第八話 事実と真実
ユウはメガネを外すと一段と美しい。
「わたし男なの」
真っ直ぐにボクの目を見ながらそう言った。
真顔で見つめるとボクの思考力を狂わせる。
姐御肌で男勝りなことは認めるが、そういう意味ではないのだろう。
だとすれば……。
「ごめんね突然。驚いちゃったでしょ」
戸惑うボクを見かねて微笑んだ。
ボクはその言葉の真意を知りたいと思った。
「あの、それって男性ということ?」
「うん。正確には男性だった」
ユウはカミングアウトを続ける。
「生まれたときは男の子だったけど、物心つくとなんか違うってわかった。でも子どものうちは自然体でいるとそれを忘れてしまうのね」
「思春期に入ってから確信した。自分に正直に生きようと思って女の子になったの」
「女性ホルモンを注射したり、性転換手術も受けた。もう性別は女性なんだけど、戸籍上は男性にしてる。だからわたしは男なの」
ボクは『彼女』から放たれる言葉の一つ一つを不思議なほど冷静に受け止めた。
「そうなんだ」
「うふ、なんか意外」
「え?」
「わたしが男だと明かしたら、ほとんどの人は壁を作るんだけど。アキラはそれがない」
「そりゃ驚きはしたけど。ユウはやっぱりユウだし。これまでと変わらないでしょ」
「えーっ、なにそれ。ドラマみたいなセリフ言わないでよ。涙が出てきちゃったじゃん」
そんな彼女を思わず抱きしめたくなった。でも次の言葉がそれを制す。
「まだあるの。聞いてもらいたいことが」
「え?まだ?」
ユウは動揺するボクに顔を近づけてきた。いきなりくるから心拍数が急上昇して ドキドキが止まらない。
「わかる?」
「ん?」
「右の瞼に傷があるでしょ」
指で示した部分にちょっと見ただけでは気づかないほどの傷跡があった。
「男なのよ」
「ええっ?」
「ややこしくなってごめんね。前に付き合っていた相手からつけられた傷なんだ」
「もしかしてDV」
ボクは腹が立った。交際相手から暴力を振るわれたのならばトラウマになりかねない。
だが当のユウは冷静に話を続ける。
「もう八年くらい前だけど、クラブで踊っていて声を掛けられたのよ」
「ナンパ?」
「そゆこと。で何回かデートを重ねたの。いい雰囲気になったから『わたし男の子なんだ』”って明かしたら豹変しちゃって」
「で殴られたの?」
「うんん、違う。相手が『男と付き合う気はない』と怒って帰ろうとしたの。わたしも納得できないから『ちょっと待って』って腕を掴んだのね。振り向きざまに腕を振りほどこうとしたら、その手がわたしの右目にバシッてヒットしたわけ」
「わざとではないかもだけど、傷害になるんじゃない」
「いいのよもう。あんなヤツまっぴらごめんだし。わたしもいい経験になったわ」
ユウにとって辛い過去を聞いたことでボクの胸は締め付けられるようだ。
「ねえアキラ。わたしみたいに生まれた時の『からだの性』と自分で感じる『こころの性』”が一致しない人をトランスジェンダーっていうの」
ボクが表情を曇らせたからだろう、DV絡みの話題を止めて方向修正してくれた。
「なんとなく聞いたことはあるけど」
「そうね。それが普通だよね。メディアでは取って付けたように特集したりするけど、世間の認識はあまり進んでないと思う」
ユウは不満げに首を横に振りながら続ける。
「わたしだってどう生きていくか悩んだこともある。でもね、トランスジェンダーであることを明かして頑張っているアーティストやタレントが増えてきたじゃない。その流れに勇気づけられもした」
「うん、ボクもそんな人たちの活躍を以前ほど『性差』を意識せず楽しんでるような気がする」
「昔に比べるとLGBTQ+が認識されて、ずいぶん生きやすくなったんじゃないかな。それにね。最近はパンセクシュアルを公言する著名人も増えてきたのよ。カーラ・デルヴィーニュのように」
「パンセクシュアルって?」
