2, 窓の向こう側
ゆっくりと窓に近づき、私は外の景色に目を向けた。
……え?
空。青空。しかも雲もある。
うん、間違いない。空だよね。
そして、目線を下げていくと……森?
森!? いや、ちょっと待って。なんで森?
しかも、どこまでも続いている。圧倒的な森。超大盛りの森だ。
思わず目をゴシゴシ、瞬きを何度も繰り返す。視力検査でもこんなに瞬かない。
……やっぱり見えるのは、森だった。空の下に一面、緑の海。
え、なにこれ。もしかして、私――
超高層建築の最上階にでも来ちゃったの?
いや、そもそもここ、洞穴の奥だったはずだよね!?
なにそれ。どういう構造? 洞穴のくせに上空が一望できるなんて詐欺じゃん。
いや、これは夢だ。だからそういうこともあるんだ。
夢なんて大抵、突拍子もない。
ぐぅぅぅぅぅ~~~
おや? これはお腹の音……? そういえば、お腹が減った。
夢の中でもお腹が空くなんて!
まあ、いいや。
とりあえず、お腹が減ったら食べる。これは生き物としての鉄則。
夢なのに背中にはちゃんとバックパックを背負っているし、その中には今朝作った昼食が入っているはずだ。
私の脳内は相変わらず登山の続きのままだ。
部屋を見回すと、淡いグリーンのふかふかソファーが目に入った。
「おっ、いい感じの昼休憩ポイント発見!」
私はソファーへ向かい、バックパックを下ろして中をゴソゴソ探った。
おにぎりとペットボトルのお茶が入っていて、ほっと安心した。
夢の中でも現実と繋がっているようだ。
おにぎりを一口かじると、海苔の風味と塩鮭の絶妙な塩加減が口いっぱいに広がる。
……って、夢のくせに、めっちゃ美味しいんだけど。
夢のくせに味がしっかりしているってなぜ? 私の脳、優秀すぎるのかな?
二つのおにぎりをぺろりと平らげ、お茶を一口。ふぅ~、落ち着く。
「ああー幸せ。やっぱりおにぎりは塩鮭に限るわぁ」
つい、ソファーにもたれて独りごちる。もはやピクニック気分。
だが、のんびりお茶を飲んでいたら……
当然ながら、次の自然の波が来るわけで。
――トイレに行きたい。
おかしい……
夢のはずなのに、お腹が空くだけじゃなく尿意までもよおすなんて……
でも、夢といえど漏らすのはいただけない。
あらためて部屋を見回す。
うん、謎にハイセンスなのは分かった。
だったらトイレのひとつやふたつ、あるよね? 頼むよ?
目につく二つの扉。
どっちかにあるに違いない。
勘を頼りに、一つ目の扉を開けてみると――
目の前にはスタイリッシュな木製の洗面台。
その左右にさらに扉がある。それぞれ開けてみると……
ありました、広々としたトイレと、映画に出てきそうなバスルーム!
