04.第一王子レイモンドの結末
〈第一王子レイモンド視点〉
王立学園の卒業式が行われる、大ホールの傍ら。
扉の向こうから漏れ聞こえる歓声や熱気が嘘のように、その廊下は薄暗く、ひんやりとした静寂に包まれていた。
そこに、眩い金髪の青年が独り佇んでいる。
最後に会ったときよりも幾分か逞しくなっただろうか。騎士さながらに鍛えられた体躯に、厳かな濃紺の正装がよく馴染んでいた。
僕は、入場の順番を待つ弟の肩を、親愛の情を込めて叩いた。
「卒業おめでとう、アレクシス」
「兄上、何故ここに!?」
「父上と母上が急な公務で遅れていてね。代わりにお前の答辞をしっかりと見届けろと言付かってきたんだ」
アレクシスは一瞬だけ驚きに目を見開いたが、すぐさま姿勢を正すと「ありがとうございます」と深く頭を下げた。
ふと口角を上げ、穏やかに微笑むことも忘れない。実に貴族らしい、堂々たる顔つきだ。
公国への留学中、弟の様子は逐一報告させていたが……なるほど。王族として非の打ち所がないその佇まいに、兄として自然と頬が緩んだ。
少し意地悪な笑みを浮かべ、僕は核心に触れた。
「アレクシス。お前はもう、自分が王になりたいとは思わないのかい?」
弟の肩が、びくりと跳ねた。
向けられた視線が泳いだのは、ほんの一瞬のこと。彼はすぐさま居ずまいを正すと、その場に音もなく片膝をつき、深く頭を垂れた。
「滅相もございません、殿下」
視線を床に落とし、自身の首筋をさらけ出すその姿は、一寸の隙もない完璧な臣下の礼だった。
「……幼き日の私が野心を抱いていたことは否定いたしません。ですが、あれは分を弁えぬ子どもの戯言。どうか、お聞き流しいただけないでしょうか」
僕はその「完璧すぎる」態度を眺め、ふっと息を吐いた。
「ははっ、馬鹿だね。そんなに畏まらなくていい、本気にしていないよ」
「あ、兄上……? 一体、どうされたのですか」
僕はうろたえる弟を無視して、彼の澄んだ青い瞳をじっと見つめる。
こうやって兄弟で正面から向き合うのは、初めてかもしれない。
王家で家族が揃うのは公式の場くらいだ。僕が本に没頭し、私的な食事の場すら欠席しがちだったせいもあるが、弟とまともに言葉を交わした記憶をほとんど思い出せなかった。
「ごめんね、アレクシス」
幼い頃の傲慢さは消え、実直な青年へと成長した弟の頭に手を置く。いつの間にか、彼の方が僕よりもわずかに背が高い。こうして跪いていなければ、満足に頭を撫でることもできない。
せっかく整えた金髪をくしゃくしゃにかき乱しても、アレクシスは文句ひとつ言わなかった。というより、僕のらしくない振る舞いに、ただ目を丸くして呆然としている。
がむしゃらな部分はそのままに、よくもまぁ、これほど素直に立派に育ったものだ。
聞けば辺境伯家は、増長しがちな王族の子のために、代々教育を担っているという。その教育の賜物なのだとしたら、是非一度、辺境伯にその極意を伝授してもらいたいものだ。
弟ではなく、もし僕があのまま辺境へ行っていたら。
どうなっていただろうか……。
――珍しく、意味のないことを考えてしまった。
最後の大舞台を前に、少し感傷的になっているのかもしれない。
「――今日の卒業パーティーが終わったら、僕の持つ貴族の情報をお前に譲ろう」
弟の耳元で甘く囁き、僕は二階の王族専用席へと向かうため、彼に背を向けた。
(……だから、ディアナだけは僕がいただくね)
ディアナは、ニナ・ボーシャという男爵令嬢とアレクシスが恋人同士で、卒業パーティーで「婚約破棄される」と思い込んでいた。
あるとき、彼女が大切に抱えていたノートを盗み見たことで、その奇妙な妄想を知った。だが、彼女が本気でその『筋書き』を信じて動いているのは、観察していれば疑いようのない事実だった。
聡明な彼女が抱く、唯一の、そして致命的な不可解。
だが、僕にとってはそれすらも、彼女を唯一無二の存在たらしめる愛すべき魅力に映る。
せっかくなので、その結末に向けて少しばかり手助けをしてあげた。
ニナという娘に、差出人不明の手紙を渡しておいたのだ。
内容は――「ディアナは第二王子を愛していない。婚約破棄を心から願っているのに、自分からは言い出せないだけなのだ」と。
さあ、まずは彼女の筋書きを見守ろうではないか。
玉座に座ると、アレクシスが不安げな、あるいは怯えたような顔でこちらを見上げていた。政務会議では随分と慎重に動いていたようだが、弟はもう少し腹芸を磨く必要がある。
そして、瓜二つの兄弟による答辞と祝辞を終えた後、待望の喜劇は始まった。
ところが、どうやらこれは彼女にとって『想定外の出来事』だったらしい。
かわいそうに。いつだって誰よりも完璧で誇り高かったディアナが、成す術なく震えている。見たこともないその無防備な姿に、僕の心はまた浮足立つ。
さあ、次は僕の番だ。
僕は恭しく、ディアナの前で膝をついた。騎士の礼を捧げ、彼女の右手をそっと引き寄せる。
指先が小刻みに震えていた。
これが歓喜の震えではないことくらい、僕にだってわかる。触れた先から伝わる彼女の脈動は、捕らえられた小鳥のように速く、浅い。
あの確固たる自信があり、常に完璧な淑女を演じていた彼女が、この僕に全身で怯えている。
彼女の瞳の中に映る僕は、きっと救いの王子様などではないのだろう。
呼吸の仕方を忘れた魚のように、戦慄く唇。僕が彼女の指の間へ、強引に自らの指を割り込ませて絡めると、彼女の体温がさらに一段と下がったのがわかった。
氷のようなその肌に、僕は吸い付くように唇を落とす。
そして顔を上げると、案の定、彼女は絶望に染まった瞳で僕を射抜いていた。
ああ、これは。
――――なんて、甘美な味わいなのだろう。
完璧に維持してきた微笑みが、彼女の恐怖に呼応して、わずかに歪む。僕のわずかな変化を敏感に察した彼女はそれを見逃さず、喉の奥で悲鳴を漏らした。
ハチミツを垂らしたときのような、とろけるように濃厚な暗い悦びが、どろりと僕の胸を満たしていく。
――彼女によって、僕はまた新しい感情を知る。
第一王子レイモンド視点のお話はここで終わりです。ここまでご覧いただき、本当にありがとうございます!!もし少しでも面白いと思っていただけたら、下にある高評価【☆☆☆☆☆】やブックマーク、感想コメントなどなどで、ぜひ応援いただけると嬉しいです!
明日からは男爵令嬢ニナ視点の物語になります。次話は明日21時過ぎに更新予定です。




