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【閑話】とある公爵令嬢の焦燥



〈IF:前世の記憶を持たない公爵令嬢の場合〉



 学園に入学してからの日々は、期待とは裏腹なものだった。


 ディアナはアレクシス様から、学園の淑女たちを束ね、導く存在となることを期待されていた。しかし、現実は思うようにはいかなかった。



 一歩間違えれば、「王族の婚約者に内定しているかと調子に乗っているのではないか」と反感を買ってしまうかも――。

 その懸念(けねん)から、最初の一手を誤ったのだ。本来であれば、最高位の令嬢として堂々と振る舞い、周囲を自然と従わせるべきだったのに、自身の気の弱さがそれを阻んだ。


 勉強は得意な方だったが、人間関係の駆け引きは、教科書通りにはいかない。

 必死に王族教育の教えを思い出しながら対応してはいるものの、アレクシス殿下が望むような、淑女科を牽引する存在には至れずにいる。


 形ばかりの取り巻きといえる令嬢たちはいる。


 けれど、この学園の令嬢たちを掌握したと胸を張るには程遠く、流行の最先端を生み出し、女子生徒の憧憬(しょうけい)を一身に集めるなんて――今の私には夢のまた夢だった。





 学園生活の中で、ディアナはアレクシス様と月に数度お茶を共にする機会を設けられていた。


 しかし、淑女の輪の中心には程遠いどころか、影を潜めるように過ごすディアナに対し、殿下からは苦言を呈される日が増えていた。



「ディアナ、君より高い身分の令嬢はこの学園にいないのだ。もっと堂々と振る舞うべきだろう」


 アレクシス殿下が王族としての威厳を日に日に増し、演習や試験でも常に筆頭の成績を収めているという噂は、淑女科でも連日のように耳に入ってくる。

 殿下に憧れる男子生徒は後を絶たず、その側近の座を狙う令息たちが、競い合うように彼を囲んでいるという。


 アレクシス様からの「期待外れだ」と言わんばかりに向ける冷ややかな視線に、ディアナは小さく肩を震わせる。テーブルの下で握りしめた両手は血の気が引き、感覚を失うほどに冷たい。


 そんな彼女へ追い打ちをかけるように、殿下はさらに言葉を重ねた。


「君は周囲を教え導く側の人間であるはずだ。王族の隣に立つことの重み、そしてその役割を理解しているのか?」


「……申し訳ございません」

 私はただ、背中を丸めて縮こまりながら、消え入りそうな声で謝ることしかできない。


 王族教育の模範解答は知っている。

 けれど、人の心を掴む魔法の言葉など、どの教科書にも載っていなかった。


 私が震える手で茶器を扱う間にも、アレクシス殿下の視線は、窓の外――政経科の校舎の方へと向けられているような気がして、胸の奥が焼けるように痛んだ。


 



 学年が上がる頃、学園はとあるご令嬢の噂で持ちきりになった。

 ボーシャ男爵家のニナ様。


 彼女は、ディアナがどうしてもなれなかった「理想の淑女」の姿そのものだった。


 女性の身でありながら、男爵家の跡継ぎとして政経科に籍を置き、あの殿下に比肩するほどの優秀な成績を収めているという。

 さらに彼女は、近年急速に勢いを伸ばしているボーシャ商会の令嬢でもあり、その類まれなる経営手腕で商会を支えているという話が囁かれるほどだった。


 ディアナがどれほど王族教育を反芻しても、ついぞ得られなかった周囲を惹きつける力。

 ニナはアレクシス殿下のもとを訪れる際も、休み時間のカフェテリアでも、常に人々の輪の中心にあって、花のような笑顔を綻ばせながら楽しそうに談笑している。


 殿下が婚約者に求めた「周囲を導く存在」を、彼女はあざやかに体現していた。その眩しすぎる姿を、ディアナは遠くから見つめることしかできない。



 彼女のことを、ディアナはよく知っていた――。





「ディアナ、大丈夫か?」


 朝食の席で浮かない顔でいることを心配したのだろう。オーガストお兄さまが珍しく自分から声をかけてくれた。


 兄は言葉数の多い人ではないが、最近は気遣わしげな眼差しで、こちらの様子を窺ってくれていることには気づいていた。


「お兄さま……ご心配をおかけして申し訳ございません」

「学園で何かあったのかい?」


 父と母も食事の手をとめ、ディアナを見つめている。


「いえ……学園では皆様、よくしてくださっています。ただ、もっと上に立つ女性としてしっかりせねばと思うのですが、なかなか思うような振る舞いができなくて」


「あら……ディアナの振る舞いは淑女として完璧よ。親の欲目を抜きにしても、あの厳しい王族教育を修了した者にふさわしい、洗練された身のこなしだわ」


「でも……でも……アレクシス殿下の隣に立つためには、それだけでは足りないのです」


 幼い頃から大好きなピーチティーが、カップの中でゆらゆらと揺れるのを見つめる。



 王族教育の試験に合格しようと、たとえ淑女として非の打ち所がないと言われようと、アレクシス殿下の期待に応えられなければ意味がないのだ。


「……ディアナ、君は確かに王族の婚約者に内定しており、いずれはその一員となる身だ。とはいえ、アレクシス殿下は王位を継がれるお立場ではない。おそらく適切な時期に臣籍降下(しんせきこうか)され、新たに公爵家を興されることになるだろう。そうなれば、今と立場はさほど変わらないよ」


 俯いたまま黙りこむディアナに、隣に座る兄が躊躇いながらも、大きく逞しい手のひらで優しく頭を撫でた。


「それに、君は今も十分に公爵家の娘としての責務を果たしていると思う」

 お兄さまが優しく諭すように言うと、両親も深く頷いて同意を示した。


 ディアナは涙が零れそうになるのを、拳を握りしめてぐっと堪えた。


(でも、アレクシス殿下は、この王国のことを誰よりも考えて励んでいるお方。もっと頑張らないと――)


 


 そんな決意を余所に、事態は残酷なほど日に日に悪い方へと進んでいった。


 常に多くの男子生徒に囲まれているニナを、当初、女子生徒たちは遠巻きに冷ややかに静観していた。


 しかし、いつしかその輪の中に、勇気を出して加わる者が現れ始める。二学年の夏を迎える頃には、身分や性別を問わず、誰もが彼女を囲んで談笑を楽しむようになっていた。


 小さな男爵家の出身でありながら、常に流行の最先端を身に纏い、皆がこぞって彼女の真似をする。

 この学園の生徒たちの心をつかんで離さないニナに、アレクシス殿下までもが頻繁に言葉を交わすようになっていた。側近候補である宰相の息子や騎士団長の次男までもが、彼女の魅力に心酔している。


 このままでは、学園の淑女たちの中心はおろか、アレクシス殿下の隣という唯一無二の居場所さえ奪われてしまうのではないか。


 ディアナは日に日に、逃げ場のない絶望へと追い詰められていく。





 そして。

 ディアナは彼女に嫉妬して――。




遠ざかるディアナとの距離を埋めるため、王子が縋ったのは――「恋の聖女」。だがその正体は、婚約者が最も警戒する「運命のヒロイン」だった。


善意100%の相談が、最悪の断罪フラグを完成させる!?

次回、「第二王子の相談」

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