歌臼大学連続吸血事件 第十一話
三か月前、家に婚約者が住み着いた。それは、鷹峰と遠城の二家の合意のもと、当人たちの意思が介在しない場所で決まった同棲生活の始まりだった。俺から霊翔環を取り上げる訳にも、しかし自由にさせる訳にもいかない鷹峰本家による苦肉の策。俺を傀儡とするための根回しが済むまでの時間稼ぎ。
本家の思惑を鬱陶しいと思わないでもない、しかし、俺と佐奈毘の契約内容があちらにバレれば、この程度の干渉では済まない事を俺は知っている。霊翔環を手に入れさえすれば、俺はいつでも鷹峰の至宝をこの世から抹殺する事ができる。そんな嘘が、俺の立場を保障する最後の砦だった。
だけど、当時はそんな据わりの悪い均衡を気にしている余裕などなかった。この二十七年、恋らしい恋などあっても一度きりだった鷹峰空理にとって、遠城霧花という女性はそれだけ刺激的な存在だったのだ。自分の生活空間に嗅ぎなれない女性の香りが混じり、女性物の洗濯物が当たり前のように部屋干しされ、風呂上り、寝起き、様々な場面で彼女と顔を合わせる生活は。正直に言えば長く続けたいとは思えない、平穏の対義語は同棲なのではないかと錯覚するような日々だった。
早々に寝泊まりを三階の事務所に変えたのは我ながら英断だったと思う。
時は過ぎ、二〇二五年十一月三十日日曜日。俺の家には、もう一人、年頃の女性が訪れていた。伊月摩耶、霧花さんの友人である。
◆◆◆
魔術師は日曜だからと言って、必ずしも休日になるとは限らない。人間と違い大抵の魔物は年中無休なのだから、それを狩るハンター業を生業とする俺のような人間が、休日をゆっくり過ごせるかどうかは本人の腕次第なところがある。安いハンターなら、年中無休で依頼を受け入れている者が多いが、俺のような中堅層は殆どが安定して週休二日で生活している事が多い。要するに定休日を設けているという事である。
うちの事務所は日曜と月曜は休みとなっているが、そのうち日曜日の方は実のところ休みではなかったりする。
「それってどういう事ですか? さっき自分の口で休みって言ったばっかりなのに、矛盾してません?」
理沙のつけたテレビを、リビングのテーブルからソファの背中越しに眺める。疑問を呈する摩耶ちゃんの声は背後から飛んでくる。テーブルを挟んだ席に座る彼女は、チラと見たところ興味津々と言う感じで俺を凝視ししている。正直に言えば、果てしなくやりづらい。
「総領会の認定魔術師という制度がある。稼働時間に関係なく、一定の年俸を受け取る事ができるが、代わりに一週間に一日、自宅での待機を義務付けられる。俺の場合それが日曜なんだよ」
「家から出ないのが仕事ってことですか? なんか変なような」
別に変という事はない。有事の際に動けるように、いつも一定の戦力が待機しているというのは意味がある事だ。その枠が総領会の魔術師に限定されているのは正直変な話だが、そこを突っ込むと色々と面倒なので、勘弁して欲しいところだ。溜息を吐く俺に、摩耶ちゃんは不思議そうに首を傾げている。
俺は美人が苦手だ。もう何度も何度も心の中で呟いているが、俺は美人が苦手なのだ。その特有の迫力のせいか、俺は美人が相手になると腰が引けるというか、逆らえなくなってしまうのだ。そういう意味では、俺は伊月摩耶という女性をそこまで警戒する必要はないのかもしれない。美しさよりも、親しみやすさが先に来るタイプの顔立ちをしている。
だというのに、何故だろうか……? あまり長く彼女の顔を見ていられないのは。
なんとなく、そのままテレビを見ていた俺達。会話が途切れたその瞬間、ガチャリと鍵のまわる音が玄関の方から聞こえてきた。買出しに出ていた霧花さんが帰って来たのだろう。俺はスッと立ち上がって彼女の下へと向かった。
「買いすぎじゃない?」
「今日はいつもより人が多いでしょう? その分よ」
