134
追い詰めれば獣は本性を出す。
否、それは人であろうともデーモンであろうとも神であろうとも変わらない。
『唖々唖々唖々唖々唖々唖々唖々唖々唖々唖々唖々唖々唖々唖々唖々唖々――……』
終わりを察したのか怪魚が唄っていた。恨みに満ちた怨嗟ではない。何かの韻律のような音だ。まるで歌でも唄うように怪魚は叫びながら俺に最後の抵抗をしていた。
瘴気の鎧を剥がしたことで戦いの流れは変わった。
大幅に威力を減じさせられていた俺の攻撃がきちんと通じるようになったからだ。
それでも油断はない。俺はハルバードに残り少ない聖女様製の聖水を再びふりかけると、オーラの充満した刃を怪魚に叩きつける。
一振りするごとに、怪魚を満たしていた瘴気が破裂するように吹き飛んでいく。鎧を剥がす前と違って凄まじく効いている。だが同時に怪魚の動きも激しくなる。最後の抵抗とばかりに奴が暴れる様はまるで暴風。いや、奴の司る力を考えれば氾濫した河の如くというところか。
(瘴気に、溺れそうになる……!!)
奴の身体から噴出する瘴気は血のごとくだ。いや、まるで壊れた堤。
俺がぶち開けた横穴から、俺が吹き飛ばす以上に瘴気は奴の体から溢れ出る。
大河の如き瘴気に溺れ、押し流されそうになる中、俺は地に足をつけ、懸命にハルバードを振るう。
「お、ぉおおおぉおおおおおおおお!!」
――俺は、何をしているのか。
もはやここまで追い詰めれば勝負はついていると言ってもよかった。こいつは他のちゃちなデーモンとは違う。もはや攻撃する必要はない。
もともとがこの怪魚は絶妙なバランスで存在していたのだ。
こうして追い詰めてみて理解する。こいつは他のデーモンのように、瘴気の全てを消し飛ばさねばならないほど雑にできていない。
多数の権能と高度な知能を持つこいつが自らを維持するには、それこそ膨大な量の瘴気が必要なのだ。
俺は奴を攻略し、奴の強大な力を保持していた外皮の一部を修復不可能なまでに滅茶苦茶に破壊した。そしてそこから巨大だった奴の力が、水が流れるが如くに抜けていけば、最後に残るのは力を失った哀れな残骸だ。
――もはや相手にする必要はない。
だから俺はこんな苦行が如き戦いをもう終わらせてもいいのだ。奴から全力で退避して、奴の瘴気の全てが抜けるのを待ってから、残った残骸を滅ぼせばよかった。
そうだ。もはや奴の攻撃の全てを俺は知っている。対処もできる。
水流の奇跡は聖衣の盾が、水弾に関しては離れていればその発射音に注意し、何かものを投げるなり、回避すればなんとでもなる。今まで避けられなかったのは近すぎたせいだ。発生の前兆がわかる以上、避けられないことはない。
新しい攻撃をしてこようともここまで知り尽くした敵の攻撃だ。俺が油断さえしなければなんとでもできる。
だが。だが……!!
「俺は……!! 上回る!! お前を! お前を完全に倒す!! 神を殺す!! ここで逃げてどうして破壊神に! これから先の深層に潜むデーモンどもを殺せる!! お前を完全に殺すことで俺はお前を完全に超える!!」
殺した相手の力を得るとはそういうことだ。完全無欠に上回る必要がある。そうすることで俺の戦いは疵一つなく、誉れに彩られるのだ。
ゼウレよ! アルトロよ! 神々よ! 照覧あれ!! この呪われし地下迷宮において、俺は堕ちた神を狩り殺すぞ!!
「おぉおおおおおおぉおおおおおおお!!」
振るうハルバードはもはや泥濘に突き立てた棒のように重かった。
肉体は奴が垂れ流す瘴気に髄まで犯され、聖衣の加護があってなお防げぬ呪毒で蝕まれていく。
長く続いた戦いは精神をも犯す。俺を覆うのは呪いや瘴気、怨嗟に苦悶。まるで億千万の絶望に浸され続けてきたような冥闇だ。
聖衣に宿るリリーとオーキッドの暖かさがなければ立っていることすらできなかっただろう。
それでも俺は両の足で突き立ち、全身とハルバードにオーラを行き渡らせる。
俺は折れない。折れることはできない。武具に宿る英霊の威風がある。肋骨から伝わる聖女様の温もりがある。そして、俺の魂が吠えていたからだ。
まだだ。まだ進める。なぁ、俺。もっともっと先へ。神をも殺す武の極地へ。
背を押す誰かの手。俺の手に手を重ねる誰かの手。
――行け。そして無事に帰ってこい。
オーキッドの声が、聞こえた気がした。
呪いに蝕まれながらも俺は瘴気の流れを切り開きながら進み続ける。
怪魚の奥の奥。その先にあるものがある。龍の目に映るものがある。
暗き闇の塊。水底に沈む泥のような物体。
(あれこそは、神の、核だ)
それは濁流が如き瘴気を生み出す悪神の中枢だった。デーモンや悪神を留める力の塊。人間で言うならば心臓に値するものだ。
ここまで入りこめばもはや進むことも出ることも困難になる。流れ出る瘴気に飲み込まれ自分さえも見失うことになる。
相手は悪神だ。マルガレータのように優しくはない。飲み込まれれば全てが終わることになる。それでも。それでも俺は。
流れが強くなる。その強さに手の中からハルバードがこぼれ落ちた。それでも俺の身体はその場から先へ。先へと進もうとする。
手を伸ばす。オーラを込める。リリーの遺した篭手に力の限りを込め、龍眼が映すそれへと手を伸ばす。
――(雑音)――(雑音)――(雑音)――(雑音)――
意識が紛れそうになる。心が灼かれそうになる。脳裏に景色が現れる。記憶が流れ込んでくるのだ。そして、その全ては今まで殺したデーモンたちが見せてきた過去の景色と同じだった。
ただ一つ違うのは、このデーモンが流してくるその全てはただひとつの光景だということ。
幽閉された一室から眺める変わらぬ景色。発展する神殿街の姿。活気があって。だけれど穏やかな日々。
「う、ぐ、ぉぉぉぉぉおおおおおお! ぶっ殺すぉおぉおおおおあああああああああああ!!!」
一歩が重い。だが、進む。脳裏には何度も何度も見せられた4000年前の景色が映っている。だが、だが! そんなもの知るか!! 俺は、今、この先へ! この龍の瞳が見せる敵の中心へ!!
