【過去形】
「グラティア――才能のことだね」アキラは自分なりの解釈を口にする。
「そうとも言える」とリラン。「語学と計算のどちらが素地に由来するのであれ、優れた資質の証左だ。腐らせておくには惜しい。だから従者にほしいと思った。そしてこれも重要な点だが、ぼくはきみを、友人として信用している。本に出てくる従者は忘れてくれ。対外的かつ伝統的な名称がそれしかないから使ったけれど、ぼくたちのあいだに上下関係を持ち込むつもりなどこれっぽっちもないんだ。公的な場では主従を明確にする必要も出てくるが、私的な場ではこれまでどおりさ。そしてきみに実際にやってもらうのは、秘書の仕事だ」
リランがスープに浸けすぎてぐずぐずになった赤パンの切れ端を口に入れる。
「秘書だって?」
「秘書とは――」
「それもわかる。ここを出たら、何か……大きな仕事をするの?」
「個人的な希望はともかくとして、そうなる公算が大だね。自分で言うのもなんだが、ぼくは上から期待されているんだ。出世頭さ。遅くとも一年以内に別の教区を任されるだろう」
「どこの?」
「アルマ=クフ派の教会が置かれている主要都市のどれか――東部だな、きっと。奉仕活動を命じられたとき、社会復帰した暁には難しい仕事が待っている、と上役がほのめかしていたから。なんにしろ、ぼくはとても忙しくなる。雑務全般を処理してくれる者が必要だ」
「でも見習いがいるんじゃ? ザツムのための。本にそんなことが書いあった」
「うん、助祭や執事がいる。でも彼らが有能かどうかは別の話だ。だったら、気心の知れた賢いやつがいてくれると心強い。ぼくにとっての利点ばかり挙げたが、もちろん、きみにも利点はある」
「自由」
「法的な制限はあるけれど、そう、自由が一つ。ぼくと契約を結び、従者になることで、きみはぼく個人の庇護下に置かれる。単純にきみを市から買うだけなら、三日もあれば話をつけられる。でも奴隷から解放するには、有色人種に寛容な大陸南部で手続きをしなきゃだね。任地へ赴く途中で寄るとなると……半年か一年は先になるかな」
「一生このままかもしれないと思ってたんだ。半年や一年なんてすぐだ」
「では――」
「待って。ナリタも従者にできないか?」
「犯罪奴隷はさすがに無理だよ。そこでもう一つの利点だ。きみが奴隷でなくなれば、友人のためにしてあげられることが増える」
「でも、この街を出て、だろ? しかも外国で」
「きみの気持ちはわかるよ。友人を置いて旅立つのは抵抗があるだろう。しかし、思わぬところで彼を救い出す妙案を思いついたり、いい知恵がもたらされたりするかもしれない。といっても、変に期待させるつもりはないんだ。何年、何十年とかけても結局、彼を救い出すことはできないのかもしれない。しかし今現在のきみの境遇よりは確実に、できることが増える。どうだい?」
アキラは視線を落とす。成田があの環境で何年、何十年ももつとは思えない。半年後ですら怪しい。あいつのために何をどうしてやればいいのかもわからない。でも、リランの言うとおりだ。ここにいるよりは、できることが増える。
「ジィー、とても悦びな提案だね」
「それはちょっとおかしな言い方だが……では?」
壁際で食事をしている奴隷仲間に立ち聞きされる恐れはなかったものの、アキラは声を落とす。
「問題がある。ぼくは軍からまだギオ……ギワクを向けられているかもしれない。どこの誰なのかって。ひょっとしたら、別の世界のことで」
「別の世界、ねえ」
「これは冗談じゃないんだ。二ヶ月半前、夕食の最中にぼくが連れて行かれたことがあったろう?」
リランが数秒考える。「うん、あったね、そんなこと」
「あの夜、ぼくを呼び出したのは軍人だ。たぶん偉いやつさ。捕まったときのぼくは、別の世界の靴を履いていた。彼はその靴を出して、どこで手に入れたのかと尋ねた。ぼくは、父親からもらった靴だから詳しいことは知らないと嘘をついた。それきり誰も来ていないから、上手く誤魔化せたんだと思う。でもわからない。ぼくがジュウシャになったら、きみにもギワクが向くかもしれない」
「ふむ」リランが推し量るようにアキラを見る。「ぼくのことはさておき、もしもきみが帰依して助祭になる勉強を始めれば、教会の庇護もいくらか得られる。万全とはいかないが、突然、不自然な状況下で行方不明になることはないだろう」
「だったら熱烈な転向者になるさ。勉強もする。ぼくが助祭なんて想像もつかないけれど。ただ、きみのことが心配だ」
リランが含み笑いをする。「いいかい? アルマ=クフ派は非主流だが、ロフトの国王陛下といえど、現職の司祭を不当に拘束などできやしない。そんなことをすれば、教会はおろか、総本山のあるカルナリー王国も敵に回す。カルナリーを敵に回せば、南部連合も敵に回す。独断専行で南部とのへその緒を切るほどロフト軍は馬鹿じゃないよ」
「でもこっそり連れて行かれたら?」
「現職の司祭と言ったぜ? こっそり連れて行くなんて不可能だ。ぼくが消えたら、ハルドガルダ教区の同僚が気づく。同僚がロフトの王都のロタリア教区へ報告し、ロタリア教区が総本山へ報告する。あっという間に知れ渡るよ」
「その同僚や総本山に裏から手を回されたら? 罪をでっち上げられたら?」
リランが鼻白む。「きみは……ずいぶん偏執的な考え方をするんだな」
「現実的って言ってよ。それに、ぼくのいた世界ではそういうことがよくあった。大きな利益のためなら人はなんでもやる。驚くほど汚くなる」
「きみにそれだけの価値があると」
「実のところ、ない。でもそう信じる人が出るかもしれない」
「まあ、教会関係者の皆が皆、清廉潔白じゃないのは認めるよ。世俗の利益追求に汲々としている聖職者は現実に存在する。派閥や足の引っ張り合いや権力闘争もある。でも、ぼくが嵌められる恐れはないと断言できる。ぼくは俗世の身分を捨てた一聖職者だが、大貴族の令息、という事実はどこまでもついてくるし、それに護られている」
「きみ、貴族なのか?」
「だった。過去形だよ。聖国の神学校を卒業するまでは、貴族だった」
「セイコクって?」
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