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 むかしむかしのお話さ。

 ある時ひとりの娘が庭の薔薇の中で悪魔(デーモン)を見つけたよ。

 娘は悪魔に問いました。あなたはだぁれ? どうしてそんなところにいるのかな?

 しめしめ馬鹿な小娘さ。悪魔は嗤ってこたえたよ。

「私は薔薇の妖精だよ。でも弱っちまっててねぇ。娘よ娘。どうか哀れな妖精にお恵みをいただけませんか?」

 悪魔なんて知らない純真無垢な娘はその言葉を信じたよ。妖精さんが元気になりますように。そんな健気なことを言いながら、言葉巧みに騙されて、その血と魂を捧げたよ。

 ぺろりとたいらげた悪魔は大喜び。

嗚呼(ああ)、なんて綺麗な赤。なんて純粋な魂。甘露甘露。天使の涙の味がするよ」

 哀れな娘はその日から正体不明の病に取り憑かれ。

 血のように赤く、金貨のようにいびつでまぁるい狂い月の晩。悪魔の宿った薔薇は大輪の華を咲かせたよ。


 ――毒華の香りは人を惑わせる。


 辺境人の威圧で消し飛ぶようなこんな悪魔が育ってしまうなんて、辺境と分かたれてしまったことが不運だったんだろうねぇ。

 辺境と大陸を分かつ大障壁が生まれてから未だ100年。だけれどこの時にはもう、大陸中から神秘が失われはじめていたのさ。

 だからこんな小さな街の小さな領主の館に悪魔の存在を感知できる者は誰もいなかったよ。もっともこんな小さな街じゃあ、たとえ感知できる人がいたとしても育ってしまった悪魔を滅ぼせるような騎士様はいなかっただろうがね。

 そうして大輪の薔薇の中で悪魔がケラケラと嗤う中、領主の館では領主の小さな娘が今にも死にそうな声で助けを呼んだのさ。

 お母様お父様助けて、助けて。苦しいよぅ苦しいよぅ。そんな娘を後ろに置いて、今夜が峠ですな、なんて医者が冷酷に言っている。嘘つくなよぅ。峠だってぇ? 越えたってそのザマじゃあ明日にも死ぬだろうよぅ。ケケケケケ。

「あの子はまだ10歳にもなっていないのですよ」「どうにか助けてやれないのか? 金なら出せるだけ出す」

 母親も父親の胸は張り裂けんばかり。かわいいかわいい一人娘。悲痛と悲嘆で声も顔も歪みに歪む。

 だから悪魔はやっぱり囁くのさ。

 私は薔薇の妖精。(やまい)に苦しむ小さなレディを助けてあげようかい? ってね。

 それを聞いた夫婦がどう答えるのか。可憐な娘が一人苦しむ様を見続けたなら当然のごとく。

 かくしてその晩、娘を一人残して領主の館から全ての人間が消え果てた。

 翌日のことさ。街の住人たちが見たのは、領主の館に(そび)え立つ、大樹のごとくに巨大で、血のように色鮮やかな薔薇が一輪。

 そして、街を囲む。毒々しい巨大な茨。

 交易都市アルナハス。小さくとも各地の街を結ぶ要衝として人々の行き来していたその街は、その日の夕暮れを待たずして死者が闊歩する魔界と成り果てたそうだよ。

 哀れな娘の末路はどうなったかって?

 瘴気渦巻く毒の都で、どうやって小娘が一人生きていくんだろうねぇ。ケケケケケ。

 

                   ―魔宮八業将華旺天蓋(かおうてんがい)に関する穴小人の証言―




 リリー。リリー・ホワイトテラー・テキサス。黄金の鎧に身を包んだ刺突剣の使い手である聖王国第七位の聖騎士。

 その身にデーモンを孕んだ彼女はうつむいたように動かない。その足元では香炉が小さく煙をくゆらせている。

「時間が経っていない……?」

 俺が訪れてより変わっていない香炉の位置。あの香炉に入れた香はそれなりの時間は保つが一日二日と保つようなものではない。せいぜいが4,5時間。そんなものだ。

 それが未だ燃え尽きていない。まだそれだけしか時間が経っていないのか? 俺が戦っていた時間はいったいどれだけだった? ろくな休息をとっていないが、半日だったか? 一日ぐらいか?

