52, 乱入
何かが起きている。
リゲルの表情からは、これが偶然の騒ぎじゃなく意図して起こした“動き”だということがわかる。
走り去るたくさんの足音。
ひとつじゃない。規則正しい騎士の歩調とは違う、ばらばらで、焦りを含んだ感じだ。
空気が、重い。
魔力の流れが乱れている。
強大な力ではないけど、抑えきれずに漏れ出したような、未熟で粗い波動が、あちこちに散っている。
――人が、多すぎる。
先導するような声が上がった。
言葉は聞き取れない。ただ、アドレナリンを噴き出すかのような剥き出しの怒りを含んだ怒号のようだった。
確実に何かが始まっている。
私たちを乗せた魔導車はその喧騒の中心を目指して出発した。
「平民たちが、城内になだれ込んでいる」
魔導車の中でリゲルは淡々と告げた。その声には、驚きも焦りもない。
平民たちが……?
そうか……リゲルは反乱に乗じてクーデターを起こすつもりなんだ。
ここで私はリゲルの計画を悟った。
「もちろん、偶然じゃない。――僕の部下が、先導している。もともと帝國に鬱屈を抱えていた連中だ。火種は小さくて十分だった。あれだけ溜め込んでいれば、動かない方がおかしい」
一拍置いて、彼は続ける。
「皇帝を裁くのは、彼らだよ。剣でも魔法でもない。民の怒りだ。……もっとも、そこまで追い詰めたのは、他ならぬ皇帝自身だけどね」
目的地に辿り着き、魔導車を降りると、黒い外壁の皇極殿が目の前に聳えていた。
磨き上げられた御影石のような光沢を放ち、普段ならば揺るぎない威厳を湛えているのだろう。
だが今は、騒乱の中心となり、人の波に取り囲まれている。
その姿は異様な圧に押し歪められているように見えた。
怒号と叫び声が飛び交う中、平民たちは次々と皇極殿へ雪崩れ込もうとしている。
それを阻むように立ちはだかるのは、黒い騎士服に身を包んだ皇城の騎士たちだった。
彼らは平民たちを押し返し、容赦なく斬り伏せていく。
それでも、平民たちは怯まない。
これまで積もり積もった憤りを吐き出すように、手にしたナイフや棒きれを振り回していた。
そこに加勢しているのが、灰色の騎士服の騎士たちだ。
――きっと、リゲルの部下である下級騎士たちなのだろう。
彼らは次々と黒服の騎士と斬り結び、皇極殿へ続く道を切り拓いていく。
生々しい戦いの只中に、思わず足が竦みそうになった。
そのとき、一人の灰色の騎士服の男が駆け寄ってきた。
「リゲル様、進路は確保しています。ただし、皇帝の守りは固く、未だ近づけない状況です」
恭しく首を垂れた赤茶の短髪の男は、リゲルに絶対の信頼を寄せているように見えた。
「ああ、ゼストか。ご苦労だったね。問題ない。想定内だよ」
リゲルは落ち着いた声でそう答える。
「さあ、行こうか」
振り返って、リゲルが私とロイドに声をかけた。
「ミカ……?」
呆然と立ち尽くしていると、隣にいたロイドが心配そうに私の顔を覗き込む。
「大丈夫」
そう答え、私は深く息を吸い、乱れた心を整えた。
重厚な扉の前では、灰色の騎士たちが円陣を組むように立ち、迫り来る黒の騎士を食い止めている。
刃が交錯し、火花が散った。
ゼストと呼ばれた騎士が道を切り開き、そのわずかな隙間を縫うように、リゲルは迷いなく扉へ手をかける。
中へ入った瞬間、重い扉が閉じられた。
外の喧騒は、嘘のように遠ざかる。
厚い石壁に遮られ、怒号も剣戟も、くぐもった残響へと変わっていった。
皇極殿の内部は、静寂に包まれていた。
あまりにも静かで、ついさっきまでの混乱が幻だったかのように思えるほどに。
リゲルが迷いなく進んだ先は、広大な謁見の間だった。
高い天井。幾何学模様の装飾が施された石柱が規則正しく並び、壁面には帝国の紋章が刻まれている。
冷えた空気が、肺の奥まで染み込んでくるようだった。
足音が、やけに大きく響く。
踏み出すたび、その音は吸い込まれるように空間へと消えていった。
リゲルの背を追って奥へ進むと、黒曜石のような艶を帯びた豪奢な玉座が目に入る。
そこに腰を掛けているのは、漆黒の鎧姿の金髪の男――この国の皇帝だろう。
玉座の周囲には、数十人の黒い軍服の近衛騎士たちが控えている。
さらにその背後には、杖を携え、ローブを纏った三人の男たちが立っていた。
その存在に、ミカが無意識に息を詰めたのを察したのだろう。
リゲルは歩みを止めることなく、後ろを僅かに振り返り低く囁いた。
「見えるだろう。皇帝の背後に立つ、あの三人が――帝國付きの魔法師だ」
僅かに視線だけで示される。
細身の男、岩のような体躯の男、そしてまだ若さの残る男。
三人とも、帝國を象徴する意匠の制服にローブを重ね、感情を削ぎ落としたような顔で立っていた。
「全員、呪紋を刻まれている。帝國に逆らうことはできない」
淡々とした声だった。
だが、その言葉は重い。
「しかも、あいつらはゲイリー兄上の実験の成功例……兵器に近い」
実験……私はさっき研究棟で見た人体実験で朦朧とした人たちを思い出した。
なるほど、リゲルが私に協力を仰いだ時に言っていた三人の魔法師というのは彼らのことか。
でも、呪紋を刻まれているというのなら、彼らも無理やり連れ去られてきた者たちなのかもしれない。
「リゲル! 何をしている! あの愚かな平民どもは制圧したのか!? まったく、この私に逆らうとは身の程知らずな!」
怒りを露わにして、皇帝が叫ぶ。
だが次の瞬間、その視線がリゲルの背後――私へと向けられた。
「……ん? その後ろにいるのは“特選”か? そうか、お前たちが暴徒どもを制圧したのだな!」
皇帝は、納得したように言葉を続ける。
「くす……くすくす……」
私の前に立つリゲルから、微かな笑い声が漏れた。
「お前……こんな状況で何を笑っている!?」
苛立ちを孕んだ皇帝の声が、謁見の間に響き渡る。
「だって、おかしいじゃないか。どうして僕たちを見て、味方だと思えるんだい?」
「……何だと? どういう意味だ」
「城内に押し寄せている平民たちは、みんな僕の味方さ。あんたは、この国に必要とされていない。――いや、それどころか、邪魔なんだよ」
「お前……何を言っている……」
皇帝は、怒りを抑え込むように、震える声を絞り出した。
「あんたには皇帝の座から退いてもらう。そして――これからこの国を統治するのは、僕だ」
リゲルは穏やかな声で、決定事項を告げる。
「ほら、もうすぐ僕の味方がここへ辿り着く。あんたがこれまで犯してきた罪を、その身で償うといい」
その言葉を合図にしたかのように、謁見の間の扉が乱暴に押し開かれた。
なだれ込んできたのは、灰色の騎士たち。
そして、手に質素な武器を握りしめた平民たちだった。




