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17.第二王子アレクシスの葛藤



〈第二王子アレクシス視点〉



 ディアナ嬢に、避けられている。


 学園に入学して、早一カ月。入学初日の挨拶以降、彼女の姿を全く見かけない。まるで、俺が通る道だけを事前に避けているかのようだ。


 入学式の三日後、カフェテラスで偶然顔をあわせた際に一度だけ昼食を共にできたが、それ以来は接点がない。あのときは、「月に数回、共に昼食を摂らないか」と誘う絶好の機会だった。

 しかし、途中でレイモンド兄上が合流して三人での談笑になってしまい、結局二人きりで言葉を交わすタイミングを逃してしまった。


(……どうすれば、不自然にならずに誘い出せるのだろうか)




 卒業して婚姻を結べば、嫌というほど時間は取れる。頭では分かっている。


 ――けれど、俺は辺境で学んだのだ。深い信頼を築くためには、共に食卓を囲み、対話を重ねるという地道な歩みが何より大切なのだと。


 かつての俺なら、食事などただの栄養摂取に過ぎなかった。

 だが、辺境伯レオンに教えられたのだ。「食事の時間は、互いの無事を喜び、情報を共有し合う、何より尊い場である」と。実際に辺境伯家の人々や騎士たち、時には領民とも食卓を囲む中で、俺はその重みを知った。


 同じものを、同じ場所で食べる。


 身分の差はあれど、そこでは皆と心を通わせることができる。

 それはまるで魔法のような時間だった。 


 成人し、公的な立場に縛られる身となる前に、彼女との心の距離を少しでも縮めたい。


 そう願う俺は、また相手の事情を無視した独りよがりな想いを抱いているのだろうか。





「殿下、先ほどの武術の授業では圧倒的な快勝でしたのに、浮かない顔ですね」


 教室で最初に挨拶をしてくれたデリック・シクルスは、あれからよく俺に話しかけてくるようになった。


 デリックは、ギラギラとした出世欲を隠そうともしない男だ。そんな彼が、王位継承の可能性が低い俺に近寄ってくるのは少し意外だったが、本人はいたって気負う様子もなく、よく俺の傍にいる。


「さきほどの騎士科との合同授業には、かつて王宮の訓練場で殿下と手合わせした者たちも何人か混じっていましたよ」

「そうだったのか! それは挨拶をし損ねたな……」


 以前世話になった礼を伝えたかったのだが。まあ、次の機会があるだろう。騎士科の面々は授業が終わるや否や、そそくさと立ち去ってしまったので、今回はどうしようもなかった気もする。



 訓練場から教室へ向かう廊下を、並んで歩きながら言葉を交わしていく。


「……殿下が驚くほど強くなられていたので、皆、気圧されていたんですよ」

「辺境で鍛えられたからなぁ」


 トーナメント形式の打ち合いで、最後に残ったのは俺と、顔見知りの辺境出身の騎士だった。昔から辺境で鍛え上げられた猛者と接戦できたのは、ひとえにリース姉上の苛烈な特別稽古のおかげだろう。


「で、どうしてそんなに浮かないご様子なのですか」

「……おまえは婚約者とどういう関係を築けている?」


 その問いに、頭の回転が速いデリックは瞬時に状況を察したようだ。



「……俺の婚約者は、兄の元婚約者なんです」


 兄が学園で浮気騒ぎを起こした結果、婚約者であった格上の侯爵家が婚姻に難色を示したのだ。


 とはいえ、家としてこれ以上の醜聞(しゅうぶん)は避けたい。政略的な結びつきも強く、白紙に戻すには調整が山積みだった。

 そこで両家が導き出した妥協案が、兄を廃嫡(はいちゃく)し、次男であるデリックが当主候補として婚約を引き継ぐというものだった。


 貴族界では、それほど珍しい話でもない。だからこそ、王家を含めた貴族同士の婚約は、学園を卒業して成人まで、公にしないのが慣例なのだ。


「婚約者は一学年上で、同じ学園に通っています。ですが兄の一件がありましたから、先方の意向で、学園内では一切接触しないようにしております」


 もしもデリックが兄と同様の不祥事を起こした場合、即座に切り捨てられるように――。

 それが、侯爵家から突きつけられた『保険』なのだろう。



 テトラ公爵家は王国の筆頭貴族だ。その最高位の令嬢である彼女と、王子である俺が同級であれば、親睦を深める機会があるのはむしろ自然なことだろう。そう思い、昼食に誘おうとも考えていたのだ。


