6-3
ぱちっ。
目を開けた時、そこはベッドの上じゃなかった。
いつの間にか、隅っこの小さな丸椅子の上に、器用に膝を折り畳んで座っていた。
右を見ても左を見ても薬の山。そして目の前には、
「こんばんは。もしかしてお休み中でしたか?」
寸分変わらない笑顔を振り撒く、ヨシヤの姿。
私はちらっと視線を落として、自分がパジャマ姿だってことに気づく。
どおりでヨシヤのニヤニヤが二倍増しだと思った。
「その格好も可愛いですけど、なにぶんお仕事ですから。
ふふ、ハイこれ。」
ヨシヤの手には、椿模様の割烹着。
パジャマ着たままよりはいくらかマシか。私はしぶしぶ割烹着を受け取って、パジャマを隠すように上から着た。
人間、何が大切って、やっぱり“慣れ”だと思うわけ。私は割烹着を着た直後にもう、
「今日は何したらいいの?」
ヨシヤからのお仕事の指示を待つんだから。
いつもオバケたちが来るのは深夜1時近く。今はまだその時間じゃない。だから訊いてみた。
ヨシヤは「待ってました」とばかりに、閉め切られた引き戸へ小走りで近づいて、それを一気に左右に開いた。
「!?」
そこに見えるのは……薄暗くて何も無い通路。
ヨシヤは一体何を見せたいんだろう。
そんな首を傾げる私はひとまず放置して、彼はキョロキョロと通路を見回す。
「ちょっと待って下さいね。そろそろ来るはずですから。」
「誰が?」
そう聞き返した私の耳に、微かな「タッタッタ…」という走る足音が聴こえてくる。
足音は2番街…マサちゃんの店がある方向から徐々に近づいてきた。
タッタッタ…という軽快な音が次第にダダダダッという忙しない音に変わって、
「!」
息を飲むより速く、その人は現れた。
上下とも深緑色の作業着姿に、額に大きな黒いゴーグル。鳥の羽みたいに跳ねた真っ白な髪。
そんな、大昔の飛行機パイロットかと間違えるような風貌の人は、背中にこれでもかというくらい大量の木箱を背負っていた。
大小様々だけど、5段以上に積み上がってる。
とても一人で背負って走れない量だということがすぐに分かった。
それより驚いたのが、その人がどうやらヨシヤよりも若そうな男の人だってこと。
…いくら男の人だからって力持ちすぎやしない?
ゴーグルの奥のキリッと研ぎ澄まされた目が、私たちを捉えた。
思わずビクッとする私。そして、それと対照的にヨシヤは、
「時間ピッタリのお着きです。
さすがですね、配達員さん。」
そうにこやかに言った。
“配達員”と。
驚きを隠せない私の前で、配達員さんはそっとゴーグルを押し上げ、
「――よぉよぉよぉっ!!
“お待たせしました”ってヤツだ薬屋サンよぉ!!
“毎度ご贔屓にどうも”ってな!!」
…空気がびりびり振動するくらいの大きな声で、まくし立てるようにそう言った。いや、叫んだ。
私は唖然とする。いや、意表を突かれて狼狽えた…といったほうが正しい。思わず丸椅子から飛び降りて、ヨシヤの背中に隠れてしまうくらい動揺した。
「あぁ…、やっぱり恐がらせちゃいましたね。
無理もありません。僕も初対面の時は配達員さんをかなり敵視しました。
豊花ちゃん、大丈夫ですか?」
「ダッハッハ!!
本人を目の前に無遠慮に言ってくれるぜっ!!」
そっと、ヨシヤ越しに配達員さんを見る。
笑い方は豪快だし見るからに怪力だし、あんまり自分から近付きたくはないな…というのが正直なところ。
「…………。」
でも、この世界の耐性がついてしまった私は、こんな突拍子もない配達員さんなんてオバケに比べたら全然恐くないと自分に暗示をかけることができた。
まだ少しビクビクしながらヨシヤに答える。
「…………ん。恐くない。」
「ふふ、偉い偉い。」
ほんの少し体を前に出して、配達員さんの背負ってる大荷物を見た。
本当にすごい量…。一体何なんだろう。
「豊花ちゃんには、これを小分けに包装する作業を手伝ってもらいます。」
「?」
ヨシヤの言う“これ”の意味が分からなかった。
すると配達員さんが木箱を床に下ろし、そのうちのひとつを開けた。
中には…、
「なにこれ?」
ビニール袋に溢れるくらい入った、白い粉みたいなものだった。
表面がキラキラ光ってる。香りはしない。
私が首を傾げてると、ヨシヤがすかさず答える。
「これは“塩”ですよ。」
「塩?お料理の?」
「ええ、でも、ちょっと違います。」
率直でなく遠回しに言うのが好きなヨシヤに代わり、配達員さんがハッキリとこの塩の正体を明かす。
「これはな、坊様がよくやる“お清めの塩”ってヤツだ。
葬式帰りとかに、家に良くねぇモンを入れねーためのな!
