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君を想う。  作者: 倉間弥栄
2/6

「君は今も笑っていますか?」




  日中はまるで、蓋をしたフライパンの中で熱せられているような蒸し暑さだった。まるまると肥えた大玉スイカが実ったのはいいが、汗を拭いても滝のように流れる汗は止まることを知らない。父の手伝いをしながら、首にかけたタオルで汗を拭うが茹だるような暑さに負けそうになる。

  一度約束の時間までに自宅で汗を流すと、着替えてから葵との待ち合わせ場所に向かった。


(暑いのぉ…。えんかったらどないしよ)

  夕方近くになってもまだ暑苦しい。だが祠に近付いていくと、茂みの隙間から待ってくれている葵の姿が見えた。淡い水色のワンピースを着て、彼女の長い髪がたおやかに風に揺らいでいる。

「葵!昨日ぶりやね」

  そう声をかけると葵は振り向いて、こんにちはと口を開いた。待たせたかも知れん、ごめんなと言うと笑って葵は首を振った。

「あんな、今日は夕飯誘いに来たんやざ。一緒に食べへん?」

  いいの?そんな期待した顔できらきらとした、つぶらな眼差しをこちらに向けるものだから、思わずポンポンと軽く頭を撫でた。

  まるでもう少し小さかった頃の環を思い出す。あの頃は素直であどけなくてかわいかったのに。

「ええよ、ええよ。環も喜ぶと思うやざ!ほや、行こうか」

  とはいえ、生意気になってきたということは成長している証やしょ。そう納得すると葵を家まで案内した。


  帰って玄関を開けるとさっそく焼き魚の匂いが漂ってきた。最初に自分たちを出迎えてくれたのは三毛猫のチビだった。めったにしないお出迎えを玄関に座ってちょんと待っており、環に限っては珍しく父の晩ご飯の手伝いをして待っていた。

  緊張感が伝わってくる環の背中がどうにも可笑しい。

「ただいま」

「おぉ、お帰りー!今できたとこやざ」

「昨日より気合い入ってるんやない?」

  気のせいやざ、と流されて父が運んできたのは大層な郷土料理の山々だった。 手伝おうとしていた葵をなんとか座らせて彼女の相手をチビにしてもらう。

  環や自分たちも手伝って運ばれる料理を食卓の上に並べるとようやく落ち着いて席についた。

「ほや、食べるか」

  いただきますの号令がかかる。こうして4人用の円卓を埋めるのはずいぶん久し振りなことだった。ましてや女性が含まれるとあれば、それは母がいた頃以来かもしれない。

「葵ちゃん言うが?こまいのぉ、ようけ食べねま!倒れてまうやがぁ」

「ゆっくり食べればえぇね。ようけあるしょや。食いねま、食いねま」

「環も食べ盛りやざ。たくさん食べて身長伸ばさんとな」

「女性がおると華やかでええのぉ!久し振りに酒でもちょっこし飲むか!」

「父ちゃんは酒止めた言うが!」

「のぉてもちょっこしやざぁ!今日は葵ちゃんも来てるが。特別じゃ!」

  このまま行くと飲んで確実に父は酔っ払ってしまうに違いない。

  面倒な絡みをしてくるだろうことを申し訳なく思ってちらっと葵の顔を窺った。すまんな、そう口だけを動かして伝えると彼女は困るどころか楽しそうに声も出さず笑った。

  もはや夕食の席から時間が立つにつれ、酒席の場になっていた。葵の存在と酒のおかげですっかり上機嫌になった父は、もう顔を赤らめて酔っ払っている。

  挙げ句に葵ちゃん、酒注ぐねと何度も言うようだからさすがにもう取り上げたが。酔っ払いの絡みなど面倒くさいことこの上ない。それでも葵は嫌な顔せず、素直に楽しんでくれているようだった。

