疑いもなく信じていた。
——あの悲劇が、すべてを奪い去るまでは。
ご覧いただきありがとうございます!
本作は、本編『忘れられた公爵令嬢』のフィーネとアヴィの幼少期(二人の過去、出会い、婚約成立まで)を描く前日譚となります。
本編をお読みいただいた方には「二人の原点」としてより深く楽しんでいただけますし、本作(前日譚)から初めてお読みいただく方でも単体としてお楽しみいただける構成となっております。
二人の運命がどのように交わっていくのか、ぜひ最後まで見守っていただけましたら幸いです!
※本編『忘れられた公爵令嬢』はこちらからお読みいただけます ➔[https://ncode.syosetu.com/n0432mm/]