一度くらい見たことあんだろユタカちゃん?」
「……………。」
さりげなく名前を呼ばれたことは正直どうでもよかった。…ただ、
―――お清めの塩…。
私は家のリビングで見た、お寺のチラシを思い出す。あのチラシにも、確かにお塩のことは書いてあった。
ここしばらくの間で我が家にあった不幸といえば稔兄ちゃんの死…くらい。
「良くないものを家に入れないため」って、それは稔兄ちゃんの霊も…含まれるのかな…。
私個人の些細な悩みを、
「あ~、やっぱ気味悪かったか?」
配達員さんは知るよしもないだろう。
本当の理由を明かしたくないから、ひとまず配達員さんの言う通りだということにしておいて、私はヨシヤに顔を向ける。
「これを包んでどうするの?」
そんなの店主であるヨシヤの勝手だろうけど、私も一応このお店の一員であるわけだし、少しは知っててもいいんじゃないかと思った。
「配達員さんに配ってもらうんです。
アンダーサイカ中の店に。」
「…えっ?」
私はまた、驚いた。
「…こ、この塩、ぜんぶ!?」
「ええ、そのために持って来てもらったんですよ。
大丈夫。包装自体は簡単な作業ですから。」
本当は私は、“こんな大量の塩を小分けにして運ぶほど店があるのか”って意味で驚いたんだけど。
でもよくよく見たらこの塩、凄い量…。
簡単な作業とは言え、包装だけで何時間かかるだろう。
とても今日だけじゃ終わらないことは目に見えていた。
「…終わるまでは手伝うけど、でも、こんなの配ってどうするの?
皆、誰かのお葬式に行くの?」
お清めの塩が必要な理由なんてそのくらいしか考えられない。
さっき配達員さんが言った通り、良くない霊をお家に入れないための…。
「近からずとも遠からず…です。これはね、」
そう切り出したヨシヤの答えはとてもシンプルで、
「アンダーサイカをうろつく、恐ろしい“鬼”を入れないためのお守りなんですよ。」
相変わらずの謎の発言は、得体の知れない怖さを含んでいた。
「んん?何だよ何だよ薬屋ぁ!
ユタカちゃんにはまだ言ってないのかよ!
あっぶねえなぁッ!」
ヨシヤの発言に反応したのは配達員さんだった。
―――危ない?
どういうこと?と目だけでヨシヤに訴える。
「だって、前もって伝えたら、豊花ちゃんが恐がって手伝いたくなくなるかもしれないですから。
でもさっき、ちゃんと“手伝う”って約束してくれましたから教えてあげますね。」
「………………。」
あくどい男だ。
その鬼とやらより、ヨシヤのほうがよっぽど恐ろしいよ。
思わず呆れ顔になる私。
しかしヨシヤは少しだけ、眼差しを真剣なものに切り替えた。
「さて豊花ちゃん、ここでクイズです。
このアンダーサイカに出入りできる存在は大きく分けて4種類あります。
そのうちの3種類は何でしょうか?」
クイズ方式だなんて。完璧に子供扱いしてくれちゃって。
―――でも、出入りできる…?
それを聞いて真っ先に思いつくのは、やっぱりあの黒いオバケたち。
「オバケとヨシヤと…私?」
「そう。お客様と商売人と、それから地上人ですね。」
私の言葉を言い直して、ヨシヤはふいに指を4本立てた。
そのうち3本を折り曲げ、残った人差し指を意味深に口元に添えながら…、
「最後のひとつ。
地上人よりも稀に、アンダーサイカに出現する存在。それは商売人よりも執念深く、お客様よりも狡猾…。
僕達はそれを“人鬼”と呼んでいます。」
「…ひとおに………?」
すかさず配達員さんが、持っていた紙に鉛筆で漢字を書いて教えてくれた。
人に、鬼…。馴染みのない、なんだか恐い字だった。
オニと名がつくくらいだ。きっと本当に、鬼みたいに恐い姿をしているに違いない。
一人震え出す私に、ヨシヤはどこまでも淡々と告げる。
「その人鬼が、アンダーサイカのあちこちで目撃されていることを人づてに知りまして。
被害が出ては大変…ということで、“薬屋の厄除け薬を調合した清めの塩を売ってほしい”と依頼が殺到したんです。」
なるほど、それでこのお塩の話と繋がるわけか。
「でも“被害”って?」
オバケ相手に平然と商売できるヨシヤたちにとって、並大抵のことは苦じゃないように思えるけど。
そうぼんやり考えていると、ヨシヤの言葉が雷みたいに私の体の芯を刺した。
「人鬼は“僕達を食い殺す”ことを目的としているんですよ。」
「く、食いっ………?」
営業妨害とか以前の問題だ。まさか殺すだなんて…。
でも、同じ“食い殺す”なら、私だってヨシヤに何度も言われた。あれはどういうこと…?
…このタイミングでそれを訊けるほど私の神経は図太くはなかったけど。
「理由は知ーらねっ!!
とにかくその人鬼ってヤツが現れっと、必ず商売人の誰かが食い殺されちまう!
薬屋はそれを防ぎてぇんだと。お優しい野郎だなっ!」
「商売ですから。依頼料金の配送もよろしくお願いしますね、配達屋さん。」
ニカッと笑う配達員さんと、どこまでも張り付いた笑顔のヨシヤ。
真剣な話のはずなのに、二人はまるでお祭り前夜みたいに楽しそう…。
それがまた、私の不安を煽った。
「そういうわけで、アンダーサイカ中の商売人が、清めの塩を欲しがっているんです。こわーい鬼から身を守るために。
だから助けてあげないと。
手伝ってくれますね?豊花ちゃん。」
配達員さんから顔を逸らし、ヨシヤの顔が私だけに向く…。
「…………っ!」
彼はいつもみたいに笑ってた。
…いや、確かに笑ってるんだけど、…何かが“変”だ。
―――…そうか、冷たいんだ。とっても…。
ヨシヤの目には“商売人たちを助けたい”という気持ちがまるで無かった。
もっと言えば、“人鬼に食い殺されようが知ったことか”と、突き放すような…。
ぞくり。背筋に悪寒を感じる。
あんな話聞かなければ良かった。
だって今の私は、商売人たちを食い殺す人鬼よりも、
…ヨシヤのほうが恐いと感じているんだから。