 だが、ディアナ嬢は俺よりもずっと賢く、慎み深い。万が一の不測の事態やあらぬ邪推を避けるため、あえて距離を置いているのかもしれない。




「ああ、婚約者の話でいえば、リドラス辺境伯のマルコ殿は有名でしたね」

「マルコ殿? どう有名だったんだ?」


 辺境で世話になった男の名が不意に飛び出し、俺は思わずデリックの方へ顔を向け、歩調を早めた。


「……うちの兄のような輩がまさにそうですが、一部の貴族男性は、学園にいる間に多くの女性と遊ぶのを一種の特権だとはき違えている節があります。婚約相手が格下の場合なら尚のことで、男性の浮気はある程度見逃すのが『淑女の美徳』だなんていう価値観も、まだ根強く残っていますから」


「……そんなものなのか」


「その中でマルコ殿は異質でした。宰相家のご令嬢である婚約者様一筋であることを、周囲に見せつけるかのように振る舞っていたんです。足繁くデートを重ね、贈り物を欠かさず、成人前からこれほど仲睦まじい姿を見せる例は極めてまれでした」


 十六歳、十七歳の頃といえば、同年代の異性への興味が尽きない年齢だ。


「マルコ殿の影響を受け、こそこそと不実(ふじつ)を働くくらいなら、婚約者と堂々と仲を深める方がよほど誠実で潔いのではないか――という風潮すら生まれつつあります」


「ほう……」


「噂の域を出ない話ですが、宰相家で大切に育てられたご令嬢の親友が、婚約者の浮気に苦しんで男性不信になっていたそうです。その親友を案じたご令嬢のため、マルコ殿が誠意を示し続けた結果、今の関係になった……なんて話も聞きますよ」


 マルコが、手紙で女性との付き合い方について熱心に尋ねてきたのは、そういう背景があったのか。

 デリックの話を聞く限り、彼は無事に宰相家のご令嬢との間に、確かな信頼関係を築けたらしい。


「まあ、殿下のお立場はまた格別ですからね。周囲は公然の事実として理解しているとはいえ、第二王子の婚約者となれば、羨望と嫉妬の的に他なりません。愚かにも嫉妬に駆られ、厄介事を仕掛けてくる輩もいないとは限りませんから」


「むむ……」


「婚約者様が学園内での交流に消極的でいらっしゃるのなら、相手の意向を尊重するのが、場合によっては最良の配慮かもしれません」


 デリックの言葉は、今の俺にはひどく重く響いた。



(……そうか。俺が無理に接触を図ることは、公爵令嬢としての彼女の立場を危うくし、不要な火の粉を浴びせることになりかねないのか)


 辺境での学びを活かそうと焦るあまり、俺はまた「相手の事情」を無視した独りよがりな振る舞いをしようとしていた。深く信頼を築きたいと願うなら、今は彼女の意志を尊重すべき局面なのかもしれない。






 教室にたどり着くと、いつものようにニナを取り囲む人だかりができていた。


 政経科には他にも数人の女子生徒が在籍しているが、彼女たちは淑女科の生徒との繋がりを求めて、休み時間は教室を空けることが多い。

 ニナ嬢も放課後などは女性たちとお茶を嗜んでいるようだが、日中は男子生徒たちが彼女を放さないためか、常に教室に留まっている印象だ。


 他の令嬢たちが「女同士の繋がり」を求めて去るなか、一人男たちに囲まれている彼女の立ち位置は、俺にはひどく奇妙に映った。


(……やはり、令嬢たちの世界というのはよく分からないな)



「ご令嬢たちの世界には、我々には踏み込めない領域がありますから」



 デリックのその言葉に、俺は深く頷いた。

 男の理屈では測りきれない何かが、あそこにはあるのだろう。




辺境を知らず、挫折を知らず、ただ「選ばれた者」として君臨するアレクシス。彼が向ける冷ややかな視線が、一人の少女を追い詰める。


傲慢な王子と、怯える令嬢。

誰も彼を止められず、誰も彼女を救えない。


次回、閑話「IF:前世の記憶を持たない公爵令嬢の場合」


次話は本日21時半頃更新予定です。

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