歌臼大学連続吸血事件 第十五話
灰色のオフィスデスク、合成樹脂の天板の上に封筒を置き、その中に入っていた手紙と、血液検査の結果を三枚抜き取る。予め霧花さんから受け取っていたものと合わせて四枚、そのどれにも寄生虫等の兆候は見られなかった。
「あぁ、オッサンか……あぁ、今届いた」
『悪い、そういう事で宿主探しは振り出しに戻った。どうも、この件は魔導警察の連中は知ってたらしくてな、二回前の宿主に接触して、そこら辺は調べた後だったらしい』
「だから、前回の宿主……比嘉のところに魔導警察が居たのか」
どうやら、魔導警察と所轄は連携が取れてないらしい。まぁ、いつもの事だ。それよりも、問題はこの検査結果だ。
「俺の推理はどこから間違えていた?」
『さぁな、悪いがウチは完全にお手上げ状態だ。せいぜい宿主候補全員に見張りを付ける事ぐらいしかできない』
頼んだぞ。そう電話口から聞こえてくる声に頭が痛くなる。
「ハァ……今日は仕事が無いから、少し調べてみるよ」
俺の言葉に満足したのか、通話が切れる。人死にが出てる事件だというのに、捜査は遅々として進まない。それだけにおさまらず、外部の協力者に推理を丸投げ、ここまで警察が頼りないのは久しぶりだ。どうにかしなきゃ、また死人が出る事件だというのに。
「トラオ、留守番頼むぞ」
「ざぁこ♡ あたまわるーい♡」
「お前なぁ……」
相変わらずウチのインコは覚える言葉のチョイスが独特だった。
◆◆◆
東京都は危穂駅から歩いて十六分ほどの場所に、私立歌臼大学危穂キャンパスがある。古くは江戸の町人から”外”あるいは岡場所と呼ばれたこの土地は、明治の頃の再開発で退魔庁魔術編纂局に買収され、第一資料図書館という当時の日本では最大級の魔導書図書館が建設された。
それから時が流れ昭和の始め頃、魔術編纂局の拠点が京都に移るのに際して跡地に元編纂局長だった男が私立大学を創立した。それが歌臼大学である。
古臭い木製のドアを叩くと、硬質な音が数回連続して中へ響く。入れという言葉を待ってから、俺はその部屋へと入っていく。歌臼大学には、一人だけ知り合いの研究者が居る。俺が大学図書館を利用する際には、必ず彼女へ挨拶しておくのが、俺がこの大学で無用なトラブルに巻き込まれないための決まりだった。
「チッ、空理かよ」
「化粧の事なら気にするなよ、俺とアンタの仲だろう」
乱暴な口調で俺を出迎えた研究者。歌臼大学文化人類学部准教授竹本利一は、ガシガシとボサボサな髪の毛を掻き混ぜる。部屋の中は独特な臭気で満ちており、ここで彼女が深酒をしていた事が察せられる。髭を剃っていないせいでオッサン丸出しだが、本人が言うには「たまたま男に生まれただけの女」らしい。
「手土産だ。実家が送って来た地元の酒」
「なんか良い酒っぽい雰囲気だな?」
ゴトリと応接机の上に置いた酒瓶を、利一は興味深そうに覗き込んでいた。垂れた横髪を耳に掛ける仕草は、確かに俺にも女らしく見えた。
「あー? ちょい待ち、この酒変な魔術かかってない? 魔力の匂いがするぞ」
「魔力に匂いなんてないだろ……相変わらずだなアンタ」
流石の嗅覚と言うと語弊があるが、この人はいつも魔術的な違和感を見逃さない鋭い観察力をもっている。まぁ、一種の天才なのだろう。とくに魔術を使うでもなく、色々な角度から酒瓶を睨み付けると、うわっと小さな呻き声をこぼすと、汚いものでも見るような目で酒瓶を遠ざける。
「魅了の魔術かかってんじゃねーか、なんだよお前アタシの事狙ってるのかよ?」
「実家から送られてきたって言っただろ。今ウチには婚約者が住んでるからな、間違いが起きて欲しいんだろ」
「あっそう、そういうね」
ドン引きを隠さない声音の利一は、そのまま机に酒を戻す。