出迎えた先には、パンパンのエコバッグを手にした霧花さんが居た。その荷物を受け取るとズッシリ重い。普段からでは考えられない量だ。
「あの娘、いつまで居るの?」
「私に聞かれても困るわ。本人に聞けば良いじゃない」
アンタの友達だろとは思うが、霧花さん的には彼女が長居する事に不満は無いという事だろう。理沙の迎えも夕方になるそうだから、確かに買出しの量が多くなるのも理解はできる。夕方まで四人で過ごすつもりなら、コレぐらいは必要かもしれないと思い直す。しかし、いや……今更か。霧花さんが家に来て以来、ここが居心地の良かった事なんてないのだから。
「なに二人でコソコソ話してるの?」
廊下の先、リビングの入り口の前に立つ女。荷物を地面に置いて中身を確認していた俺からは、その顔を見上げる形になった。初めて会った時は髪をハーフアップにしていたのが、今は髪を降ろしていて、随分と雰囲気が違う。人の家だと言うのに、やけにリラックスした立ち姿、その顔、その声に…………俺は…………………………
「私も、混ぜてよ」
彼女ではない、誰かを見ている気分になった。
◆◆◆
鷹峰空理は恋をしない。友人にはよく朴念仁と揶揄されたが、俺はそういう人間だ。そうである必要があった。だから二十年前のあの日、俺はそういう人間になったのだ。俺のため、誰かのため、そして何より鷹峰という家のために。
鷹峰本家の邸宅の庭は、数ある訓練場の中でも最精鋭の子供たちが使用する神聖な場所だった。分家の子供は、誰もがこの場所に加わる事を目標とするように親に言いつけられ、夢に見るという。当時の俺は、そこがそんな場所とも知らず、数人の兄弟と共にそこを遊び場として駆け回っていた。本家の子供は、そこではなく邸宅の裏にある山の社で訓練をするため、分家の人間がどこで何をしているかなど知りもしないのだ。
「クウリみーつけた!」
「うわっ見つかった!?」
魔力で脚力を強化して、瞬時に茂みから飛び出す、既に俺を指さした兄は畳何畳分も先を走っている。その先には鹿の頭骨が地面に置いてある。あの上に兄の足が乗れば、その時点で俺は捕まってしまう。まだ、遊びは始まったばかり、まだ頭骨の周囲に捕らわれた子供の姿は無い。つまり俺が一人目で。そんな事になれば、また馬鹿にされると歯噛みする。
しかし、幼い時分の一歳差というのは残酷で、俺がどれだけ走っても前を走る兄に追いつけそうも無かった。
「あっ! あそこに綺麗なお姉さんがっ!」
「えっ!? どこだ!? クウリどこだよ!! 見えねえよ! おい!! クウリ……あっ」
あっ、と一抹の寂しさを感じさせる呟きを残す兄の横を通り過ぎて、思い切り鹿の頭骨を蹴り上げる!
「ふざけんなー! 卑怯だぞー!!」
そんな兄の抗議も虚しく、かなりの距離を飛んで行った頭骨、これで遊びは仕切り直しだ。俺は急いで煙幕の魔術で姿をくらます。直後に風が吹き荒れて、煙は散るが、俺は既に隠れ場所に逃げ込んだ後だった。
庭を巡る幾つかの小川、それを渡す幾つかの端の中で最も立派なアーチ橋がある。その裏の天井は、今まで一度も見つかった事のない秘密の場所だった。
「なんだササネ、お前もここか」
「そうだよ、私が先だったんだから、クウリはどっか行ってよ」
なんだよと口がひん曲がる。この橋の下は確かに狭いが、追い出すまでもなく、子供二人を覆い隠すに十分なスペースがあった。同い年の妹は、迷惑そうな顔をしているが、俺としてはここに居ることに問題は感じなかったのだ。
「良いだろ別に、ほら詰めろよ」
なんて言って、彼女の隣に詰めて隠れる。スペースに余裕はあるが、アーチの低いところは外から見えやすい。隠れるなら、真ん中の高いところに隠れなければならない。だから、彼女の態度にムカついた俺は、無理にでもその場所に入ろうと身を寄せた。鉄骨に手足を引っ掛けてぶら下がる二人がせせこましく並ぶ姿は、今にして思えば、かなり奇妙な光景だった。
