歌臼大学連続吸血事件 第十二話
「ウチで引き取るよ」
なんて軽い言葉と共にヨモギを抱き上げ、俺達の抱えてた問題を何でもない事のように片付けてしまった、伊月と名乗った彼女は……
どうも分家から本家に行儀見習いで来た使用人のようで、俺達よりも五歳も年上のお姉さんだった。ヨモギは彼女の家に引き取られ、俺はヨモギに会いに行くという口実で、彼女の家に入り浸るようになった。何故か、ササネは付いてこなかったが。
時間にして、およそ半年、その間俺は初めて知る恋という感情に思う存分に振り回された。あぁ、思い出しても甘く切なく、そして胸に痛い……楽しい日々だった。
◆◆◆
「空理さん……大丈夫だったのかな?」
「……………………」
心配の言葉を漏らす伊月摩耶、その正面に座る霧花はどことなく上の空でそれを聞いていた。時刻は昼過ぎ、リビングのテーブルには、食べ終わった二人分の昼食の痕跡がまだ残っている。本来なら、霧花がすぐに食器を運んで洗い始めるところだが、今の彼女はそれどころではなかった。
買い出しの帰り、荷物を受け取りに玄関までやってきた空理。その態度の急変は異常としか言いようのないものだった。普段、落ち着いた振る舞いを崩さない空理が……らしくもなく狼狽し、自分を取り繕えなくなっている姿に、霧花も少なからずショックを受けた。
「昼飯は良い、ごめん……下で少し休む」
そう言い残して部屋を出ていった彼、その揺れる瞳が、脳裏から離れない。理沙がすぐにその後を追ったが、霧花は自分の動揺を取り繕うので精一杯だった。ジトと、目の前に座る友人の顔を見る。空理の態度が急変する直前、霧花の勘違いでなければ、空理は彼女を見ていた筈だ。彼女を見て、何かに気付いたからこそ、彼はあそこまで動揺したのだろう。そう推理する事はできる。だが、何故そんなにも動揺したのか、彼が摩耶のどこに何を見たのか、彼女には全く想像も付かなかった。
あるいは、あの朴念仁が彼女を見てときめいた等と、馬鹿みたいな考えも浮かぶが……
それは無い。とすぐに内心で否定する。根拠はないが、霧花からすれば鷹峰空理は恋のこの字もない鉄の男である。その姿は想像する事もできない。
「ごちそうさまでした。う~ん、そろそろ帰ろうかなぁ」
「夕飯食べていかないの?」
「私どんだけ厚かましいと思われてんの? お二人の邪魔はしませんよぉ」
厭らしい顔で笑う友人に、イラっとくるものがあるが、今は帰ってくれるというのなら助かるという気持ちも強かった。その後、二人で暫く歓談したのち、摩耶は本当にあっさりと部屋から立ち去った。タクシーの窓からいつまでも手を振る彼女に、霧花も暫く手を振っていたが、その姿も見えなくなると脱力したように息を吐く。
この短時間に考える事が増え過ぎた。霧花としては少し休みたい気分だが、空理を放っておくわけにもいかない。エレベーターに乗った彼女は、少し考えた末に三階のボタンを押す。
◆◆◆
事務所の革張りのソファに腰を預ける男。汗ばむ額を袖で拭い、いつも被っている帽子を机の上に置く。大妻理沙は、そんな彼の様子を面白くなさそうに眺めてから、机の上に腰かけた。そのバッドマナーを、普段の彼、鷹峰空理ならすぐに咎めるところだが、今日はそんな彼女に視線すら向けずに天を仰いでいた。
「……急にどうしちゃったワケ?」
出し抜けの問いに、空理は少し考える。自分はどうしてしまったのか? 説明するほど、大した事が起きたわけでもない。どう答えたものか……暫く考えて、そのまま考えを放棄した。説明するほどの事じゃないなら、説明しなければ良いのだ。けれど、そんな事で納得する相手ではない。返答がない事に眉根を寄せた理沙は、少しの間、口をひん曲げて不満を露わにしていたが、すぐに口元に性格の悪い笑みを浮かべた。
