【行動】
「とりあえず方角がわかったな」数時間ぶりに篠原が口をひらく。
「それと時間」アキラは携帯端末をかざす。「スマホだと昼の二時。夏とか冬って感じでもないし、春か秋なら八時間くらいズレてる」
「早春と思われ」
と、成田が右手を差し出す。その手の平に一センチ大の紫色の物体が載っている。よく見る暇もなく、紫の物体が羽音を立てて飛翔する。宙高く舞い上がった小さな点を追って、みんなの顔が上を向く。
「虫があんまいねえし、夜は妙に冷えたし、そこらの草もなんか瑞々しくない? これから枯れていくっていうより、これから成長していくって感じで。だからたぶん春」
篠原がうなずく。「地球と同じ風に考えていいのはともかく、ぽいな。おまえら、スマホの電源落としてバッテリー温存しとけ。いつか必要になるかもだ。時計ならおれのがある」そう言いながら左手首のオメガの針を修正する。「午前五時ってことにしとくぞ。一日二四時間なのか謎だけど」
「で、どうすんの?」小林が迷子の三歳児のような顔で尋ねる。「てか、どうやって日本に帰んの?」
「すぐには帰れない前提で先のこと考えようぜ」篠原が立ち上がって尻をはたく。「実際、ムリくせえし」
「つっても……」小林が言い募るが、先が続かない。
「おれの考えを言うぞ。異次元ドアがまた開くかもしれないことを考えると、なるべくここを離れたくない。でも食料と水がない。雨風をしのげる場所もない。本式のサバイバルの知識もない。何より、この世界の知識がない。元やる気のないボーイスカウトとして断言させてもらうと、未知の植物と動物と昆虫がうじゃうじゃ繁殖しているかもしれねえ森に入って、シェルター作るとか食い物探すとかは論外だ。おれたちが主役の『一五少年漂流記』は確実に短い本になる」
「じゃ、どうすんの?」小林が繰り返す。
「移動しよう」篠原が三人を等分に見やる。「人里を探す。そもそも〝人間〟がいるのかどうかすらわかんねえけど、ここでじわじわ衰弱していくよりはマシだ」
昨夜の多数決で唯一の反対票を投じた成田は、これを聞いてにやりとする。「やっとかよ。だから昨日、さっさと移動しようぜっつったじゃん。この辺、モンスターがうろついてるかもなんだし」
「そしておれは、夜間の行き当たりばったりの行動は自殺行為だって説明したよな?」
小林が懐疑的な表情で話を元に戻す。「どうやって探すわけ?」〝もし見つからなかったら〟との副音声が聞こえてきそうな声だ。
野原の北側の遠い隆起を篠原が指さす。「まずあの丘に登ってここらの地形を確認する。人里をどうやって探すかはそれ次第。ちょっと待ってろ。この場所を記録するから」
「記録する意図はわかるけどさ――」と成田。「この場所から地球に帰れる見込みは低い気がしますけどね。帰れるならとっくに帰れてるでしょ」
「かもな、専門家さん。でもいつかここに戻らなきゃいけなくなったとき、正確な場所がわからないと困るのはおれたちだ」鞄からルーズリーフ式のノートとカッターナイフを出して、南のほうへ歩きだす。
「おーい」と成田。「そっちは丘と真逆なんですけど」
「あそこに木が一本生えてるだろ。ちょうどいい目印になる。おれらがこの世界に来た地点から木までの歩数を数えて、どの方向かわかるように印つけてくる」
「手伝うよ」
名乗り出たアキラに、篠原がちらりと笑みをみせる。
「じゃあ歩測、頼めるか? 普段の歩幅でいい」
「ほかのやつとカウントが違ってくると思うけど、それはいいの? ほら、ぼくはこの中で一番背が低いし」
「カウントの差は修正できる。身長かける〇・四五がおおよその個人の歩幅。あとは単純な算数。おれが踏み荒らした跡の真ん中らへんから始めてくれ。歩いてくるおまえを基準に印つける」
