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アンダーサイカ -旧南岸線斎珂駅地下街-  作者: 唄うたい
第8章 嘘【うそ】
32/39

9-2

ゴボゴボゴボゴボッ…と足元の黒い沼が激しく沸騰し始めた。

驚き声を上げる暇もなく、オバケと私、そして稔兄ちゃんと…ヨシヤの体が徐々に、沼に沈んでいく。


「…きゃ…!」


「…あっ、豊花ちゃん…!!」


バランスを崩して、私は沼に尻餅をつく。

けれど起き上がることは叶わなかった。突いた手もどんどん沈んでいくんだ。


顔を上げた時に見たオバケは、少しも動揺していなかった。当然だ。この沼を生み出した張本人なのだから。

そしてこれから向かう先は、もちろん…――、


【イザ行カン。

我等ガ地獄ヘ―――。】


オバケの号令と同調したのか。沼の沸騰は更に激しさを増し、襲いくる波に私は呼吸さえままならなくなった。


「やだっ…、いやだ、いやだ!!…うわああぁ!!」


稔兄ちゃんの叫び声が聴こえる。


「稔兄ちゃん……!!」


悲惨な光景だった。

黒い泥水が命を持ったように、沼に浸かった脚から上へ上へと、稔兄ちゃんの体を這っていた。

じゅるじゅるじゅる…。嫌な音を響かせて。


「やだッ…たすけ…豊花ァ……!!」


稔兄ちゃんは私に向かって手を伸ばしたけれど…、それより早く、黒い泥に体を覆い隠されてしまった。


「…あっ、ああぁ…ッ!」


私は助け出すことも叶わなくて、稔兄ちゃんが黒に飲まれる一部始終を、ただ見ていることしかできなかった…。


「…ユタカッ、薬屋…!!

待っていろ、すぐに…っ!」


キョウくんが焦りを隠せず叫ぶ。

同時に銃剣を構え、沼から助け出すべく私たちのほうへ駆け寄ってきた。



「来てはいけませんッ!!!」


でも、更に大きなヨシヤの一喝が飛ぶ。

キョウくんの足が止まった。


「貴方はこの世界を取り締まる警備員でしょう!!

お客様に逆らって“罪人”を救うなど、あってはならないことです!!

今の僕と同じ目に遭いたいんですかッ!?」


「……っ!!」


キョウくんの顔に戸惑いの色が浮かんだ。

警備員としてルールを犯してはならないという使命感と、私たちを助けたいという正義感との葛藤…。

その葛藤が、キョウくんの足を止めていた。


けれど、キョウくんの言葉までを止めることはできなかった。


「……だ、だが、ユタカはどうなる…!?

ユタカには何の罪もない…!

みすみす見殺しにするわけにはいかない…っ!!」


「……キョウくん…っ。」


―――キョウくん…気にかけてくれるのは嬉しいけど…。


―――私は………、


「…っ、ヨシヤ、やっぱりダメ…!!

行っちゃダメだよっ…!!」


私は手を伸ばした。

キョウくんではなく、半身が沼の中へ引きずり込まれたヨシヤのほうへ。


「え…っ?」


驚いた顔をしながらも、ヨシヤは右手を伸ばして、私の手を掴んでくれた。


手を離さないように、強く強く握り締めて。


「…ヨシヤ行かないで!お願いだからっ…!

私、もっともっとヨシヤといたいよ!お別れしたくないよぉっ…!!」


沼が纏わり付いてくる。体のほとんどが沈み込んで、このままだと私まで地獄に飲み込まれるかもしれない。

でも、手を離したくなかった。


ヨシヤに死んでほしくなくて。

ヨシヤと…離れたくなくて。


「ユタカ…っ!!」


キョウくんの呼び声と、


「…豊花ちゃん…、手を…、」


ヨシヤの悲痛な訴え。

どっちも聞きたくなくて、私は首を横に振る。


「やだっ!やだ、離さない…!!

ヨシヤと一緒にいる…!!」


それは、今までの我慢とか恐怖とかが、一気に弾けた結果だった。


いい子にしてなきゃ。受け入れなきゃ。6年生なんだから。

…そんな暗示をかけて、押さえ込んできた。

本当はずっと怖くてたまらなかったのに。


お家に帰りたいと泣きわめきたかった。

寂しくて心細くて、私がこの世界で唯一頼れる人に……ヨシヤに、本当はたくさん甘えたかった。


だって気づいたんだもの。

私はこんなにも…、



「…ヨシヤが、大好きだからぁっ…!!」



―――稔兄ちゃんよりも、誰よりも。



「豊花ちゃん……――。」


ヨシヤの、熱を帯びた声を聞いた。



「………大丈夫です、警備員さん。

…言ったでしょう。

豊花ちゃんは絶対に死なせません。」


ふいに、ヨシヤが左手を自身の口に持っていった。


左手に握られていたのは、紫の液体が入ったあの小瓶。いつも私が地上へ帰る時に飲まされていた、あの薬。


「――っ。」


それをヨシヤは、一滴残らずすべて自分の口に含んだ。


「―――?」


そこからは流れるようだった。


ヨシヤの右手が、私を強く引き寄せ、ヨシヤの体と私の体、ヨシヤの顔と私の顔が、ぐっと近づいて、



―――…“ちゅっ”。



気づけば、ヨシヤと私の唇が重なり合っていた。



目を丸くする私。

目を伏せたままのヨシヤ。


…同時に、ヨシヤの口の中から液体が流れ込んできた。

紫の薬は何度舐めても苦かったけど、


―――あ、れ……………?


ヨシヤから直に与えられた薬は、とても甘い味がした。



――ごくん。


私が薬を飲み込んだことを確認すると、ヨシヤはゆっくり唇を離した。


「…豊花ちゃん。嬉しいです……僕も、きみが大好きですよ。

きみに触れるたび、きみを知るたびに、どんどん愛しくなっていました。

好きで、好きでたまらない…。それこそ、食べてしまいたいくらいに…。」


―――だめ…。


「………大好きだから、僕はきみを死なせたくないんです。

薬を飲んでくれましたね。…これでもう安全です。

…僕が消滅すれば、きみがアンダーサイカへ喚び寄せられることはなくなりますから。」


―――だめ…っ!!


「ヨシヤ……!!」


握り合う手が、霞んで見えた。

その目眩は、地上へ返還される兆候。

ヨシヤと離れ離れになる…寸前だ。


「―――豊花ちゃん、お元気で…。

…どうか僕のこと、忘れちゃったりしないでくださいね。」


ヨシヤの泣きそうな微笑みが私を見送る。


「…やだっ、やだ、やだやだ…、ヨシヤ…やだぁ……!!」


視界が狭まっていく。

温もりが小さくなっていく。

ヨシヤの言葉を、声を反芻させながら、


「―――…ッ!」


私は意識を手放した。

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