「体よく厄介払いしやがって、お前アタシを舐めてんな?」
「まぁそう言うな、酒自体は良いものだ。じゃ、また図書館を使わせてもらうからな」
「また何か調べもの? ま、なんかトラブったらアタシに任せな」
そんな頼もしい言葉に笑い返して、俺は研究室から去った。
◆◆◆
魔術師が部屋から出ていく、閉じる扉を眺めて、利一は小さく息を吐く。突然の来訪はいつもの事だが、今日は驚いた。少し見ない間に、彼は随分と雰囲気が違っていた。具体的にどうと言える事は無いが、二十七にしてようやく少しだけ大人びてきた友人に、思わず苦笑がこぼれる。
そういえば、と思い返すと。彼の風貌も以前と少し違っていたように思う。野球帽はいつもの事だが、右腕、それに両脚が義肢に変わっていた。色々あったという事なのだろうと勝手に納得し、論文作業に戻っていった。
そこから所変わって。
大学構内、今は寒々しい桜並木の下、定位置となったベンチに座り、弁当を開く男の姿があった。
「いやお前よォ、流石に寒いって、中で食えや」
その向かいに、真っ白な髪の目付きの悪い男が立ってゼリー飲料をチビチビと飲んでいる。それは、つい先日近場の飲み屋で事件に巻き込まれた合コンメンバーである、コミックサークルの三人のうち生き残った二人が、昼食を一緒しているところだった。
確かに真っ白な髪の男──夜野の言うように、この季節のこの場所は寒い。とても寒い。そのベンチから見える学食のカフェテラスも、今は閑散としている。多くは近場の店へ食べに行ってしまうか、建物の中で昼食をとっているのだろう。しかし、山下玄貴は入学当初から、大学で昼を食べる時はこの場所と決めて貫いていた。
大した理由がある訳ではない。なんとなく、この景色の中に居る自分が好きなだけの、似合わないナルシシズムだ。
「なぁ、オイ」
中で食えという先輩の言葉に、思わぬ思考の深みにハマりかけていた山下は、同じく先輩の何の気なしな言葉に現実に引き戻される。目の前には、ベンチに座る自分ではなく、明後日の方向へ視線をやる夜野の姿。その視線の先を追っていくと、どこかで見たような男が大学のC棟から出てくるところだった。
「アレってな確か…………こないだの合コンの」
「遠城さんを迎えに来た魔術師の人ですね」
山下の言葉に夜野はギロリと彼を見下ろした。
「魔術師か、なんでそう思った」
「会ってすぐに分かりましたよ。プロっスよ、あの人」
染みついた血の臭いは抜けない。魔術師特有の剣吞な空気を纏っていたあの姿を思い出し、山下玄貴は静かに遠ざかる背中を凝視する。魔術師志望の就活生として、その存在をスルーする事はできない。
「後を付けましょうよ」
「あ? なんで」
「気になるからっス」
あまりノリ気ではなさそうな夜野を他所に、山下は食べかけの弁当を片付け始めた。午後の講義まで時間はあるのだから、昼食は後でも摂れると判断したのだろう。そうして、二人の大学生を背後に引き連れ、鷹峰空理は旧魔術編纂局──歌臼大学大学図書館へと足を踏み入れた。明治の頃に建った建物をそのまま使っているため、国の重要文化財としても指定されている地元でも評判のプチ観光地だ。
ここは大学の施設ではあるものの、地域の人間が無許可で入り込んで利用していても殆ど咎められない一種のパブリックな空間として機能していた。そのため、外部の人間がわりとフランクに訪れては何やら調べ物をしている姿を、学生である山下も頻繁に目撃していた。件の男、鷹峰空理もそんな人々の一人であるらしい。
「あれ、何調べてるんだと思います?」
「あぁ? そりゃ、こないだの事件の何かだろ」