「相手の性のあり方に関係なく人を愛するセクシュアリティで『全性愛』を意味するの。ワクワクするでしょ」
セクシュアリティについてしゃべり出すとユウの瞳はキラキラ輝いて見えた。
ボクは自身の過去を吐露したことで、ユウにトランスジェンダーとしての思いを聞くことになった。事実と真実を知ったのだ。
その夜はさまざまな感情が交錯して一睡も出来なかった。明日でお別れだというのに。
*
「さらばラクーンギター」
ボクはユウの部屋を出るときに何度もそうつぶやいていた。
歩き馴れた通勤路もこれが最後と思えば寂しい。
「もー、アキラしっかりしなさいっ、さっきからあくびばっかりして。気が緩んでるぞ!」
ユウがボクの背中をバシッと叩いて檄を飛ばす。
「だって全然眠れなかったんだよ。寝不足にもなるさ」
「ブツブツ言わないの。わたしなんか熟睡よ。寝たと思ったらもう朝だったわ」
あれだけ熱く語りながらよく平気で眠れたものだ。それともボクが気にしすぎなのだろうか。
そんな調子でおしゃべりしたり考え事をしながら歩いていたらもうラクーンギターが見えてきた。
「おはようございますっ」
「おう、おはようさん。いよいよ今日までやな」
「はい。よろしくお願いします」
「こっちこそ。バンドが売れたらひいきにしてや。たよりにしてまっせ。ガハハハ」
店長がいつもの調子で豪快に笑っているとユウが口を挟む。
「最終日だから朝イチでスタジオ入っていいですか。総括したいので」
「お、おう。気合い入ってんな。個人授業ごくろうさん」
『総括』だなんて聞いてないよ。なんか厳しいこと言われるのだろうか。
ユウは昨夜のカミングアウトなどなかったかのように切り替えていた。
二階のスタジオに入ると、ボクはユウから譲ってもらったベースを肩から下げて準備する。
チューニングを済ませたらメジャー・スケールをキーを変えながら弾くフィンガリングの練習だ。
「うん。いいわね。指も寝ていて動きに無駄がない」
よかった。ユウの言葉が耳に心地良い。特に厳しく指導することもないらしい。
「右肩!上がりすぎてる!」
油断した。ユウが気の緩みを見抜いたかのように指摘する。
でも今日が最後と思うと厳しい言葉も感慨深い。
総括が終わろうとした頃にスタジオのインターホンが鳴った。ユウが受話器を取る。
「はい。わかりました」
店長が呼んでいるという。
一階に降りていくとダンもいた。
「きたきた。アキラはネギ焼き食べたことあるか?」
店長が満面の笑みとともに聞いてきた。何のことかわからず首をかしげたら、昼食のお誘いらしい。
「大阪に来たらネギ焼き食わんとあかんで。なあっ!」
「まあ、食うといた方が思い出になるんちゃいますか」
店長に振られてダンがうなずく。
「わたしも食べたことないです。ネギ焼き」
ユウが会話に入ろうとしたら店長が目をパチクリさせた。
「マジか?早よ言わんかい!てっきり食べたもんやと思うてたで~」
「だって店長。そんな話しするの初めてでしょう。わたしもネギ焼き食べたいですぅ」
甘えた声でねだるユウに申し訳ないが、ボクも疑問を投げかけさせてもらう。
「あの~、お取り込み中でしょうが、ネギ焼きって何ですか?」
「おおそや。アキラが主役やからな。ネギ焼きで送別会や」
店長はそう言うとネギ焼きについて説明するでもなく、事務スペースのパソコンを打ち出した。
やがてプリントアウトされた用紙を掲げて見せた。
《ちょっと皆でネギ焼き食べてきま。お昼休みにします、少々お待ちください。ラクーンギター店長》
ラクンギターの看板にも描かれているアライグマがギターを構えたイラストとともに、そんな文字が並んでいる。
「どや。これを入り口に貼っとくねん。お客さん来てもわかるやろ」
「やだカワイイ!店長ってこんなセンスがあるんですね」
ユウが小さく拍手すると、店長も嬉しそうだった。
ちなみにネギ焼きはお好み焼きのようなものだが、刻みネギがたくさん入っているのが特徴らしい。
