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【摩擦とガス抜き】




 最初の小休止でジャムパンを四つに分けて物足りない朝食にし、二度めの休憩では、ミルク味の喉飴を舐めながら各自のペットボトルに川の水を汲む。川床が透けて見えるほど綺麗な水なので、飲んでも害はなさそうだと判断したのだ。

「腹下したら野垂れ死にコース一直線だな」篠原が自分のペットボトルを睨みつける。

 成田がお構いなしにぐびぐびやる。「いや、飲んでみ。めっちゃ美味いから。天然のエヴィアンすわ、これ」

「てか暑くね?」小林がブレザーを脱ぎ、シャツのボタンをすべて外す。「日が出てからあっちゅうまに暑くなってきた」

「もしかしたら――」篠原が空を見上げる。「春じゃないのかもな。北欧の初夏みたいだ。空気が乾燥してて、気温だけ上がってる。たぶん緯度が高い」

「お」成田が草むらから何かをつまみ上げる。「見て、こいつ。めっちゃキレー」

 成田の親指と人さし指のあいだでのたくっている羽虫に、アキラは目をやる。

「それ何? 蛾?」

「いや、蝶でしょ」

「黄緑色の蛾に見えるんだけど。触覚が極太だし」

「ナリタ・シャートルーズ・バタフライと名づけよう」

 篠原が小石を投げる。「おい、素手で触るな、ファーブル博士。毒があったらどうすんだよ」

「言われてみれば毒々しい色かも、こいつ」

「言われなくても毒々しい色だろ、そいつ」

 成田が指を開き、羽虫を逃がしてやる。「バイバイ、ちょうちょさん。お元気で、ボクの可愛い人」

 二度めの休憩明けから間もなく、不意に森が途切れて、とても牧歌的な平原に出る。点在する涼しげな木立と咲き乱れる野花の絨毯を挟んで、新たな森が広がっている。その中間地点、進路の二〇〇メートルほど先には、一〇頭前後の大型動物の群れ。

「不思議生物発見」と成田。「山羊と馬を交配したキメラみてえ」

「ちょっとエルクに似てるな」と篠原。

「あいつら、襲ってくると思う?」とアキラ。

「なあ、隠れたほうが――」言いかけて、小林が息を呑む。

 エルクっぽいやつが一頭、すぐ脇の木立からぬっと現れたからだ。見上げるほどの巨躯だ。毛足の長い茶色の体毛、たくましい四肢、渦巻き型の立派な角、ハスキー犬や猫を連想させる青い瞳、野生の獣のきつい臭い。

「小林、落ち着け」篠原が小声で言う。「全員、動くなよ。刺激するな」

 エルクっぽいやつは人間に無関心な様子で進み出、少年たちのあいだを悠然と通り抜ける。成田が出し抜けに手を伸ばして、まるで乙女の黒髪を撫でるかのようにふさふさの尻尾をすくい上げる。

「すげえ。シルクみてえな手触り」

「ça suffit!」

 篠原がすかさずその手をはたき落とす。大型動物が平原のほうへ歩き去ったのを確認してから、フランス語で成田に怒鳴り散らし、やおら日本語に切り替える。

「刺激するなっつったのに、なんで刺激するような真似すんだよ、おまえは。頭がどうかしてんのか? しょうもねえ衝動をコントロールできねえのか?」

 成田がなだめるように両の手の平を向ける。「なあ、おれはただ――」

「黙れ、クソ馬鹿が。あのデカブツが素通りしたのは、極めつけに運が良かったんだ。おまえが馬鹿げた方法で自殺するのは勝手だけどな、おれらを巻き込むな。わけわかんねえ動物に手を出すんじゃねえよ」

「りょーかい、船長。金輪際、美しい動物に手は出しません。でも一個言っていい? 尻尾をちょっと撫でただけだし、なんも起こりませんでしたけど?」

「おまえ、日本語理解できてる?」

「おフランス帰りのあんさんより理解でけてへん道理がありますかいな」

 ったく、とアキラは二人のあいだに割って入る。お調子者の成田が篠原の怒りの火にガソリンをじゃぶじゃぶ注ぎ続けたら、血が流れる。今はこらえているようだが、篠原は喧嘩っ早い。成田も。

「はいはい、やめやめ。ストップ、ストップ」

 篠原が無視する。

「問題はだ、お気楽で無分別なことばっかやってるド低能がここにいることだよ。何が起こるかわからねえ状況にも関わらずな。マジな話、脳みそあんのか、ナリ?」

「蛙の国から来たにしちゃ日本語がとてもお上手でいらっしゃる」

 一触即発。

 アキラは伸ばした片手で篠原を、もう片方で成田を押さえる。

「おまえらやめろってば。ナリ、今のはおまえが悪い」

「〝蛙の国〟は取り消しましょう」

「じゃなくて、尻尾を撫でたこと。あれはぼくもどうかと思った。軽率すぎる」篠原に顔を向けて、「シノも言葉がキツすぎる。気持ちはわかるけどさ、もうちょい言い方を考えなよ。小林、見てないで手伝って。この二人引き離すの」

 いつもなら率先して動く小林が、のろのろと成田の腕をつかむ。その様子から、小林はメンタルの調子をだいぶ崩してるくさい、とアキラは心配になる。

 成田が柔らかい声音で言う。「腹が減ってるせいだ」

「腹?」とアキラ。

「ああ」篠原が同意する。「腹が空いてカリカリしてたかもな。でもナリ、今度アホな真似したら、口からクソを吐くまで蹴りまくるからな」

 成田が抜き撃ちガンマンの真似をする。「おいらのが速いぜ」

 いつものじゃれ合いに近い。

 少なくとも、火花が散りそうな張り詰めた空気は、もうない。

「行こう」

 四人は平原を越え、次の森に入り、小休止を取り、また前進する。

 アキラは休憩のたびに地図を描き足すが、実際のところ、描くべきものは少ない。目印になるものがないに等しい上、目に入るものときたら似たり寄ったりの地形ばかり。次第に、同じ場所を延々と歩き続けているような錯覚に陥る。

 時折、狐や狸に似ていなくもない動物がぱっと道に出、人間の姿を見るなり森の中へ戻っていく。灰色の大きな鳥が川べりで羽を休めていたり、鹿っぽい大型獣が対岸に現れたり。皆、疲れが見える。カラフルな昆虫を発見するたびに騒いでいた成田でさえ、目に見えて口数が減っている。






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