「すぐ酔うんやから。もう酒はないで」

「のくてぇのぉ。藤人の酒の強さは母ちゃん譲りだがぁ?」

  そう言って父は何が面白いのか、一人で盛大に大笑いをしている。チビはすでに葵の膝の上で寝ており、環は飽きたのかテレビに夢中になっていた。

「のぉ、葵ちゃんが藤人の嫁さんなればええね」

  その言葉に思わず麦茶を吹き出しそうになった。葵の肩が隣でびくりと震える。どういう意味やと問えば、そのまんまの意味やと返されてしまった。はぁと大きなため息をつく。やはりというより絶対、酔いが回りすぎてへべれけになっているんだろう。ああ、質が悪い。

  もちろん、葵みたいな優しい女性が自分のお嫁さんなんて嬉しいことこの上ないが、それ以前に彼女に悪いだろう。

「もうなに言うが。葵に失礼やろ?」

  苦笑しつつ葵に視線を向けると、やはり困ったように彼女は笑っていた。それでも少しはにかんで、葵の頬が赤く染まっているように見えたのは自分の気のせいだろうか。

「もう寝るやざぁ」

「ほや、ここで寝ると風邪引くけぇ!…たくっ。葵、遅なって悪いが。暗いし良かったら送るしょや」

  そう言った瞬間、ふと葵の表情が陰ったような気がした。けれどすぐに明るい表情を取り戻すも、困ったように笑って自分を見上げている。

「大丈夫しょや。しばらくこっちおるし、会いたくなったらいつでも来てええんよ?」

  その言葉に葵はまるで違うと否定するように小さく首を振る。彼女の握り締めた拳が微かに震えているように見えた。

「…もしかして葵、帰りとうないんか?」

  否定するでも肯定するでもなく、葵はよそを向いて俯いた。困った様子なのは明らかだ。何か事情がありそうだが、深く突っ込んで聞くのも気が引ける。

「なら、男所帯で申し訳ないんやけど、うちに泊まっていくが?」

  どんな事情があるかは分からないが、ずっと笑顔だった葵が初めて悩ましげな表情を見せた。力になりたいと思った。ただ、男しかいないこの家に彼女ひとりでは居心地悪くないだろうか。

  けれどそんな心配をよそに、葵は期待に満ちた目で自分を見上げると、申し訳なさそうにしながらも嬉しそうに首を傾げていいんですかと口を動かした。

「葵が良ければ、ええよ」

  葵がここにいたければいつまでいたって構わない。まぁ、困ったときはお互い様やろ?そう言うと、また葵は困ったように微笑んで小さくありがとうと口を動かした。

「環、葵にお風呂の使い方教えたって!あとおまえの部屋貸してやってや」

  すると、夢中になってテレビを見ていた環の身体が大きく振り返った。風呂の入り方は教える!だけど部屋は断固貸さぬ!といった態度で環は自分の部屋の前に仁王立ちになった。無言の拒絶を首を振って訴える。

「なんね、エロ本でも隠しとるんか?仕方ないのぉ。葵は仏間に寝てくれへん?俺は隣の廊下で寝るやざ。寂しくないやろ?」

  笑いかけると、先ほどから片付けを手伝ってくれていた葵がおろおろと困ったように手を振った。

「え?俺が廊下は嫌やって?遠慮せんでええんよ。ほや、風呂入り」

  な?とたたみかけるように言うと、彼女は観念したのか、お辞儀をしてから環のあとについていった。




 ***




  風呂から出ると縁側に座ってジッと夜空を見つめる葵の姿を見つけた。パジャマ代わりにと着せた自分のシャツが大きすぎて半分ワンピースのようになっていた。

  ちりんちりんと風に鳴る風鈴と彼女の横に置かれた蚊取り線香。それがまた絵になってしばらく見とれてしまったことに気が付いた。

「のぉ、田舎の空はきれいやろ?余計な光がない分星々がきらきらぁっとようけ見えるんやざ」

  すでに自分が後ろにいたことがわかっていたのか、葵はさして驚かず小さく笑った。隣に座って同じように眺める。

  空を仰ぐとテレビや写真でしか見れないような星空が大きく広がっていた。都会と違って空気が澄んでいるおかげで瞬くこともなく、はっきりと星座が見分けられるのだ。流れ星などをいつだって見られることも田舎の特権だろう。

「ほんま綺麗やろ?都会は便利やざ。人もようけおるし、車や電車やって走っとる。ほやけどこんな星空は見れん。都会の空は狭くてかなわんもんなぁ。だからこそ故郷に帰って自然の有り難みが分かるってもんやざ」

