↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
君を想う。  作者: 倉間弥栄
PR
3/6

「君は気付いてくれましたか?」

貴方の笑顔も貴方の優しさも貴方の言葉もすべてが愛おしい。だから見守っています。末代までの貴方の幸せを願って。




 さわさわと風が木々を揺らす。相変わらずここは涼しげな場所だ。首にタオルを巻いてTシャツを肩まで捲り高校のジャージを膝まで上げる。

「よっしゃ準備万端やざ!」

 祠の清掃をするためにバケツやブラシなども家から持ってきた。葵もワンピースの下に七分丈のジーンズと環の運動靴を履いて用意周到である。

 お稲荷様の祠はやはり雑草と苔、土にまみれて薄汚れていた。誰の手にも手入れされておらず何年も放置されていたのは明らかだった。

 ふと葵を見ると茫然と立ち尽くして祠を見つめていた。何か思うことがあるのかと思ったが彼女は茫然自失したように動かない。

「葵?…バテたん?連れて来んかった方がえかった?」

 声をかけると葵は我に返って大丈夫と声も出さずに微笑んだ。ここは直射日光がないし平気だと思うが、しっかり注意しておこう。

「ならええけど。やることたくさんやのぉ。ほや、まず雑草抜きしよっさ」

 葵は静かに頷くと言われたまましゃがみ込んで雑草抜きを始めた。こう雑草が多い場合、カマで苅るより根気よく根っ子から一本一本抜いていくことが一番だ。基本中の基本である。そうすれば何度も雑草抜きする手間が省けるだろう。時間かけてしっかりやればその内きれいな更地になってくれる。

「…………………」

「…………………」

 黙々と雑草抜きをしていたおかげで思ったより短時間できれいな土が顔を出した。手に取れば案外さらさらとした土で畑の土壌に良さそうだ。

 次はおきつねさんやね。

 先ほど近くの川で汲んできた水に雑巾を濡らす。葵は右の稲荷像を、自分は左の稲荷像と分担して掃除することに決めた。どちらも同じように土や砂で薄汚れてコケまで生えている。

 まず頭から洗おうとして雑巾を稲荷像に近付けたとき、その顔にひびが入っていることに気付いた。

『お前、大丈夫か?』

『すまん、痛かったやろ?すまんな』

 そういえば、と完全に手が止まる。十年以上前にここで狐を助けたことがあったことを思い出した。珍しい純白の色をした狐だった。

 あの狐も頭に怪我をしていたから自分が包帯を巻いたんだっけ?