店長馴染みの店は大通りから外れたところにあった。通好みの味でお値段も安いが、穴場なので客は多くないという。
「送別会やからな。俺のおごりや。まずは乾杯しよか」
店長の音頭で昼間からビールをついだコップどうしが軽く「カチン」と鳴る。
ネギ焼きをヘラで食べるのにしばし神経を集中したが、想像を超える美味しさだった。
「どや?」
頬張るボクの姿をニコニコしながら見ていた店長がいう。
「アキラ。K大軽音部でバンドやるんやろ」
「はい、そのつもりです」
ラクーンギターに来てから店長とそんな話しをするのは初めてだ。
「ええか。俺もいろいろなミュージシャンを育ててきたけど、やっぱり信頼がないとあかん。バンドをやっていくには演奏テクニックで信頼されるだけやない。お互いに人間として信頼し合うことが大切やねん」
店長の話を聞いて軽音部の二年生を思い浮かべた。
ボクはあの個性的な先輩たちとうまくやっていけるだろうか。
「ベースは一見目立たへんけどバンドの要やからな。ボーカルもギターもベースのピッチやリズムに左右されるんやで」
いつもは寡黙なダンまで教示してくれた。
「アキラなら大丈夫。わたしがちゃんと教えたんだから」
ユウが穏やかに言ってくれたからホッとした。
ネギ焼きが抜群に美味い定食屋を出てラクーンギターに戻ると二時を回っていた。
乗る予定の新幹線は新大阪駅を17時20分発なのでゆっくりはできない。
帰り支度と言っても来た時とさほど変わらない。唯一増えたのはベースを入れたソフトケースだ。
時間が近づくとじわじわ込みあげる感じがして落ち着かない。
どうにか自分に言い聞かせて店長のところに向かう。
皆も察したのだろう。入り口近くに集まってきた。
「いよいよやな」
店長に肩をポンポンと叩かれ泣きそうになる。
「お世話になりました。本当にありがとうございます」
ボクがお辞儀すると、店長が握手してくれた。
「応援してるからな」
力強くグッと握ってくれた。
「頑張りや」
ダンも握手してくれた。
ユウと目が合った。
「楽しかったね」
笑顔で首に手を回してきた。
ハグしながら耳元で囁く
「いつでも戻っておいで」
そんなに言われると未練が残るじゃないか。
ボクの心がさざ波を立てそうになったそのとき。
「エヘンエヘン。昼下りの情事は映画館だけにしてや」
横やりが入った。
「もう店長ったら。そんなんじゃありません。ねえアキラっ」
「う、うん。そだね」
ユウは明るくおどけて見せたが、ボクはそうもいかない。ちょっと焦った。
「じゃあ、これで。お世話になりました」
片手を挙げて挨拶すると、皆に背を向けて歩き出す。
「さらばラクーンギター」
そうつぶやきながら駅を目指した。
第八話 事実と真実 に登場する「カーラ・デルヴィーニュ」とわ。
☆映画『Valerian and the City of a Thousand Planets(ヴァレリアン 千の惑星の救世主)』(リュック・ベッソン監督/2017年公開)より
「Cara Delevingne - I Feel Everything (From "Valerian and the City of a Thousand Planets")」
https://youtu.be/qmV5MW_XAtg?si=q9yX8SngvaMlDU8g
☆自身のセクシャリティは「パンセクシャル」
>米誌のインタビューで、自身のセクシャリティを「パンセクシャル(全性愛)」と表現したカーラ。「パンセクシャル」は、男性・女性という性の分類に適合しない人も含め、あらゆる人に恋をしたり性的願望を抱いたりする人を指す言葉。バイセクシャル(両性愛)と混同されがちだが、パンセクシャルはすべての性別が恋愛対象となる。(引用:SPUR)
https://spur.hpplus.jp/tag/6398/




