02.男爵令嬢ニナの商機
〈男爵令嬢ニナ視点〉
「婚約者様が喜ぶ方法……ですか?」
王都では珍しい小麦色の肌と暗闇のような黒髪。そして、逞しい体躯。そんな男が華やかなエリアをうろつく不審な様子に、周囲の空気はピリリと張りつめていた。
だが、小さな少女に頭を下げ、大人しく従いながらカフェテリアの隅に座るマルコ様の姿を見て、ようやく街の人々も安心したらしい。猛獣が手懐けられた瞬間に立ち会ったような、奇妙な安堵感がその場に広がっていた。
わたしは商売柄、多種多様な人々と接するため抵抗はなかったが、王都の人間にとって彼はあまりにも異質な存在だったのだろう。それほどまでに、屈強な男が一人でこの界隈を歩いているのは場違いで、かつ珍しい光景だった。
いったい何故一人でこんなところにいるのか。
あらためて理由を尋ねたわたしに、マルコ様が困り果てたように漏らしたのが、先ほどの言葉だ。
「うちは辺境という過酷な地にある。……そんな理由で、どうしても王都の人間とは距離があるんだ。それでだな、辺境伯家はいつも、その……お嫁さん探しに苦労していてね」
「馬車で五日ほどかかりますものね。王都で生まれ育った方々が、縁のない遠い土地へ行くことに不安を感じてしまうのは理解できます」
わたしが即座に距離を答えると、マルコは驚いたように目を丸くした。
実は、ゆくゆくは国外への輸出も視野に入れているため、辺境までのルートは調査済みだった。隣国へ荷物を運ぶなら、辺境伯領は必ず通らなければならない。だが、道中の安全確保を含めた輸送費が課題となり、隣国への出店はまだ現実的な目処が立っていない。
王都で辺境の情勢に詳しい者は少ない。
わたしが位置を的確に答えたことに、マルコ様は少しほっとしたように、強張っていた頬を緩ませた。
「そうだ。俺の婚約者は、多くの女性が敬遠する地であるにもかかわらず、縁談を承諾してくれた得難い方なんだ。学園卒業後に辺境へ来てもらう不安を少しでも和らげようと、在学中に交流を深めたいと思っているのだが……。お茶の誘いさえ断られてしまって」
「婚約者様は、本当は婚約に納得されていなかった……ということでしょうか?」
私の問いに、マルコ様は力強く首を振る。
「いや、彼女は聡明な女性だ。辺境が王国にとってどれほど重要な役割を担っているかも理解してくれている。……ただ、彼女の親友が……」
「親友、ですか?」
次の瞬間、マルコ様の穏やかな表情が一変した。
目の前に宿敵でもいるかのように拳を握りしめる。
「ああ。親友の婚約者の男が、学園で不実を繰り返しているらしくてな。親友のご令嬢は心を痛めて寝込んでしまっているようなんだ」
彼の言葉を咀嚼し、瞬時に彼の怒りの理由に共感して、わたしもつい身を乗り出す。
「ご親友の婚約者が……浮気男だったということですね! なんて酷い!」
「だろう! 許せんよな! そして、親友の相談に乗っているうちに、俺の婚約者まで男性不信になってしまったらしく……。裏切られるのが怖いと、俺との交流にも消極的になってしまったんだ」
「そんな……」
大型犬が粗相をして飼い主に叱られたかのように、マルコ様の眉がへにょりと力なく下がる。カフェテリアの小さな椅子に、巨体を縮めて行儀よく座るさまは、なんとも不思議な光景だった。
「俺としては……いや、彼女のためにも、王都にいる間に俺のことを知ってもらい、信頼関係を築いて、少しでも安心した気持ちで辺境に来てくれたらと思っているんだ。悩んだ末に、王都に詳しい方に女性が喜びそうなお店を教えてもらったのだが……いざ近くに来てみると、男一人では気後れして入れなくてな」
「……なるほど」
マルコ様は心底困っているようで、どうしたものかと悩むあまり周囲が見えていなかったらしい。ようやく落ち着きを取り戻したのか、彼は冷たいりんごジュースを一口飲んだ。
わたしも手元のブドウのタルトをフォークで口に運ぶ。これはマルコが、声をかけたお礼にとご馳走してくれたものだ。
ツヤツヤの宝石のような実を齧ると、濃厚でみずみずしい甘みが口いっぱいに広がる。
商売は順調とはいえ、わたしは小さな男爵家の娘。王都に来るたびに高級菓子を食べていたら破産してしまうので、これは貴重な機会だ。
話題の最高級品質のブドウ、おいしい。
こんな素晴らしいものをご馳走になった以上、そして商人としても、悩む彼をこのまま帰すわけにはいかない。