「うわっ、なにこれ。超贅沢なバスルーム……バスルームっていうか、ちょっとした温泉施設じゃん……」
しかもその湯船、泳げそうなほどデカいし、お湯は常に湧き出しているし。いやもう、これ温泉でしょ? 温泉だって言ってほしい。
「温泉だったらいいよね……」
私は心の中で、後でしれっと入ることを決意した。
――おっと、トイレ、トイレ。お風呂は後だ。
そして、なぜか誰もいないのに口から自然に出た一言。
「すみません、トイレ、ちょっとお借りしまーす」
いや、ここ誰の家? 夢だよね? そう信じているけど、一応礼儀は守るスタイル。
トイレットペーパーがない! と思ってポケットティッシュを持ってきたら、なんと必要なかった。
自動洗浄装置がついていて、温かいお湯がピュッと出て、温かい風がブワッと吹いて一瞬で乾かしてくれた。しかも、その後フローラルな香りが漂った。
ボタンを押さずに全てが自動で動く。どういう仕組みか分からないけど、なんという高機能トイレだろう。
洗面所の水も手をかざすだけで出るし……まあ、それは現実世界でもよくあるけど。
とにかく夢の中のトイレ、すごいと思った。
でも――
この時点で、私はすでに気づいていた。
これ、たぶん夢じゃない。
だって、これまで夢の中でトイレに行きたくなった時は、必ず何かしらの邪魔が入って用を足せた試しがない。
トイレだと思って開けたドアの先が食堂だったり、扉が壊れて閉まらなかったり、ガラス張りで丸見えだったり……
とてもじゃないけど使えるわけがなくて、目が覚めるまで延々と“まともなトイレ”を探し続けていたのだ。
つまり、私はただ現実から目をそらして、しつこく夢だと信じ込もうとしているだけ。
……しょうがない。ここまできたら、「夢」という設定はいったん棚に上げよう。
現実逃避も悪くないけれど、胃もたれみたいに長引くのはさすがに辛い。
よし、だとしたら今後どうするかだ。
不安を押し殺して、次になすべきことを考える。
何かしていないと、途端にマイナス思考になりそうだ。
ここは……異世界にある誰かの住処で、かなり高い場所にある。
しかも森の中だ。
とりあえず、今いる場所から調べよう。
誰かが住んでいることが分かったら帰る方法を聞いて……
……まさか、悪者が住んでいたりしないよね。
私は改めて部屋の中を見渡す。
どう見てもこの可愛らしい部屋は悪者が住んでいるようには見えない。
まだ確定はできないけど、大丈夫だと信じよう。
元来、前向きな私はそう決めて、まずはファンシールームを調べてみることにした。
さっきトイレに行った時に見た洗面台の脇にある収納棚には、タオルらしきものしかなかった。
タオルがあるなら、温泉に入るのに困らない。(この時点で私はここにあるお風呂を温泉と認定した)
よしよし……
もう私はリゾートホテルにいる気分だ。
そして、気になるのは、あの一段高くなったステップの奥にあるカーテンの向こう側と、もう一つの謎の扉。
さて、どっちから攻めようか……と、二秒悩んでカーテン側に決めた。なんとなく、こっちの方が優しそうな気がする。
そっとカーテンをめくりながら、小声で言ってみる。
「おじゃましまーす……(もう既に侵入してるけど)」
カーテンの向こうにあったのは――
……え、ベッドルーム。
しかも天蓋付き! 天蓋って漫画とかでお姫様の寝室にしか出てこないやつでしょ!?
それにしても人生で初めて見たよ、実物の天蓋ベッド。テンションがちょっと上がるのが悔しい。
私が寝ていいの? いや、違う違う。見るだけ、ね。観光。
……ん? ベッドの奥に扉がある?
開けてみると、そこにはレースやフリルのワンピースがずらり。
ウォークインクローゼットというより、完全に衣装部屋だ。
え? やっぱりここに誰か住んでいるってこと?
だとしたら、住人はどこに行ったの?
私は勝手にうろついてるけど、これって不法侵入?
いやいや、気づいたらこの部屋の中にいたんだからセーフでしょ。
……セーフだよね?
それに、別に盗むわけじゃない。ただ見ているだけだ。
大丈夫、大丈夫。
さて、気を取り直して次はいよいよ怪しい方へ。
もう一つの扉を開けてみる……と、その先には。
出た! 螺旋階段。しかも映画に出てくるタイプの本格派。
中央にくるくるとそびえ立っていて、なぜか上から神々しい光が降り注いでいる。
「おぉぉ……これはきっと、上に何かがあるやつ」
テンション上がってきたけど、下にも続いている。
つまり、上か下か、人生の分かれ道。
ちなみに下の方は――
暗い。怖い。ホラーゲームのスタート地点みたいな雰囲気だ。
上は明るい。希望に満ちている。
さて、どっちに行くべきか。
……と、その前に。階段ってだけで息切れしそうなアラフォーの自分を思い出し、しばらくその場でストレッチを始めた私だった。