後編
●07●
翌日。二人はさっそくゴブリン退治の依頼を受け、現場へと足を運んだ。
受けた依頼は「山小屋がゴブリンの群れに取られちゃったので、駆除して取り返してください」というものだ。
ドラゴンシティ近くの山の中腹に、たまに木こりや冒険者が寝泊まりに使う山小屋がある。
ちょっとした保存食や毛布などが常備されたその小屋の一つが、十数匹のゴブリンに占拠されてしまったというのだ。
「お、いたいた」
時刻は正午。天候は快晴。山の中腹、少し開けた広場の中央に、問題の山小屋はあった。
丸太を組み合わせたログハウスである。その入り口に、二匹のゴブリンが眠たげに見張りとして立っていた。
「ゴブリンは基本夜行性だからね。昼は眠ってるんだ。見張りがいたのは驚きだけど」
「へー、知らなかった」
山小屋から少し離れた森の茂みに、クリスとラピスの二人は隠れて様子をうかがっていた。
クリスは革鎧にロングソード、背中には使えないバルムンク。
ラピスは紫の長衣に魔法の杖、という装備だ。
「奴らにとっては正午は真夜中ってこと。そこにこんな魔法をかける」
蒼髪の少年が、杖を山小屋へと向ける。
「"意識は・霞に・自我は・夢に・安寧を・安らぎを・彼の者達に・与えん――導眠雲"!」
チカラある言葉によって現実が書き換えられ――魔法が発動する。
山小屋が白い霞に包まれる。見張りに立っていた二匹のゴブリンもその霞に巻き込まれ――ばたりと倒れてしまった。
すぅすぅと寝息を立てている。一定範囲に吸うと眠ってしまうガスを発生させる魔法――導眠雲の効果である。
「よし、これで完全に無力化したよ」
「魔法ってすげぇな……」
感心しながら、クリスは茂みから抜け出し、剣を片手に極力音を立てないように山小屋へと近づく。ラピスもナイフを手に後に続いた。
「…………」
「…………」
二人は無言のまま、まずは入り口に倒れている二匹のゴブリンに近づく。ゴブリンはふごーと呑気に寝息を立てている。
二人はその喉元に剣とナイフを押し当て――一気に貫く。
「…………!?!?」
ゴブリン達は悲鳴を上げることも出来ないまま、死んだ。
二人はそのまま山小屋の扉を、静かに開ける。
山小屋の中はそのまま一部屋になっており――その中は十数匹のゴブリンが雑魚寝状態だった。
全て、入り口の見張りゴブリン同様――深い眠りに落ちている。
「…………」
「…………」
二人は先ほどと同じように、極力音を立てないように中に入り――眠るゴブリンの喉元を突き刺し作業に移るのだった。
●08●
「――うし、これで最後の一匹だな」
殺したゴブリンの死体を山小屋の外に集め、討伐の証として耳を切り取る。その作業を終えたクリスは、一息つく。
「うわぁ、長衣がドロドロだよ……」
近くで座っているラピスは、ゴブリンの血に塗れてどす黒く汚れた長衣に辟易した様子だ。
「しっかし楽で良かったな! 俺としてはこう、もっと斬った張ったってのでもいいんだが」
「一か所に集まってるってのが分かってたからねぇ。洞窟とかじゃ寝床が分からないから使えないんだ」
なるほどなー、と感心するクリス。
昼下がりの陽光の下、弛緩した空気。二人はゴブリン退治を終え、完全に油断していた。
「――ブォォォォォォッッッ!!!」
「――え?」
――ガッ!!