「あーひょっとしてぇ、昨日は周りが女の子だらけで溜まってたとか? 屈んだ拍子におっきしちゃったのかなぁ~? ごめんねぇ? アタシが昨日オカズバラバラにしちゃったから悶々としてたんだぁ……?」
「理沙、はしたないぞ……異性をそういう風に挑発するのは良くない」
いや、同性でもダメだろ。と理沙は思ったが、そこはスルーした。何よりも今は反応があった事が楽しかったのだ。
「否定しないって事は本当に悶々としてたの? え~? ひょっとしてアタシ襲われちゃう?」
「あのなぁ……」
段々と頭が痛くなってくる空理。今はガキの相手をしている気分ではないと言うのに、どうも理沙は放っておいてくれないらしい。
「じゃ、違うワケ?」
「あぁ、違うよ…………そういうんじゃない」
空理は観念したように、ポツリ……ポツリと話し始めた。
「ちょっと、摩耶ちゃんを見てな、昔を思い出していたんだ」
「…………あの女と昔からの知り合いだったの?」
「違う、昔の知り合いに似てたんだ」
そう言って、空理は金属製の右手を見つめる。この手が、まだ刀も握れないほど小さかった頃の話だ。
「初恋のお姉さんってヤツで、まぁウチでお手伝いさんをしていた人なんだけど」
できるだけ、その人の事は思い出さないようにしてたのに、ふと思い出してしまった。あの明るくて、気取らない、烏丸伊月の事を思い出す。
◆◆◆
俺の烏丸家への出入りは、彼女の行儀見習いの期間が終わっても続いていた。
「空理様さ、良いの? こんなところに居て」
「様はやめろよ……気持ち悪い」
縁側から放り出した足を揺らしながら、俺はすっかり綺麗になったヨモギの毛並みを堪能していた。隣には、学校から帰って来たばかりの伊月さんが居て、俺は彼女を直視できずに逃げるようにヨモギの相手をしている。まぁ、それはそれで楽しいのだが、俺は伊月と話がしたいと思って思い切って彼女の方を向く。すると、彼女は面白そうに俺とヨモギを見ているものだから、慌ててヨモギに向き直る。
好きな女の子とどう接すれば良いかなど、男子小学生、それもピッカピカの一年生に分かる筈もなく。俺は学校での事、家での事、とにかく色んな愚痴をポツポツと語るだけだった。当時の俺は、何かに文句を言うというのが、格好良い男のする事だと勘違いしていたのかもしれない。
「放課後は訓練があるでしょ? あんまりサボってると後が怖いんだから、あんまり来ちゃダメだよ」
「でも、訓練ってつまんないんだ。周りの奴等はさ、呪符に鼠の幽霊を降ろすのにも半年かかるようなボンクラばっかで、一人でやってた方がよっぽど強くなれるよ」
「だったら、もっと年上のお兄さんたちと同じ訓練をすれば良いのに」
片眉をあげて、困った弟を見るような顔の伊月さんから、俺はプイッと視線を逸らす。兄さん達と訓練なんて、そんなの嫌に決まってる。組手でボコボコにされるだけで、なんも楽しくないんだから。
「もう、空理様は本家で一番期待されてる嫡男様なんだよ? シャキッとしなきゃ!」
パンパンと背中を叩かれて、たまらず縁側から飛び降りる。痛くなんかなかったけど、とにかく、距離が近いのがあの時の俺にはやけに恥ずかしかったんだ。
「別に、大人に褒められたって嬉しくないし、楽しくない……」
期待とか言われても、俺に期待している大人達は、皆どこか怖くて……気持ち悪い人達ばかりだった。政治がどう、魔術界がどう、婚姻、子ども、尊い血、伝統、社会、使命……まるで違う世界の言葉。俺には理解できない。
「そうなんだ……大人に褒められるのは嬉しくないんだ」
けれど、そんな俺の言葉に、彼女はどこか寂しそうにそう言った。縁側に両手を付き、大きく体を反って、その痛みで何かを紛らわせるようにストレッチする。
