偽り王女3
階段を一歩一歩下りる度に頭は冷え切っていく。
私はこの国に何の未練もない。
ただ少しばかりの善意でこの茶番に付き合っているだけ。
善意なんてのがまだ自分の中にあったとは驚きだ。
ベールで表情が分からないのが幸いだろう。
厳酷な顔で人を見下ろす王女を民衆は見なくてすんだ。
目撃してしまえば彼らの夢描く幻像の王女像が、がらがらと音を立てて壊れたことだろう。
本当に。アオンがいなければさっさとこの国からずらかっていたというのに…。
その原因は後ろから影のようについてきている。
まったく。どうしてこんなに懐かれたのか未だにわからない。
自然とため息が出る。
後ろからついてくる青年のことを考える。
立ち姿は清雅の如し。
淡い金髪のふわふわとした緩やかな髪質と澄んだ眼差しを向けてくる瞳。
素直に慕ってくる様子は小動物のようで優しい空気に何度癒されたことか。
こんなはずではなかったのに…。
いつの間にか離れがたく思うようになってしまっていた。
自分の甘さに愕然としたのは記憶に新しい。
守ることができると断言もできないのに、だからといって切り捨てることもできない。
一緒にいられないと突っぱねたらアオンは泣きながら縋りついてきた。
それならばいっそ殺してくれと真顔で言われて唖然としたが、アオンは真剣そのものだった。
これで無理やり置いていけば絶対追ってくるだろう。
生活能力ゼロなアオンがすぐに行き倒れるだろうことは目に見えている。
それならばいっそ目に見える範囲においておけば私の精神的には良い筈だと無理やり結論を出した。
しかし、さっそく後悔している。いくら悩んでももう遅いのだろ。
うん。気持ちを切り替えよう。そうしよう。
視線を一際警備の厳しいバルコニーへ向けた。
そこは貴人席になっていて、豪奢なマントを肩から垂らしている老人がいた。
髪は白髪交じり、背を丸めて落ち着きなく小さな目をそわそわと動かしている。
中央席は二つ作られているが老人の隣は空席だった。
本来ならばそこにはこの国の王妃がいなければならないが、彼女が公式の場に出てくることはもう一生ないだろう。
ベールの下で人知れずにやりと笑った。
遠くからでも分かる挙動不審な老年の国王から視線を外す。
ゆっくりと階段を下りきり広場へと下り立つ。
その動きにあわせて螺鈿細工の数連腕輪が澄んだ音色を奏でた。
頭から覆っている透明感のある生地を何枚も重ねて華やかな金刺繍が施された光沢のあるベールが微風に遊ばれるようにふわふわと舞う。
身に着けている意匠性が重視された起伏のない上衣と下衣が一続きに仕立ててあるドレスは襞が何十にも重なり美しい曲線を描いた。
しかし、見た目はとても美しいが後ろに流された長いベールは重い。
古代生糸が織り込まれた細く折り重なるドレスの裾は踵よりも長いので引きずらなければ前へ進めない。
裾をうまくさばかないと足をもつれさせて転んでしまうだろう。
もちろんそんなヘマはしないが。うん。実に動きにくい。
内心うんざりしながらもドレスを器用にさばき、目立つ一団へ近づいていく。
そして彼らの一歩手前で立ち止まる。
すると鉄錆色を身に纏う男が手を差し出してきた。
「お手をどうぞ王女殿下」
淡々とした事務的な口調だ。
促されて緩慢に腕を持ち上げる。
手首まである口の広がった袖のレースが風に軽やかに揺れる。
目の前に差し出されている掌に自分の手を重ねた。
大衆が見守るその中で、貴人達が息を殺して凝視する中で、この国の王女が他国の使者に引き渡された瞬間だった。