突然の衝撃。背後からの衝撃に、クリスは吹っ飛び――ごろごろと転がる。
「クリス!?」
「――ぅぐぇほっ! ごほっ! な、何だ――?」
吹き飛んだクリスに慌てて近寄るラピス。クリスは咳き込みながら、何とか膝をついて立ち上がる。
「ブルルルルルル……」
そこには、クリスとラピスよりも一回り巨大な人型モンスターが立っていた。
緑色の肌、醜悪な顔、肥満気味だが筋肉質な身体――ゴブリンが巨大化したかのようなモンスター。
「――ホブゴブリン」
戦慄と共に、ラピスがその名を呟く。
ホブゴブリン。突然変異、あるいは成長によりゴブリンが強化されたモンスターである。
ゴブリンよりも大柄で強力な彼らは、ゴブリンを率い、群れの長になるという。
「――あの山小屋のゴブリン達は、あのホブゴブリンに率いられた群れだったんだ……だから"見張りを立てる"なんて高尚なことを……」
「――ラピス! しっかりしろ!」
茫然とするラピスに、クリスが声をかける。山小屋の周りの茂みに隠れていたホブゴブリンの不意打ちは強力だったのか、彼の口元からは血が流れている。しかし、その目はむしろ燃えていた。
「あ、ああクリス――大丈夫!?」
「あいつの一撃はバルムンクに当たったからな」
口元の血を拭いながら、ニヤリと笑うクリス。彼の言う通り、ホブゴブリンの棍棒の一撃はクリスの背後を狙い――バルムンクへと当たった。バルムンクが盾代わりとなったことで、ダメージが軽減されたらしい。
「少しは役に立ったな」
言いながら、クリスはロングソードを抜き、両手で構える。視線は当然、ホブゴブリンに向けて。
「ラピス。俺がアイツを抑える。その間にアイツを倒せるような魔法を唱えてくれ!」
「ちょっとクリス、待って――」
「頼んだ!」
ラピスの制止も聞かず、ホブゴブリンへと突撃するクリス。ホブゴブリンは迎え撃つように、棍棒の一撃を彼へと加える。
激突音。
ホブゴブリンの大上段の一撃を、クリスは剣で受け止める。
「――ブォォォォォォッッッ!!!」
苛立ったホブゴブリンが滅茶滅茶に棍棒を振り回すが、彼はそれらを剣でガードしていく。
攻撃はしない。この乱舞では受けきるのに精いっぱいで攻撃は出来ないし、多少斬りつけた所でホブゴブリンの見るからに分厚い皮と脂肪の前では致命傷を与えることは出来ないからだ。
剣では無理だ。だが――
「"炎よ!・さらなる勢いを・さらなる力を・さらなる破壊を・彼の者に・もたらせ!"」
ホブゴブリンの攻撃を受けるクリスの背後で、ラピスが杖を掲げ呪文を唱える。呪文に呼応し、杖の先には巨大な火炎球が形成されていく。
「いくよクリス!」
「うし!!」
ラピスの合図に、クリスがバックステップ。ホブゴブリンと距離を取る。乱舞の最中に相手が離れ、ホブゴブリンの棍棒は宙を切った。そのことに戸惑ったのか、モンスターの動きが止まる。
それが、致命的な隙となった。
「――"火炎球!!"」
――轟ッ!!
ラピスの呪文と共に、ホブゴブリンの巨体を飲み込むほどに成長した火球がモンスターへと叩き込まれる。
火球の炎熱はホブゴブリンを焼き焦がし、断末魔の悲鳴さえ飲み込んで、爆裂した。
炎が弾け、後には黒焦げとなったホブゴブリンの死体が残る。それはどさりと音を立てて倒れた。
「――っはぁ――危なかった……」
それを見届けたクリスが、大きく肩を揺らして息を吐く。その背後では、ぺたんとラピスが滝のような汗を流してしりもちをついていた。
「はぁ、はぁ……最大威力の魔法で倒せてよかった……もう精神力使い切っちゃったよ……」
「あぶねー……」
倒せなかったらどうなっていたか。ごくりと唾を呑む二人。そのまましばらく、茫然としていた。
「……とりあえず、ホブゴブリンの耳を切り取ったら――ちょっと休もうぜ。ギルドには夜までに帰ればいいだろ」
「そうだね……」
言って、立ち上がるクリス。彼がホブゴブリンの死体へと近づいた、その時。
――ズドォン!!
壮大な衝撃と爆発音と共に、山小屋が爆発した。
「――なに、が――」
ボロボロと丸太の破片やら山小屋の残骸が落ちてくる中で、ラピスが茫然と呟く。
爆散した山小屋の跡地。爆破によって生じた煙が晴れ――そこには一匹のナニカがいた。
先ほど戦ったホブゴブリンを越える巨体。黒い硬質な殻に覆われた身体。顔から下に突き出た、一対の巨大なハサミ状の顎。
人型のクワガタムシ、とでも言うべきそれは、少年二人を見定め――