「ちょっ……クウリ、近い」
この場所を知っているのは俺とササネだけで、こうやって隠れる場所が一緒になる事も多かった。だから、兄弟の中で一番仲が良かった相手と言われると、まぁ彼女と言う事になると思う。ただ、ちょっと身を寄せただけで顔を赤くするような彼女の挙動不審さが、俺は苦手だった。
「クウリ、例の……今日あたりが良いと思う」
「……もう少し待てないのか?」
彼女は難しい顔で首を振る。どうも、もう在庫がないらしい。ならば、彼女の言う通り、今日あたりというのが妥当なのだろうと思った。
「分かった……夕方な」
「うん…………」
そんな約束通り、俺は夕方になるとコッソリと部屋を抜け出して、屋敷の離れにある厨房へ足を向けた。儀式の日は別の厨房が使われるため、普段はその時を狙っていたが、バカ妹が在庫管理をミスったために俺は策を練る必要があった。俺は適当な場所に水を垂らして泥を作ると、そこにロープを浸して茶色に染める。
「宿れ。野の精、汝草地を駆け世に憚るものなり」
俺の口遊んだ魔法の言葉に応えるように、ロープはうねり、蛇のような動きで厨房の窓から中に入っていく。暫くすると、飯炊き女達の悲鳴が聞こえてくる。そして、二分ほど混乱は続き、それが収まる頃にしれっと中からササネが出てきた。両手に食料を抱え、見事に潜入任務を完遂したのである。
「でかした!」
「早く行こう! バレたら殺される……」
鷹峰本家の敷地は広大だ。それ一つで優に街と言える規模を誇り、無数の家、無数の施設が立ち並ぶ中に我が家。その裏には標高数百mの森深い山が聳え、その中腹に、家の人間に社とだけ呼ばれる謎の建物がある。それが祭神を祀る神社であると知るのはそれから数年後の事で、当時の俺達からすると家から見上げたところに微かに見える謎の屋根の建物でしかなかった。
そんな山へと入る鳥居の横、ちょっとした広場となっているそこに駆け込んだ俺とササネは、キョロキョロと周囲を見回してから「ヨモギー!」と森の奥へと声を掛ける。上がった息を整えながら、早く来い早く来いと呼びかける。やがて、茂みがガサガサと揺れて、真っ白な体毛の日本犬が顔を出す。
そいつはここに来る前から、俺たちの持つ肉の臭いに気が付いていたのか、元気に「ワン!」と吠えて駆け寄ってくる。面白いぐらいに尻尾を振って走り回る姿に、俺もササネも表情を綻ばせた。
「餌だよヨモギ……」
「元気してたか?」
地面に肉やら野菜やらを置くササネの横に立って、俺はヨモギの身体を撫でて、ケガなどがないか確認していく。俺達がコイツと初めて会った時、コイツは猪か何かにやられたのか、腹に穴をあけて血を流していた。六歳の子供が足りない頭を振り絞って、色々と手を尽くし、なんとか回復させたは良いが。俺もササネも情が移ってしまい、こうして定期的に会いに来るようになったのだ。
「餌、あと何日分残ってる?」
「うーん……多分、一週間くらい」
じゃあ、また来週これをしないといけないのかぁ、なんて溜息を吐く。そんな俺を見て、ササネも不安そうに指と指を突き合わせていた。
「だけど、大人たちには話せないよなぁ」
「うん、そうだね……」
ここは動物が生きていくには厳しい家だ。大人に話して飼って良いことになっても、きっとロクなことにならない。子供心にそう察していた。だからこそ……その芝を踏む音に、俺も、ササネも表情を凍らせた。今この瞬間、見られてはいけないこの瞬間、誰かが広場に踏み入って来たのだ。
「やっ!」
バッと振り返った俺達を出迎えたのは、そんな陽気な挨拶だった。
「なに二人でコソコソしてるの? 私も混ぜてよ」
見慣れない、年上の女の子だった。お手伝いさんのような白いエプロンをした……明るい茶髪のお姉さん。彼女の名前は烏丸伊月、それが俺の半生で最初で最後の一目惚れだった。