「あんな、小さい頃ここで俺狐を助けたことあるんやざ。キツネなんて珍しいもんやったなぁ」

「…………」

「どうしてるんやろうなぁ」

 そう一人呟くように言った。ときどきそのキツネのことを思い出すことはあった。けれど今は明確にあの時の光景が頭に思い浮かぶ。

 抱き上げた狐が予想以上に軽かったことも雅やかな白い毛の肌触りが良かったことも。

「……葵?」

 不意に彼女のことが気になって名前を呼んだ。けれど彼女は茫然として黙々と機械的に稲荷像を雑巾で拭っていた。

 やはり何か思い詰めることがあるんだろうか。不安に駆られ、声をかけようか迷う。

 大丈夫なん?そう問い掛けようとしたとき、彼女は顔を上げて出来ましたと口を動かした。

「ほうか、ありがとう。…ほんまは雨降ってくれると有り難いんやけどな。日照り続きやし作物も心配やざ」

 はいと彼女は困ったように微笑んで頷いた。その笑顔が無理をしているようで少し心が痛む。本人は隠しているつもりなんだろうが薄々自分は気付いていた。

 その時、突然葵が自分に向かって腕を伸ばしてきた。その手にハンカチを持っている。なされるがままの状態で待っているとどうやら汗を拭ってくれたらしい。

 悩んだ挙げ句、その手を取る。

「葵、話しとうないなら無理に話せんでええ。ほやけど頼ってくれてええんよ?それとも俺そんな信用あらへん?」

 驚いたように目を見開いたあと、葵は真っ直ぐに自分を見つめながら首を振った。葵の手を取った自分の手に彼女の手がもう片方重ねられる。

「急にすまん。やけどもっと頼って欲しいんよ。葵のこと、放っておけんもん」

 そう言うとまたぽろぽろと葵の目から大粒の涙が零れ落ちてきた。拭っても拭っても溢れて止まらない。

「また泣いとる。葵はよう泣くね」

 安心するように、落ち着けるように、優しく彼女の頭を撫でる。

「のぉ、俺の前で泣くゆうことは信じてくれとるってことやろ?そう思ってまうで」

 窺うように彼女の顔をのぞき込むと葵はまた泣き笑いの表情でひとつ頷く。

 まさか頷いてくれるとは思わなかった。不意打ちを食らって心臓が大きく高鳴る。それを誤魔化すように小さく笑った。

「はは、なんやほんま?…ありがとう」




 祠の掃除が終わって汗を流すと、少し遅い昼食を家族揃って共にした。次に行く海へは環も行きたがっていたそうだが父が気を回したらしく、大人しく車で海へ行く自分たちを見送ってくれた。

 1時間近くかけて行った海辺に人はいなかった。夏真っ只中だというのに海水浴の客はひとりもいない。

「なっなっ!広いやろ?プライベートビーチやざ!まぁ海水浴場としたら狭いかも知れへんけどな」

 横遠くに広い海水浴場が見える。ここは遊泳禁止の場所だから人はいないのだ。今回は葵に海を見せるためだけに来たのだからその点は問題ない。

 葵はというと、夢中になって輝かしい目で海を見つめていた。海を見たのは生まれて初めてらしかった。えらく興奮して感動している。

「俺もすぐ行くけ。先行ってええよ」

 そう言うやいなや、葵は靴を脱いで小走りで海へ駆け出した。彼女の黒髪が風にすくわれてさらさらと後ろになびく。さながらシャンプーのCMを見ているようでクスッとひとり笑った。白いワンピースを着た彼女が青い海に溶けたようだった。思わず見とれてボッーと立ち尽くす。

「ほんま夏がよう似合う子やなぁ…」

 自然にそんな言葉がもれていた。葵は子どものような年ではない。けれど無邪気に海に興奮し感動する彼女の様は子どものそれと似ていた。見ているこちらまで幸せになる。

 にやけそうになる自分を抑えて彼女のもとに駆け寄ろうとしたその時だった。葵が本当に海と空に溶けたように見えた。正確にはほんの一瞬、彼女の向こうの景色がその輪郭の内に見えたような気がした。

 漠然とした不安と胸騒ぎが襲う。得体の分からない恐怖に身がすくみそうになる。何がどうなってるんだろう。

「葵…!」

 焦燥感を募らせたまま葵の腕を掴むと、いきなりで驚いたのか、彼女もまた困惑した表情でこちらを見上げた。いや、もしかしたら自分の不安が彼女に移っているのかも知れない。

 確かめるように彼女の手を握ったあと、謝罪の意味を込めて小さく微笑んだ。

「夕陽、きれいやね。少し眺めよっさ」





 夕陽はもう傾きかけていた。けれどまだ時間が惜しくて二人で砂浜に座り込む。水平線に沈んで行く夕陽が寂しげに辺りを照らす。見ると、また茫然としたまま葵は夕陽を眺めていた。