「見つけたぜ、クソガキ」
底冷えするような冷たさの声で、そう言ったのだった。
●09●
「だ、誰だお前!!」
突然現れた人型クワガタムシに、咄嗟に剣を向けながら問うクリス。ラピスも慌てて立ち上がり、杖を相手に向ける。
「俺様はマリスタッグ。"魔人"様だ、様をつけろよ様を」
マリスタッグと名乗ったモンスターは少年二人を見比べ、背中に黄金の鍔の剣を背負ったクリスの方に視線を向ける。
「それがバルムンクだな? つまりテメェがターゲットってわけだ。まぁどっちも殺すんだが」
そのままのっしのっしと悠然と歩いてくるマリスタッグ。動きはゆっくりだが、その視線には明確な殺意があった。
「殺すって……やらせるかよぉッ!!」
「待って、クリス!!」
ラピスの静止の声も聴かず、マリスタッグへと突撃するクリス。疲弊した身体に活を入れ、大上段に構えた剣を、勢いのままに振り下ろす。
だが――
――キンッ
「え――?」
マリスタッグの黒い殻に覆われた身体に叩きつけた剣が、折れた。折れ跳んだ刃がクルクルと回ってクリスの背後に落ちる。モンスターの装甲には傷一つついていなかった。
「効かねえんだよなァ――――ッッッ!!」
ゴッ
マリスタッグの巨腕から打撃が放たれ――鈍い打撃音と共に、クリスが吹っ飛ぶ。彼はしばらく宙を滞空し、ラピスの近くに頭から激突した。
「クリス!!」
悲鳴を上げ、クリスに近づくラピス。倒れたまま起き上がれない彼を助け起こす。ごほっと咳き込んだクリスの口からは、ホブゴブリンの不意打ち時よりも大量の血が吐かれた。
「――なんなんだ、あいつ」
「――"魔人"」
打撃の衝撃でまだ動けないクリスの疑問に、ラピスは震える声で応える。
「本で読んだことがある。魔王の力を直々に受けて、パワーアップしたモンスター、それが魔人。奴らは絶大な力を持っていて、人間じゃあ絶対に勝てないって言われてる」
「絶対……?」
「うん、絶対。魔人は魔人結界っていう結界を張っていて、人間の攻撃を全て弾き返してしまうんだって……」
「だから、俺の剣でも傷一つつかなかったのか……」
魔人結界は人間の攻撃を全て弾き、通さない。ゆえに、人間は魔人に勝てない。
ガチガチと震えながら、ラピスがクリスを抱きしめる。
その震える腕を、クリスははがそうとする。
「逃げろ、ラピス」
「何言ってんだよ、クリス!」
「あいつ、バルムンクがどうとか言ってた。狙いは俺だ。だから、お前だけでも逃げろ」
「出来るわけないだろ!? キミを置いて、逃げるなんて……!」
「このままじゃ死んじまうんだぞ!!」
ラピスの腕の中で、クリスは彼の目を真っ直ぐに見て、叫ぶ。
「このままじゃ二人とも殺されちまう! お前だけでも、逃げ――」
「逃がさねぇよ」
上から、冷たい硬質な声が響く。
いつの間にか二人に近づいていたマリスタッグだ。彼はラピスの首を掴み、持ち上げる。
「まぁまずは前菜だな。いい声で哭けよ?」
「ひぃ――ッ」
舌なめずりするようにラピスの顔をねめつけ、ガチガチと顎を鳴らす魔人。
その不気味さ、恐怖に、ラピスは声を上げることも出来ない。
「おいやめろ! そいつは関係ないだろ! お前の狙いは、俺――」
「うるさい」
ガッ!
抗議の声を上げるクリスを、マリスタッグは雑に蹴り転がした。
魔人にとっては軽い一撃。人間にとっては、致命傷になりうる大打撃だった。
「――ごほっ、がはぁっ……!」
ゴロゴロと転がされ、血反吐を吐くクリス。折れた剣もどこかに行ってしまい、泥だらけで倒れ伏す。
――畜生、何なんだ一体……!
殴られ、蹴られたダメージが激痛となって身体中を駆け巡っている。その中で彼が感じたのは、理不尽だった。
意味が分からない。
新米冒険者としてゴブリン退治に来て――ホブゴブリンの不意打ちと言うアクシデントもあったけど何とか乗り切り、一休みして帰ろう――そんな日常の冒険が、一転。
人間では絶対に勝てないという魔人なんて化け物に襲われ、仲間の危機。自分は大ダメージで指一本動かせない。
何なんだこれは。
クリスは、退屈を嫌っていた。日常に埋没することを恐れていた。何かが変わる、非日常を望んでいた。
冒険者になったのも、バルムンクチャレンジに挑戦したのも、そのためだ。
だがこれは無い。あんまりじゃないか。突然魔人に襲われて終わりだなんて、ひどすぎる。
――俺だけならいい。俺が馬鹿を見た、それだけで済むから。
――だけどラピスは、関係ないじゃないか……!
