消えた再会、黒い影と新たな謎
「……アンナ?」
震えた声が耳に届き、思わず目を見開いた。目の前に立つのは――紛れもなくケンタだった。日本で行方不明になったと聞かされて以来、ずっと心の奥に封じ込めてきた存在。しかし、その姿にはどこか変化があった。
短く切り揃えられた黒髪は少し乱れ、戦士らしい荒々しさを醸し出している。鋭い目元と彫刻のように整った鼻筋、その下の薄い唇。端正な顔立ちに疲労の色が漂い、広い肩と引き締まった体つきが、この世界での日々を物語っていた。
「ケンタ……」
名前を口にすると、胸がぎゅっと締め付けられるような感覚が押し寄せる。視線の先、動揺を隠せない瞳がこちらを揺れていた。穏やかだったその目は迷いを浮かべ、何かを確かめようとしているようだった。
「どうして……ここにアンナが?」
かすれた声に、静かに息を整えて答えた。「……召喚されたの。この世界に――突然」
短い言葉を紡ぐ間、エマさんやテオロフさんから聞いた話が脳裏をよぎる。温泉を作り、脱出ルートを整備した異世界人。その名がケンタだと知った時は信じられなかった。だが、今目の前にいる現実がそれを裏付けていた。
「エマさんたちが話していたの……温泉や脱出ルートのこと。それ作ったの、全部ケンタなんでしょ?」
問いかけると、肩がわずかに揺れる。視線を逸らし、小さくうなずいた。
「そうだったんだ……」
低く聞き取れるかどうかの声が返される。
「召喚されたんだよね?」さらに問いかける。
「……ああ」
短く返されたその言葉に、どこか苦しげな響きが混じっていた。ケンタの様子がおかしい――そう感じながらも、言葉を続けるべきか迷う。その時、彼はふと俯き、低い声で何かを呟いた。
「もしかしたら……君を呼び寄せたのは、僕のせいかもしれない」
「え?」驚きに声が詰まる。
「ごめん。本当に……ごめん」
深く頭を下げた姿に、混乱が広がる。
「どうして、ケンタのせいなの?」
問い返しても、何かを言いかけた唇が閉ざされる。その沈黙を破るように、背後から不気味な気配が漂い始めた。黒い影が揺らめきながら現れ、まとわりつくように寄り添う。
「スキルを聞け」
低く不気味な声が響き渡り、全身が固まった。
「聞け」
命じる声に耐えきれない様子で、小さく息を吐き振り向いた。
「アンナ……君のスキルは?」
震える声に戸惑いながら答える。「武器投影魔法っていうの……なんか武器をたくさん作れるみたいで……」
その答えを聞いた瞬間、影が揺らめきながら冷たく命じた。
「奪え」
その一言に拳が震えるのが見えた。小さな声が低く漏れる。
「やめろ……」
「奪えと言っている」
命令が重なり、怒りがこもる叫び声が響いた。
「やめろって言ってるだろ!」
ケンタは影を振り払おうとするが、冷たい気配は揺るがない。短く謝罪の言葉が告げられた。
「ごめん、アンナ……」
静かに地面に手をかざし、一言が発せられる。
「湯脈探知」
すると、地面に淡い光の紋様が広がり始めた。それは徐々に亀裂へと変わり、冷たい空気を伴いながら円を描くように広がる。
その風に押し上げられるように体が宙に浮き、黒い影も共に裂け目の中へと吸い込まれていった。
「ケンタ……! ど、どこに行くの!? ちょ、ちょっと待っていかないでーー!」必死に声を上げたが、裂け目は姿を飲み込み、静かに閉じていった。
ケンタが去った後、呆然とその場に立ち尽くす。奇跡的に会えたというのに、どうしてあんなにも逃げるような素振りで去っていったのか。胸の奥に広がる疑問と喪失感が重く心を押しつぶしていく。そんな中、背後から足音が近づき、エマさんとテオロフさんが駆け寄ってきた。
「アンナちゃん、大丈夫? 何かあったの?」エマさんの声に反射的に振り返る。
曖昧に首を振った。「ううん、なんでもない……」
テオロフさんが眉を寄せる。「顔色が悪いようじゃが、本当に大丈夫かの?」
「平気。ただ少し、考え事してただけで……」震えが声に出ないよう努めた。
「そうか……無理はしないでくれ。何かあればすぐに知らせるんじゃぞ」
「ありがとう。でも、本当に平気」
エマさんが安心させるように微笑み、続けた。「兵士たちを見回ったけれど、残りの敵軍は今いる戦力で対応できそう。他に強い敵もいないし、捕らえられていた人たちも順調に救出が進んでるわ」
「本当?」少しだけ気持ちが軽くなった。
「ええ、だから今夜はゆっくり休んでね。疲れているでしょう?」
反論しかけたが、テオロフさんが手を挙げて静かに制した。「無理をする必要はないぞ。明日、また次の街への作戦を決める。しっかり休むんじゃ」
その言葉に力が抜け、短くうなずいた。「……分かりました」
二人が戻っていくのを見送りながら、心に湧き上がる感情を押し込める。ケンタの姿、背後の黒い影――そのすべてが頭の中を渦巻いていた。
兵士に案内された休憩所の簡易ベッドに腰を下ろした。さっきの出来事を忘れようとするほど、逆に鮮明に思い出してしまう。目の前に現れたケンタの姿、その背後に揺らめいていた不気味な影。
胸の奥に残った重苦しさを振り払おうと、深呼吸を繰り返したが、効果はない。気づけば、両手が震えている。何を考えてもケンタの言葉が頭を離れない。
「……君を呼び寄せたのは、僕のせいかもしれない」
どうしてそんなことを言ったのだろう。私がここに召喚されたのは単なる偶然ではないのか? いや、それ以上に、ケンタにまとわりついていたあの影――あれは一体何なのか。
混乱が押し寄せる中で、扉の向こうから聞こえる兵士たちの明るい声が微かに耳に入ってきた。この街の奪還が成功したことで、彼らの士気が高まっているのが分かる。それを聞いて少しだけ気が楽になった。
そうだ――今は目の前の戦いに集中しなければならない。ケンタのことも、あの影のことも、きっと答えは見つかる。だから、それまでは自分の役目を果たすしかない。
「よし……大丈夫。私は大丈夫……」
静かに呟き、横になって目を閉じた。疲労が体に重くのしかかり、まぶたが自然と降りていく。