「なんだか、羨ましいな……空理様はきっと、うんざりするぐらいご当主様や御方様から褒めてもらえるんだろうな」
「伊月姉ちゃんは違うのかよ、おじさんや、おばさんに褒めてもらえないのかよ」
「私は全然! たはは……私、魔術は苦手みたい」
コツンと、自らの頭を叩いて自嘲する。そんな彼女に、言葉が詰まる。俺は、彼女の魔術の腕を知らない。どれだけの事ができて、家の中で、どう思われているのか、考えた事もなかった。でも……
「でも、弓は上手いんだろ? 弓術の師範が褒めてるところ見たぞ…………流石烏丸だって」
その時の俺は、それが彼女への褒め言葉だと思っていたし、それが自虐的で困ったお姉さんを慰める言葉になると本気で考えていた。そして、それは確かに表面上は、彼女の良い部分を言い当てていた。他より優れて、彼女は弓の扱いに長けていた。俺は見たことがないが、それは事実なのだろう。
「うん、そうだね」
彼女がそう答えてくれたのだから。けれど、何故だか彼女の顔は前よりもっと曇ってしまったように見える。それがショックで、俺にはもうどうすれば良いのか分からなくて、ただ立ち尽くすしかなかった。そんな俺に、縁側から降りた彼女はゆっくり近づいてくる。
「私が弓が得意なのはね、自分の心を操るのが上手いからなんだ」
そう言って彼女は俺の肩に手を置いて、庭の東へと体を向けた。そちらを見ろという事なのだろう。俺は彼女に促されるまま、夕日に照らされた庭と、まっすぐ自らの足元から伸びた自分と彼女の影を見つめた。
「えっ……」
ギョッとした。目の前に有り得ない光景が広がっている。
「影はね、光の当たらない場所、物事の裏側、内面を意味する魔術的な記号なの」
烏丸伊月はそう言って、自らの影を指さした。まるで、自分自身を地面に刻み付けるような影法師、その顔が、彼女の顔が泣いていた。まるでそこに眼があるように、眼の縁を光が彩り、まるで光は涙のように、影の頬を伝って流れていた。
「私たち烏丸は、自分の心をコントロールする事で、影を自在に操る影使いの一族…………ごめんね空理様、凄いのはね、私じゃなくて烏丸なんだよ」
流石烏丸だ。それは、烏丸伊月を褒める言葉ではなかった。烏丸の人間は、皆、当たり前に弓の名手なのだと後で知った。彼等は自らの精神をコントロールする術に長けており、だからこそ、弓道においては無類の強さを誇るのだとか。そんな烏丸家の中で、一番弓が下手なのが伊月さんだった。こうして、俺の前で悲嘆に暮れてしまうように、彼女は未熟で、そして烏丸の魔術師としては価値のない人間だった。
影へ向けて真っ直ぐと伸びた左手、その着物の袖から見える彼女の手首を、今でも覚えている。赤黒く腫れ上がった、無数の切り傷の痕……それが幼い俺には恐ろしくて恐ろしくて…………
そして同時に、彼女の事は、誰かが守らなければならないんだと思った。
「じゃあさ、俺が大人になったらお嫁さんにしてやるよ」
何がじゃあさ、なのか当時の俺も分かっていなかった。子供特有の支離滅裂な、訳の分からない言葉だったけど、何となくそれで彼女が喜んでくれるような気がしたのだ。
「わっ、本当?」
「ウン……」
「嬉しいなぁ、本家の御方様になれるなんて、凄い出世だね私」
俺の肩に置いていた手が、すっと頭の上に伸びてくる。ガクガクと頭が揺れる。気が付けば泣いていた伊月さんは、花のように笑って、俺の頭を撫でていた。
「ありがと、空理様……じゃあ、大人になったら結婚しよっか」
それは、結婚と言う言葉の重さを知らない子供の戯言だった。そして彼女の了承も、そんな子供相手の、優しい嘘でしかなかったのだろう。けれど俺は、その瞬間の彼女の笑顔が嬉しくて、嬉しくて…………きっと一生忘れない。
忘れないのだろうと…………思っていた。