冒険者仲間のラピス。非日常を求め、馬鹿みたいなことをする自分に、ずっと付き合ってくれる大切な友達。
彼を、自分の馬鹿で犠牲にするのだけは、嫌だ。クリスは、そう強く思う。
――頼む、神様でも何でもいい。
――俺はどうなってもいいから。
――ラピスだけは、助けてくれ――
『――助けるのは君だ、クリス』
クリスの祈りを聞き届けたのか。あるいは偶然か。
クリスの胸中の叫びに応えた声は――クリスの背後、背負ったバルムンクから聞こえてきたのだった。
●10●
『私はバルムンク。緊急事態につき強制再起動した』
「ばる、むんく……?」
地面に倒れ伏したクリスは、背負った剣――バルムンクから聞こえる声に、怪訝な声を上げる。
『自動治癒完了。君の身体の傷は修復した』
「修復……? あ……!」
気づけば、クリスの身体を襲う激痛は消えていた。突然の事態に戸惑う彼は、背中の剣へと問いかける。
「一体、何がどうなって――」
『説明は後だ! 立て! 君の大事な友を護る為に』
「友――」
ラピス。
顔を上げると、魔人マリスタッグに首ごと持ち上げられたラピスが、魔人の大顎によって挟み切られようとしている所だった。
「――待てェ――――ッッッ!!!」
叫び、立ち上がり、走るクリス。バルムンクの言葉通り、身体に痛みは無く、走りは軽やかだった。
「ああん? 何だよお前かよ……お前は後で相手してやるから寝とけって」
「――クリス……?」
突然の叫びに、怪訝な視線を向ける魔人と、首ごと持ち上げられたラピス。
ラピスを持ち上げる魔人の手目掛けて、クリスは走る勢いのままに思い切り殴りかかる!
「ラピスを、放せェッ!」
「はっ人間の攻撃が俺に効くわけねーだろッ!」
嘲笑う魔人。その言葉を無視し、クリスは魔人の手首を殴りつける!
――バキィッ!!
快音。金属がへし折れる音と共に、魔人の手首が砕け散る。
「――なん、だと?」
砕け散り、手首から先が無くなった腕を見ながら後ずさる魔人。
その前に、クリスが立つ。背後のラピスを護るように、彼は背中のバルムンクに手をかけた。
『私を使え! クリス!!』
「応!!」
そのままバルムンクを引き抜き、構える。あれほど重かった重量は感じられず、羽毛の様に軽かった。
石の様に輝きを無くしていた刀身は、見違えるように――白銀に輝いている。
「馬鹿な、ありえない……俺様は魔人だぞ!? 人間に負けるはずがない、選ばれたモンスターだぞ!? それが、なんで――」
茫然自失の状態でぶつぶつとつぶやくマリスタッグに向けて、クリスがバルムンクを大上段に構えて走る。
「"バルムンクゥゥゥゥゥゥ……スラアアアァァァ――――ッシュ"ッッッ!!!」
「この俺様が/
/人間如きにィィィィィィ!!!」
――斬ッ!!!
振り下ろしたバルムンクの一撃は、傷つくはずのない魔人の装甲を断ち切り――魔人を断末魔ごと両断した。
魔人の骸はそのまま、バルムンクを構えるクリスの左右へと倒れ伏すのだった。
●11●
「大丈夫か!? ラピス!!」
バルムンクを背に、ラピスへと近づくクリス。
蒼い髪の少年は、仰向けに倒れたままだ。その胸は呼吸に合わせて動いている。
意識は失っているが、無事なようだった。
「良かった……」
安堵するクリスに、バルムンクが話しかける。
『クリス。改めて名乗ろう。私は対魔人用聖剣バルムンク。魔人を、魔王を斬る為の剣だ』
「魔人……魔王?」
余りにも大仰な名前に、クリスは話が大きすぎてイメージが出来なかった。魔人は聞いたことも無かったし、魔王なんてそれこそおとぎ話の存在だ。
『奴らはすでに目覚めている。私は、彼らの活動に呼応して目覚めるのだ。この世界を、魔王達から護る為に。
クリス。君は私を振るうことが出来る唯一の人間だ。世界のため、君に協力して欲しい。
――私と共に、魔王達から世界を護ってくれ』
バルムンクの言葉。大仰で、一介の新米冒険者には途方もないスケールの話だった。
だけど。
「――魔人ってのは、これからもこうやって襲ってくるのか?」
『おそらく。君を狙ってくることもあるだろうし――あるいは関係のない第三者を狙うこともあるだろう』
魔人によって、理不尽に誰かの日常が破壊される。その人の意志など関係ないままに、魔人によって蹂躙される。
それは、許せないことだ。
「そうか」
震えながら、バルムンクの柄を掴むクリス。
彼は確かに望んでいた。退屈な日常を変えるような、非日常への変化を。
それが、これほど恐ろしいモノだなんて知らなかった。
それでも、彼はもうその非日常を知り――その理不尽によって、奪われる日常の大切さを知っていた。
だから。
「分かったよバルムンク。俺は、お前に協力する」
クリスは、そう宣言した。
――こうして。一介の普通の新米冒険者、クリスの物語は一度幕を閉じ――
――"魔人狩り"の聖剣使い、クリスの物語が始まるのだった。
普通の冒険者が伝説の剣を抜いたら END
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