「大丈夫なん?そろそろ戻る?」

 葵は首を振った。繋いだままの手を離そうとして逆に葵に握り返される。どうしたんやろ。

 ジッとこちらを見つめたままの葵を待っていると、不意に聞こえたのは意外なものだった。

「もう少し、こうしていたいです」

「葵、声が…?」

 確かに葵の声だった。朗らかな優しい声で彼女が微笑む。いきなりのことで何が起きたか理解に追いつかない。

 それでもまず心を占めたのは彼女の声が聞けたことだ。

「やっと、やっと声聞けたな。これで葵とも二度目の再会やね」

 嬉しくて思わず自分の額を葵の額へくっつける。これは憶測でしかない。彼女の出逢いはあれが初めてではないと思った。

 彼女がどんな存在であってもいい。ただ今は、そばにいてほしい。




 ***




 私がこの地に存在するようになって幾年が経ったのだろう。何年、何十年。もう百年以上は経ったろう。

 その間、様々な出来事を見て経験し、時代は移ろいでいった。もう記憶が朧気なところもある。

 そういえば、どうして私は藤人さんと一緒にいるんだろう?何故ここにいるんだろう?頭がもやもやしている。まるで霧がかかったように。

 少し考えて思い出した。私は彼によくしてもらった過去がある。祠の前で彼と再会し、恩返しするためだ。

 それで?今私はなにを…。そうだ。私は藤人さんと一緒に祠を掃除しようとしていたんだ。

 このところ記憶が続かない。寿命がきているらしい。神に寿命なんて、おかしな話だ。

 祠の掃除は午後過ぎまで渡り、少し遅い昼食を終えたあと、藤人さんは車で海へと連れ出してくれた。それはもう、圧倒されるほど雄大で輝かしい青が広がっていた。

 空は果てなく限りないが、海には果てがある。海の向こうには見たこともない国や島々があるらしい。けれど果てを感じさせないこの海の広大さに感動した。

 海に足をつけると案外冷たくて驚く。青空より少し濃いぐらいの紺碧の海だった。その青さが不思議で海水に手を伸ばす。手ですくってみると海水は透明になって手から零れ落ちていった。

 川や水たまりは空の青さが反映される。それなら海がこんなにも青いのは何故?まるで藤人さんみたいだ。この海の広さが、深さが彼の心の器のように見えた。大きくて優しく包んでくれるような海の青さが彼に似ている。

『葵…!』

 そう呆然として見ていると、突然藤人さんが焦った顔で腕掴んできた。けれどすぐに安心したような困ったような笑顔を向ける。それからなんでもないと全力の笑顔。その表情の裏で自分を心配してくれているだろう思いが垣間見えた。

 気付くと空は夕暮れだった。

『夕日きれいやね』

 少し眺めて行こうか、優しい声色で彼は囁いた。気付いていないだろう、繋がれたままの手にそっと力を込める。砂浜に座り込むと少しだけ彼にもたれた。








『雨が降らん、作物は全滅じゃ』

『米やって実らんのやざ』

 乾き切った風。やつれて骨だけになった人々。彼らは雨を求めて祈りを捧げる。

 それから私は、天元の神に頼み込んだんだ。どうか雨を降らせ人々に恵みを、と。


 目の前に夕陽色に染まる海が広がっていた。陽が沈みかけている。

『ほんまは雨降ってくれると有り難いんやけどな。日照り続きやし作物も心配が』

 不意に彼の言葉思い出す。それから現実に戻されて、何故ここにいるか思い出せない。そういえばさっきからそんなことが多くあった気がする。

 少しずつ浸食されていく記憶。過去も現在も混同して頭の中がおかしなことになっている。そろそろ限界が近付いているんだろう。気をしっかり保たなければ全て忘れて自分が何者かも分からなくなってしまいそうだった。

『大丈夫なん?』

 そう声をかけられてやっと我に返った。握られたままの彼の手を離したくなくてそっと力を込めて握り返す。

 時間は残されていない。それなら正体を暴くことになってもしっかりと自らの口で伝えたかった。

『もう少し、こうしていたいです』

 一瞬だけ驚いた彼は不意に破顔して、くしゃりと微笑んだ。彼の額が自分のそれに押し付けられる。

『二度目の再会やね』

 もう記憶も保てないほど朽ち始めている。消えたら全て忘れてしまうのかしら。藤人さんのことも?


「抱き締めてええ?」

 答えを言う前に腕の中に閉じ込められる。優しい彼の温もり、背中に回された腕が力強く私を包み込んでくれる。離したくない。そんな想いが言葉にせずとも伝わってきた。

 ねぇ、貴方を慕っていると伝えることはいけないことですか?離れたくないと口にしたら…?そっと独り言ちる。『夕陽が綺麗ですね』と。




【君は気付いてくれましたか?】

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。