目の前の「お客さま」が何を求めていて、どうすれば満足してもらえるか。そして、どう次なる商機へと繋げるか。
それを考えるのが、ボーシャ家の娘としての矜持なのだから。
「まずは、相手が気負わないくらいの小さな贈り物を添えて、お手紙を書かれるのはいかがでしょうか」
「……だが、自分は洒落た男でもないし、流行りも全然知らないんだ」
「そこは勉強しないと! 王都の流行、例えば観劇の題材に触れるだけでもいいのです。もし婚約者様の方がお詳しいのでしたら、教えを乞うのもいいでしょう。お互いの好きなものを教え合うのが、一番の近道だと思いますよ」
格下の男爵令嬢であるわたしの、少し説教じみた進言にも、マルコ様は「そうだよなぁ……」と素直に頷いてくれた。
「しかし、男が一人でああいった女性が好む品を扱う店に入るのは厳しい。他のご令嬢や店の迷惑になってしまうだろう」
「それはそうですね。でも、わたしが付き添えば怪しまれませんよ。代わりに買ってくることも、一緒に贈り物を選ぶことも可能です」
わたしの提案に、彼は意を決したように深く頭を下げた。
「……ニナ殿。謝礼は必ず払う。どうか、俺の導き手となって助けてくれないだろうか」
誠実なその瞳に見つめられ、わたしは真っ直ぐな善意と少しの商機への期待を込めて、力強く頷いた。
それからというもの、マルコ様はボーシャ商会の店舗を頻繁に訪れるようになった。
両親に事情を話し、取引先との商談に使う応接室を貸してもらえるよう手配したのだ。もちろん、年頃の男女が二人きりにならないよう、従業員の立会いも万全である。
こうして、わたしたちによる『婚約者様と仲良くなろう作戦会議』がたびたび開催されることとなった。
両親も、最初は家格が上のマルコ様に恐縮していたが、彼の選民思想とは無縁な気さくな人柄に触れ、さらには「商機の気配」を敏感に察知したのか、今ではわたし以上に意欲的に会議へ参加している。
「学園で俺のような大男が突然近寄れば、怖がらせてしまうのではないかと……彼女の好きな色も、好みの香りさえも知らないんだ」
「それなら、お手紙に添える季節のお花や、リボンの色を工夫しながら、さりげなく探ってみましょう。次はどんな色かしら、と楽しみにしてくださるはずですよ」
贈り物の色選びといえば、相手の髪や瞳の色に合わせるのが定番だった王都において、季節に合わせてリボンを変えるようなサービスは、意外にも目新しかったようだ。
「婚約者様のお誕生日が近いのですか? それなら、とっておきの贈り物をしましょう」
「それがだな。贈り物を喜んではくれているようなのだが、一方で他の女性にも同じように配っているのではないかと疑われてしまっているらしいんだ」
「なるほど。あなただけのために用意した特別な品だと、心から信じてもらうことが不可欠ですね。マルコ様、我が商会で開発した新商品の、最初の顧客になっていただけませんか?」
相手の好みに合わせた容器に、世界に一つだけの刻印を施す。ボーシャ商会の新商品『あなただけの一瓶』は、瞬く間に王都で大評判となった。
マルコ様とのやり取りから生まれた新商品は、「買い物は女性がするもの」という王都の常識を塗り替え、眠っていた潜在的ニーズを掘り起こす革命となった。
「これまでは男性にはセンスがないから、女性は好きなものを自分で買いなさいと、小切手を渡す風習が根強かった。それも一理ありますが、やはり『自分のために選んでくれた』という事実に喜ぶ女性は多いようね」
「男性が気兼ねなく入店できる専用サロンのような店舗も需要がありそう。あるいは、商品目録を用意して、店に足を運ばずとも注文できる仕組みも面白いかもしれないわ」
「うちの美容品だけをお勧めしていても偏るわね。贈答品に適した他商会とも提携を結んで相互紹介の流れをつくりつつ、我が家でも服飾や宝飾品を扱えるよう、積極的に投資を進めましょう」
こうして一年足らずの間に、ボーシャ商会は「大切な人への贈り物といえばあの商会」と言われるほどの名誉な地位を確立したのである。
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恋の悩みは商機!
顧客満足度は100%。ただし、誠実な殿方に限る。
入学した学園で待ち構えていたのは、男子生徒たちからの熱烈な「予約」の嵐!?
だが、華やかな教室の隅で、ニナは一人の男に「危険な香り」を感じていた。
毎日1話ずつ番外編を公開中!次話は明日21時過ぎに更新予定です。