  焼酎瓶のお酒を注いで一杯やらん?と誘う。けれど葵はお酒が苦手なのか首を振って断った。

  星見酒は注いだお猪口に映る星を見るのもまた一興。ちびちびと飲むのが好きな自分はこうしてゆっくりと星を見ながら飲むのが性に合っている。

「人は自然から離れられんのやざ。やって都会におるとどうしても故郷の星空が恋しくなるが。星空だけやない。緑も水も恋しゅうなる。人はいっぱい自然からええもんもらってんで、大切にしなあかんのやざ。大切にすると必ず自然も応えてくれるんよ。森や川の神様やゆう八百万の神もあながち嘘や無いと思うけ。ほやから俺はもっと農業とか自然のこと学んで大切にしていきたい思うんやざ。……葵、起きとるが?」

  気付くと葵は自分にもたれかかって寝息を立てていた。

(喋りすぎたが)

  いざ立ち上がろうとしたとき、葵の手が自分の袖を掴んでいた。解こうとしたが案外力強い。

  そのまま彼女を横抱きにして持ち上げようとしたその瞬間、不意にバランスを崩しそうになった。重いのではない。むしろ軽すぎるぐらいだった。

  確かに葵は細いが骨張っているほどげっそりでもない。くびれだって細いが、それでも肉付きはまぁまぁな方だ。

「………………」

  何故だろう。この感覚を知っているような気がした。それに伴う不思議な胸騒ぎ。この胸騒ぎが果たして悪いものなのかいいものなのか、それは解らない。

  あどけない表情をして眠る葵。ただ、今は。

「葵、おやすみ」




 ***




  その深夜、何かが顔に触れたような気がした。ふさふさとしてこそばゆい。夢現にこれがチビでないことは何となく理解した。

  けれど深夜に考えたところで結論に辿り着くわけでもなく、もうどうでもよくなってそのまま寝た。




 ***




  ジリリリ、と聞こえるはずの音はうるさい蝉の鳴き声だった。目覚ましの代わりがセミの鳴き声なんて普段とあまり変わりないやないか。

  うんと腰を起こすとまるで自分のすぐ横で誰かが寝ていたかのような空間があった。

  熱い日差しが窓から差し込んでくる。眩しくて目が開けられない。ぼんやりした頭で考えていたとき、不意に彼女を思い出した。

「そうや、葵…!」

  その瞬間、タイミングよく襖から顔を出したのは葵だった。なんですか?と言いたげに首を傾げている。けれど何事もなかったように葵はご飯ですよ、と口を動かしてから自分を洗面所へといざなった。

  顔を洗い終えると誰かが自分をつついた。振り返ればタオルを持っている葵。微笑みながら目が覚めましたか?と問いかけてくるものだから、それが妙に夫婦じみていて少し気恥ずかしい。

「着替え、取りに行ったん?」

  父はすでに畑に向かったらしい。環はきっとまだ寝ている。父のエプロンを巻いた葵は昨日とは違う、淡い水色のロングスカートを履いていた。

「すまんな、ほんまは俺が一緒に行けばよかったんやけど」

  いいえ、と彼女は首を振った。食卓に座ると当然のようにご飯と味噌汁が出てくる。今日はアジの開きにオクラ納豆もついているようだ。

  これ、葵が作ったん?目を丸くして聞くと葵は少しはにかみながらどうぞと朝食を勧めた。いただきます、と両手を合わせてからまず味噌汁をいただく。

  すする瞬間にふわりと濃厚な味噌の香りがした。加えてすっきりとした香りが鼻孔をくすぐる。味噌汁に浮いているのは豆腐とネギだけ。けれど香りの正体はネギでないようだ。

  少し考えてから口にするとコクのある味噌の味となにやらそれを補うさっぱりとした味が舌に広がった。

「…美味い。一番美味しいかも知れん」

  これ、なんなん?そう聞くと葵は少し考える仕草をして近くのメモ帳とペンを手に取った。すらすらと縦に書かれるきれいな文字が恐らくきのこや山菜であろう珍しい食材の名が連なった。