小林と成田が篠原についていく。
アキラは指示された地点に移動してから、約四〇メートル先の若木へと歩を進める。若木と向かい合っている篠原の横で足を止め、歩測の結果を伝える。
「五二歩」
「ありがとさん。っと、クソ」篠原が刃の折れたカッターナイフを下ろす。
幹の目の高さに刻みつけられたバツ印を成田が指でなぞる。「ちょっと浅くね?」
「カッターじゃこれが限界。この木が一年に何十メートルも成長しない限り、印が消えちまうことはないだろ。なあ、おまえら何か食うもの持ってるか? あと飲み物。よし。均等に分けるぞ。飴とかガムもぜんぶ」
各自の鞄に入っていたのは、飲みかけのお茶やスポーツドリンクが四本、食べかけのガムがふた包み、食べかけのアーモンド・チョコレートが二箱、のど飴が一袋、スナック菓子が一袋、ジャムパンが一つ。
「こんなんすぐなくなるぞ」と小林。
「節約する」と篠原。「腹がぐーぐー鳴るのを我慢すれば、チョコだけでも二、三日は動ける。問題は水。水がねえとその二、三日すらもたない。地形を確認しよう」
一行は野原を移動する。
丘のふもとに着くと、「おまえら先に行ってろ」と篠原はその場に留まり、腕時計を見ながらルーズリーフに何か書き込む。アキラは横からノートを覗き込む。
「地図?」
「そ。さっきの木からここまで約八分三〇秒。こうしておけば、距離を測るものがなくてもそこそこ正確な目安になる。この先、ぜんぶ歩数で記録するのは現実的じゃないからな」
アキラは来た道を振り返る。
「さっきの木まで……九〇〇メートルちょいかな。九二〇メートル」
篠原が片眉を吊り上げる。「目測できんの?」
「うん。何かを見たら、こう、自動的に? 距離がわかる。なんかちっちゃい頃からできた。自分でも未だにどうやってるのかよーわからんけど」
「ドイツの射撃場に行ったとき、レンジマスターのおっさんも同じことできるって自慢してたな。かなりレアな能力らしいぜ、それ」
「シノ、射撃やってたの? PRSみたいなロングレンジ?」
「クレー射撃。遊びで一時間くらい12ゲージぶっ放しただけ」
「ターゲットロードは反動が軽いらしいね」
「詳しいじゃん。慣れたらまあまあフツー。あっちの地元の一二歳でもバンバン撃てるくらいのモン。にしても雨宮、目がいいな。おれには遠すぎて見えねえよ、あんなちっこい木」
「シノ」アキラは片手を差し出す。
「何?」
「地図、代わるよ。図工みたいのは割と得意だから。隊長のおまえは手じゃなく頭を使ってくれ」
「〝隊長〟?」篠原が片頬で笑う。
「シノは合理的に判断を下してる。リーダーシップもある。みんななんだかんだでシノの言うことは聞く。だから隊長。実際家のまとめ役がいないと、ぼくらは終わりだ」
「雨宮、少なくとも一人はちゃんとものを考えてるやつがいて嬉しいぜ」
篠原がバインダーとペンをアキラに手渡す。
「地図は大雑把でいい。海賊の宝の地図みたいな感じで。指標になりそうな山や丘なんかの位置関係、わかりやすい目印、A地点からB地点までだいたいどの方角に何キロって具合に書いてくれ。目測が難しいときは歩いた時間で記録。平面図にするのが難しい情報とか、ごちゃつきそうな箇所は、メモで代用」
丘は遠目の印象より高く、急で、ローファーで登るには向いていないと判明する。アキラと篠原が遅れて三分の二ほど登ったとき、先に頂上に着いた小林と成田が口々にがなりだす。
「おい、川! あっちに川がある! 道っぽいのも! 早く来い!」
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