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【思いがけない日】




 リランは信用に足る。

 秘密を打ち明けてもいい。

 が、周りにいるほかの男たちとなると、そうもいかない。人の口に戸は立てられないし、漏れた秘密は大概、意外なルートで一番耳に入って欲しくない人物の耳に入ってしまう。かといって、その場しのぎの身の上話をひねり出すのは問題外だった。異世界の知識と常識に依然として多くの空白を抱える身で嘘をつこうものなら、矛盾または破綻するのが目に見えている。〝へえ、山暮らし? どこの国のなんて山だい? 何、自国の名前すらわからんほど外界と隔絶された集落? ほーう?〟。アキラとしては、やぶれかぶれでこう言うしかなかった。実はここへ来るまでの記憶がないんだ、と。

 当然ながら、こんなたわ言は五秒と通用しなかった。けれどもリランは深く追求せず、時々思い出したように〝記憶の塩梅はどうだい?〟とからかう調子で尋ねるようになった。

 アキラとしては、曖昧な返事ではぐらかし続けるしかない。

 このやり取りを周囲の者たちは面白がっている。そしてアキラの素性を好き勝手に推理している。新大陸出身の密航者。八つの大山脈を越えた先にあるという世界の果てより来たりし田舎者。海賊行為に失敗して捕まった南方民族。等など。中には、親の片方がカバラスに違いないと主張する者もいる。カバラス――周囲の反応からして、何か悪い意味らしい。普段ならすぐに語意を確認するアキラだが、そのときはリランに課された数字の書き取りに意識が向いていて、訊きそびれてしまった。

 沐浴を終えたミハイが、川から出しなに尋ねる。

「アクタリス、ホウヴェスト ズュ ファム?」実際のところ、どこ出身だ?

「日本。異なる世界の島国」アキラは母国語で答える。

「ホッフ?」何だって?

「ディスト ファム ヴァラカス フェラベフェラ」とても遠いところさ。

「イウーロゥラ? ユウラ エ オケアザニエ?」南か? 海の向こう?

「サルス アバフ」そんなところ。

 男たちが続々と岸に上がる中、最高齢のガレト爺さんがリランによろよろと近寄る。リランが音楽的な響きの言語で短く語りかけると、老ガレトが自分の手の甲に接吻して感謝の微笑を浮かべる。この奇妙なやり取りを日が高いうちに見たためか、アキラは久方ぶりに年長の友人のことを不思議に思う。近頃は最早、リランの特異性を意識すらしていなかったのだ。その異質な立ち位置と超然とした雰囲気に慣れきってしまったせいで。夕食後のへんてこな儀式が日常の一コマになっていたせいで。自身の行く末や現在の不安から目を逸らす工夫/心理的計略/自己欺瞞に心を砕きすぎていたせいで。

 老ガレトが岸に上がる。すでに半数以上の者が岸辺で濡れた服を絞っている。じゃぶじゃぶ顔を洗っている謎の多いリランと、そのリランを崇めている首輪の男たち。いい機会だ。そこで、発音はサイテーでも会話能力が格段に向上しているアキラは、以前と同じ問いをリランに投げることにする。

「ホッフ エスト ヴァー、リラン?」ぼくたちは何なんだ、リラン?

 リランも以前と同じ答えを返す。

「スカラヴァ。アキラ、ズェスト エ スカラヴァ。ダズ エスト――」スカラヴァさ。アキラ、きみはスカラヴァだ。それは――

「ディー バイカナン。ディー アルライ バイカナン ホッフ スカラヴァ エスト。アーカ……ディスト スカラヴァ、エイ?」知ってるよ。スカラヴァが何かはもう知ってる。そうか……ぼくはスカラヴァか。

 アキラは何日か前に、革装丁の本に登場する古代人ハーザの伝承を読んでいた。ハーザは神々に戦いを挑んだ英雄/反逆児/犯罪者だ。彼のファンタジックな生涯はともかく、ハーザは青年期のひと時、スカラヴァに身を落としたとされている。その過酷な人生の一ページから、言葉の意味は辞書を引かずとも容易に察しがついた。スカラヴァ――奴隷。

 そうではないかと思っていたが、やはりそうか。ぼくは奴隷か。

 アキラはとっくにその認識でいたし、心の準備はできていたはずだ。けれども、それが強い疑いに留まっていることと、他人から事実としてはっきり突きつけられることのあいだには、想像していた以上の開きがある。最初に動揺に襲われ、次に脱力感に襲われる。奴隷。ぼくは奴隷……

〝リラン、きみは何者だ?〟との二つめの問いは、舌に載せる前に意識からこぼれ落ちる。後悔の二文字が頭を占領する。確認なんてするんじゃなかった。自己欺瞞が日一日と困難の度合いを増しているというのに、わざわざ自分で自分の首を絞めたようなものじゃんか。

 アキラは、近づきつつある限界のことを思わずにはいられない。

 八二日めに土木工事が完了する。強制労働従事者の平均年齢と長雨による度重なる中断を思えば、悪くない工期だ。警備兵たちの満足気な顔もそう言っている。

 今、空堀は深さ六メートル、幅一〇メートルに拡張されており、敵にしてみれば、西門の突破は自殺任務に等しいだろう。

 工事完了に伴う特別休日を挟んだ八四日めの朝、首輪の男たちは新しい仕事を与えられる。西側の市壁の、南寄りの空堀の拡張作業だ。警備兵たちが、堀の奥行きと深さをそれぞれ五パド(一・五メートル強)増やすように指示する。

 昼休憩になって間もなく、見知らぬ連中が現場に現れる。

 新たな五〇名の首輪の男たちだ。

 そのグループは壮年に達していない者が多く、一様に筋骨隆々で、面差しが険しい。彼らに同行している警備兵にしても緩んだところが一切ない。管理下の集団をアキラたちのグループから離れた場所へ誘導しながら、油断なく監視の目を光らせている。アキラはこのときまで、似たような境遇の人達がほかにもいるとは想像していなかった。そして、口に運ぼうとしていた水のコップを取り落とす。現れたグループの中に変わり果てた友人の姿を見つけたのだ。




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