 だが、だが、僥倖だ。幽閉塔が地上に近いことが幸いしたのだろう。これが深層の探索であればこの場の時間はおそらく、かなり経過していたはずだ。

 歓喜にぐっと拳を握る。時間が経ってないという事実。リリーは助かるかもしれない。そんな希望が胸に溢れる。

「ああ、糞。これは少し邪魔か」

 盾を持っていた左腕。その腕を覆う鎧の部位を地面に落とす。捻じれた腕は治っていたが、鎧もまた捻じれていた。それが俺の腕の稼働を制限している。

「これも、だ」

 だいぶ軽くなっていた兜を地面に落とす。見れば兜は半ばからえぐられたように消え去っている。

「運がよかった」

 噛みしめるように呟く。この兜がなかったら俺は死んでいた。あの怪魚との一戦は、そういう領域(レベル)の戦いだった。俺の頭が消滅してなかったことに感謝したいぐらいの幸運。

 善き神々に祈りを捧げながら、俺はようやくたどり着いたリリーの傍らに跪く。

「リリー。持ってきたぞ」

 腰の袋より取り出すのは手に入れたばかりの神酒ネクタルだ。俺に道具を鑑定する技能がなくとも、それはかつての商人の記憶で見たものと同じものだ。間違わない。

「……ぅ……ぁ……ぁぁ……」

 だがリリーに反応はない。地面に視線を落として呻くのみだ。そこにかつての凛々しさは欠片もない。

 バイザーの落とされた兜の内側は見通せない。鎧の内側も見通せない。その黄金の鎧には一片の隙間もない。

 鎧ではなく、まるで檻のように見えてしまう。

 リリー、リリーと名を呼ぶも彼女は俺の言葉に応えない。もう聞こえていないのか。それとも、もはや――首を振る。

 目の前にリリーがいる。手の中には神酒ネクタルがある。やるべきことを手早く行え。俺がすべきことはそれだ。

「リリー。すまん。開くぞ」

 中を見ることはリリーへの侮辱となるだろう。それでも俺は兜のバイザーを開き。

「……ッ……」

 そこにある()に言葉を失う。

 そこにあるのは、リリーであってリリーでなく。人でありながらもはや人でないもの。

 植物(・・)が、人の形(・・・)となっているだけ。

「……ぁ……ぅ……ぅぁ……」

 唇を模したように二つ連なった茨から声が漏れている。そこから漏れているのはリリーの声だ。

 腕が震え、俺は耐えるように歯を噛み締めた。

(……落ち着けよ俺。今から神酒を飲ませる……だから、けして殺すなよ。これはリリーだ……リリーだぞ……)

 言い聞かせる。腕の震えは怯えではなく反射で腕が動こうとしていたからだ。リリーを前に、俺の肉体は殺意を滾らせている。それを俺は意思でねじ伏せる。

 ああ、畜生。これはリリーなのだと強く思い込まなければならないほどの異形。

 この黄金の鎧がなければ、俺とてリリーだとは気づけなかったに違いない。

(手早く済ませる)