読書スペースの端っこ、窓際の一人席に腰かけて何かを読んでいる空理。その後ろ姿を長テーブル二、三個を挟んだ向こうから観察する二人。気のない返事の夜野に対して、山下は少し興奮したような口ぶりである。彼はオンライン資料派なため、この場所を利用する機会が無かった訳だが。この日、こうしてここを訪れると分かる事があった。ここを利用している外部の人間の殆どが、彼の目指す魔術師である。という事である。それが夜野には分からないのだ。
「ここは大正まで魔術編纂局の資料庫だったって聞いた事があります。きっと、専門的な資料がまだ残ってるんスよ」
「魔術へ……なんて?」」
「魔術編纂局、高校で習ったでしょ……明治の魔術解放政策で、日本中の秘伝を集めて一般魔術を確立した日本の研究機関!」
「シーッ! 静かにしろ、騒ぐとバレるぞ」
自分が聞いたくせに。釈然としないまま黙りこくる山下。そんな二人を他所に、空理は資料に向き合ったままだった。一時間たっても、二時間たっても、資料の入れ替えに席を立つのみで黙々と調べ物を続ける姿に、気が付けば夜野は姿を消していた。
「何を調べているのだろう?」
ついに、根負けしたように山下が呟いた。この場所の由来を考えれば、ここには全国の秘伝魔術、誰にでも使えるが故に一般魔術に組み込まれた物も、特殊な才能に依存するが故に捨て置かれた物も、そしてそれによって倒す事ができる全国の魔物の発生記録も残っている筈である。その多くが移転に際して持っていかれたにしても、ここには膨大な書籍が残っている。その厳密な数量を知らずとも、こうして多くの魔術師が足を運んでいる事実から、山下は馬鹿にならない数が残っていると推測していた。
だからこそ、何を調べに来ているのかが分からない。
これでは、ただ本を読んでいる人を見ている人だ。魔術師の、魔物ハンターの仕事ぶりを見学したいというのなら、何を調べているのか知らなければ意味がない。
「よし」
山下の目の前で、空理が席を立つ。手元の資料を読み終えたのだろう。意を決して、山下も席を立つ。林立する書架の群れへと、対象を追って足を踏み入れる。まるでスパイ映画の主人公のように、音もなく壁に背を預け、その先の通路を歩く魔術師の背を覗き見る。その手に置いた幾つかの書籍を、上から四、五段目の棚に置いたのが見えた。
それから、魔術師はカツカツと靴音を鳴らして去っていく。その姿が見えなくなるのを待ってから、山下はそっと通路に出ていく。
「………………確か、ここら辺に置いてたような」
記憶を頼りに、その資料を探す。だが、遠めに見ただけで完璧に場所を把握できるほど、山下はこの手のミッションに慣れていなかった。いざ本棚を前にすると、途端にテンパりだす自分に、少し嫌気が差す。そんな彼の視界の端から、スッと手が伸びる。
「コレだよ」
茶色の装丁に時代を感じる本。その背表紙を指さした手の主が、落ち着いた低い声で右方向から囁きかける。その瞬間、山下の背筋が凍った。喋り方のせいだけではない。その声に、聞き覚えがあったからだ。
「っ…………!?」
振り返ったそこには、男の山下が見上げるほどの長身が立っていた。屋内だというのに野球帽を目深に被り、目元の影から琥珀色に光る虹彩が覗く。それは山下玄貴が志望する、魔物ハンターを生業とする魔術師の、呆れたような眼光だった。
「俺の調べ物なんか張ってて虚しくならないか? ストーキングをするなら、俺よりも霧花さんの方が幾らか楽しいだろ」
なんて、適当な事を吐き捨てながら、男は本棚に戻したばかりのそれを再び手に取って山下へと手渡した。その本の表題は………………
「『全国的に発生している影法師的魍魔被害について』……?」
そんな吸血事件とはまるで関係のないものだった。