記憶の主は諦めと共に目の前の光景に満足していた。
王が国土を拡大することを押しとどめる為に諫言を繰り返した為に、娘ともども幽閉された。
権力を失った為に妻は去った。配下の多くも去った。幽閉王などという不名誉な名で呼ばれるようにもなった。
それでも、この小さな窓の先で人々は繁栄を謳歌していた。
諦めがあった。
それでもよかった。
人々が平穏ならば、己が永遠とも言える時間閉じ込められていようが、それでも、よかったのに。
――どうして、こんなことになった……!!
強烈な後悔の念が俺を襲うのと、俺の手が神の核に触れるのは同時だった。
(――巨大だ。だが、だが、触れればわかる。こいつはただ瘴気を生み出すだけの無防備な器官)
破壊することは容易かった。それでもそれが唯一の抵抗なのか。大量に強烈な瘴気が俺を押し流そうとしてくる。
だから俺は叫ぶのだ。これがかつての偉大な王族の一人であるなら、俺は彼らと契約した辺境人としてそれを宣言する。
それが俺たちが神聖帝国チルド9より邪神やデーモンどもが放つ強烈な呪いを防ぐ加護を授けられた理由だからだ。恐ろしき闇の生き物どもから帝国を守る防波堤になること。それが俺たちに課せられた義務で、俺たちが4000年の長きに渡って戦ってきた理由の一つだったからだ。
「殿下。安心してください。破壊神は、辺境人が。俺が。殺す。殺します」
だから安心して死んでください。
そうして流れに抗いながら拳を振りかぶれば、その瞬間、流れる瘴気がぴたりと止まる。
それは一瞬のことだった。ほんの一瞬で、再び核は瘴気を生み出そうとしていた。それでも、その一瞬で俺には十分だった。
「――――――――――!!」
振りかぶった拳が核を撃ち抜く。確実に一撃で破壊したという手応え。瘴気の海の外で怪魚の身体が崩壊していく気配。
全てが終わっていく。
だがそれでも、全てが終わるその瞬間、破壊した核に重なって、俺に向かって頭を下げる男の姿が見えた気がした。
――(雑音)――(雑音)――(雑音)――(雑音)――
記憶が流れ込んでくる。誰とも知れぬ視点の記憶。誰かの記憶。俺の知らぬ記憶。
うなだれる男がいる。幽閉王と呼ばれる男がいる。
彼の前には俯く僧がいる。幽閉王に仕えていた名も残らなかった僧がいる。
「それは真か……」
流石に信じられなかったのだろう。幽閉王が話の真偽を尋ねれば僧は「真実です」と言い切った。
幽閉王は眉間を揉み、小窓から見える景色に視線を移す。
そこに広がるのは発展した町並み。暖かな人々の姿だ。こうして塔に幽閉されていても、彼が守るべき民の姿だった。
「愚かな兄上だ。外法に頼り、人以上の力を求めてなんとするか……」
僧は黙して語らない。ただ彼は報告するべきだと思っただけだった。それ以上のことはできなかった。事が大きすぎ、一介の僧である彼には善も悪も判断がつかなかった。それでも王の目論見が成功すればそれは素晴らしいことだとは思った。だが神々は、ゼウレは望まないだろうなとは思っていた。
幽閉王の視線がある一点をうつす。こうして塔に幽閉されてはいるが、神の血を色濃く継ぐ彼には点にも見える景色でさえ、はっきりと見えている。
そこには一人の少女がいる。民から泣き虫姫と慕われる。明るく、才智に満ちた少女だ。
幽閉王の顔に悲しみが宿った。
「哀れだが、どうにかして殺さねばならぬか」
少女は笑っていた。
人々に囲まれながら笑っていたのだ。