「ほやけど直売所にないやろ?どこにあったん?」

  葵は着替えを取りに行く途中で見つけたんです、と書き記した。田舎は田舎だがあぜ道と未舗装の道路だけしかないここにきのこなんて生える場所があっただろうか。

  とにかく無事に彼女が帰ってきた。美味しい朝ご飯だってある。そんな難しく考えることはないだろう。

  そのまま葵と談笑しながら久し振りに楽しい朝を迎えることができたことに満足だった。一人暮らしはもちろん、この家でも父は農業、環は寝坊なので朝食を共にしたことは少ない。

  葵はそれを知ってか知らずか、一生懸命に筆談ながら他愛ない会話をしてくれた。話す内容といえば今日歩いて見た朝の光景や昨日の話の続きなど、そんなものだったがそれでも楽しくてたまらなかった。

「なぁ、葵」

  制止するも聞かず片付けしてくれるばかりか葵はお茶まで出してくれた。今は素直に座って彼女の動向を見ている。

「?」

「あんな、」

  続ける言葉が何か気恥ずかしくてさらりとは出てこなかった。いつもなら臆せず言葉は出てくるのに今日の自分は何故かおかしい。それでも何とか頭を整理してゆっくりと口を開いた。

「葵と会ってまだ3日目やけど懐かしい感じがするやざ。ほやから葵と一緒にいて楽しくて仕方ないんやが」

  無言であっても早々に気まずくない柔らかな空気。

 下手な気を遣わず共にあれること。会ったばかりとはいえ、葵と共有する時間全てが心地好かった。そしてそれをただ素直に口にしただけだった。

  不意に彼女の目から涙が伝った。予想外の出来事に思わず目を丸くする。

「なんやごめん…!泣かすこと言うたが?ほんますまん」

  だが彼女は大きく首を振った。顔を上げたと思ったらそれは泣き笑いの表情だった。ありがとう、彼女は口を動かす。

「あとで葵と初めて逢った場所、きれいにしに行こう。海も一緒に見に行こう」

  まだまだ一緒にいたいんやざ。そう、もう一度素直に口に出してみる。葵はまた泣き笑いの表情で今度は大きく、はいと頷いた。






 ***






  彼の家族はやはり温かい人たちでした。素性もはっきりと判らない私を快く受け入れてくれた。家族なんて私は持ったことないけれど、肩を並べて食事をする。家族になったみたいで私は嬉しかった。

  笑って楽しんで、私が彼に恩返しするつもりなのに自分だけが幸せを感じていいんだろうか。そんな風に不安にも駆られた。

  きっとお父さまも私がここにいるのは何か深い訳あってだろうと察してくれている。けれどそれが同情だけに留まらず、素直に藤人さんの友人としても私の来訪を喜んでくれていることが何より嬉しかった。

  結局私はその日、宮元家にお世話することが決まり一番風呂まで頂いた。お風呂に入り終えると、何やら家の前で誰かと話をする彼の声が聞こえた。

『ばっちゃん、夜に散歩か?夏とはいえ暗いんじゃ俺が送るしょや』

  窓から外を覗くと老女の手を引く彼の姿があった。

 見たとおりきっと普段から彼は困った人を放ってはおけない人なのだろう。そんな優しい彼に私は何ができるだろう。

  しばらく縁側で夜空を眺めていると後ろで彼の気配がした。

『ほんま綺麗やろ?』

  一升瓶を持って風呂上がりにやってきた彼はある意味なかなかの人であると思う。そうして始まる彼の話。

  好きだった、彼の話す言葉が。聞いていて心地良く、まるで何かの旋律のように耳に入ってくる。それ故か、私はいつの間にか眠ってしまっていたけれど。

  目が覚めた頃には彼の隣で寝ていた。どうやら袖を掴んだまま寝てしまったらしい。起きて明日の食事の材料を取りに行って翌朝、朝食をご馳走すると彼は喜んでくれた。

  嬉しかった。彼の気持ちも彼の言葉も。私は貴方に何が出来るのでしょう。刻々と迫る終わりの時間。



【君は今も笑っていますか?】

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