 リリーの前に跪いた俺は手の中の神酒の栓を抜く。小気味良い音と共に香る神気。まさしくこれは神の酒。それは、ただあるだけで周囲を浄化する天上の雫。

 それをリリーの頭にぶち撒ける。もはや飲む口もない。あれは口を模しただけの穴。身体の方もおそらくは……。

 とぽとぽと神酒(ネクタル)がリリーの身体に染み込んでいく。これでいい。いいはずだ。

「……あッ……あぁぁッッ……」

 苦鳴。言い聞かせながらリリーを見下ろせば、ネクタルはその力を存分に発揮していた。

 リリーの肉体より茨が消え、肉と骨に入れ替わる。眼球が再生され、神経が現れ、皮が張り、髪が戻り、凛々しくも美しい女の姿が現れる。

「リリー! 目覚めたか!!」

「……ああ……キース、か……これは、一体……?」

 呪いは解けた。もう茨ではない。地上で見たのと同じ姿形をした美しい女が俺の目の前で驚いたように目を瞬く。

 無事解呪できたことへの歓喜。胸をなでおろした俺は自然と笑顔を作ってリリーに笑いかける。

 本当に、安心した。

「おう、ネクタル。見つけてきたぜ」

「そうか。呪いが、解けたのか……私の呪いが……」

 言葉で表すととても陳腐に聞こえるかもしれないが、なんてリリーは前置いて。

「キース。ありがとう。花の君の解呪は一族の悲願。私の悲願。それがこうして果たされたことは、本当に喜ばしい」

「俺は、これで少しは借りを返せただろうか?」

「キース。私はキースから貰ってばかりだな。借りなどと言ってくれるな。私は本当に、感謝している。ありがとう。本当に」

 ああ、と目の端に涙を浮かべたリリーが毒霧に覆われた空を見る。聖域の外はやはり地獄の様相だが、それでもリリーは眩しそうに周囲を見た。

「もう一度、こうして肉の身体で動けるとは、思いもしなかった」

 君との出会いは、神々が授けてくれた奇跡なのだろうとリリーは笑う。俺も小さく頷いた。ゼウレよ。善き神々よ。俺は心から感謝を捧げる。

 そんな俺にリリーは手を差し出した。

「キース。少しだけ、こちらに寄ってくれないか」

 なんだ? と問えばほんの少しだけ頬を赤くしたリリーが「手に触れさせてくれ」と言ってくる。どういうことだろうか?

「頼むよ。人の温度を感じたいんだ」

「そんなことでいいのか。ほら」

 ネクタルの入手にあれだけの苦労をしたからだろう。何かしら大仰なことでも頼まれると身構えていただけに肩透かしを食らったような気分だ。

 手を差し出せば、「はしたなくて悪いな」なんて言いながらリリーは俺の手を自らの頬に触れさせる。

「ああ、温かいな。……本当に、君は……ありがとう……キース……」

 目を閉じ、俺の体温を感じている女騎士。その姿にまるで小僧のように俺も胸を高鳴らせてしまう。

「リリー。俺は――」

 身分差もある。俺は命を救っただけだ。それでも、この奇妙な高ぶりを言葉にするのは今しかないのだと思った。だから、俺はリリーにこの感情を伝えるべく、口を開きかけ。


「願わくばもう一つの願い(たいようが)も叶えたかった(みたかった)が……あぁ……わたしは……」

「――リ、リリー。なぜ、そんな表情(かお)を」


 違和感。

 リリーの言葉や態度もそうだが。リリーの傍ら。そこに、あるはずの、ないものが。


 ――ルークの黒駒。


 背筋に走る震え。なぜ。どうして。

 俺がリリーの鎧櫃に収めた筈のそれが、ここに。

 動揺。驚愕。しかしリリーは俺が驚くほどに俺の手を強く強く掴んだまま言う。

「キース。本当にすまない」

 そして、ありがとう、任せた、と。

 何を、と問うことはできない。

 ひ、と俺の口から悲鳴が漏れたからだ。

 諦めたように笑った目の前の女(リリー)の皮が、内側から膨れ上がり。

 ぱつん、と弾ける。


「あああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!?????」


 聖域に俺の絶叫が轟く。

 リリーの内側より現れいでた巨大な茨が、ルークの黒駒を飲み込みながら現出する。

 そう。俺は解呪をした。

 解呪をしたならば、それが身の内より現れるのは当然であり。

 ならば果たして、リリー・ホワイトテラー・テキサスを殺したのは誰だったのか?


 そうして、俺は絶望(デーモン)と対面する。



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