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――リリー・ホワイトテラー・テキサスを殺したのは誰か?
「あああああああああああああああああ!! あああああああああああああ!!」
叫び。俺の叫び。絶望が胸に広がっていく。もともとあった俺の心の穴が抉られる。ぽっかりなんてものじゃない。
底知れぬ巨大な黒穴だ。得体の知れない喪失感がその穴より噴き出し、俺の肉体を無力感に染め上げていく。
デーモンを前にしているというのに、精神がもたつく。肉体が動かず、拳が握れない。ただ呆然と手のひらを広げてうろたえる。たたらを踏むように身体が後退していく。
「あああああああああああああ!? あああああああぁな……なん、だ、なんだ、これ、は……」
手のひら。
そこに違和感を覚えて目を落とす。茫洋とした視界。目の端にちらちらとかぶっている何か。それもあるが、手に、腕にべったりと張り付いている膜のようなこれは――。
想像が思考と結びつき、ひぃ、と口から悲鳴が漏れる。
篭手をつけた右腕と何もつけていない左腕に張り付いている何か。何か? 違う。何かじゃない。人の皮。人間の皮だ。リリーの皮だ。これは内部から弾けた時に俺の身体に張り付いたものだ。
鎧の胴にも、それは広がっていた。人の皮が、俺の身体にべったりと張り付いている。尻もちをつきそうになる。
「うぅぅ。……うぁぁ……」
うめき声しか発せない。衝撃に、心が動かなくなる。額を抑えようとして、顔の一部にもリリーの皮が張り付いていることに気づく。目の端でちらちらとしていたのはこれだ。俺の口から再び呻きが漏れる。
畜生。どうしてこうなったんだ。畜生。なんで、俺がこんな目に合わなけりゃならないんだ。畜生。畜生。
「お、俺は、リリーを、リリーを、地上に……糞。なんでだ。なんでなんだよぉ」
どうしてこうなるんだ。呆然と動けぬ俺の前で、茨が膨れ上がっていく。花が広がっていく。悪魔が開花していく。
リリーの黄金鎧から尽きぬ水のように這い出てくる茨。茨は次々と大地を侵食し、聖域が内側から崩壊していく。正常な空気が消失し、濃密なまでの瘴気が場を覆っていく。
数え切れぬほどの茨は狙いを定めたかのように木々に向かうと、木々に吊り下げられた人の死体を貪り、猛り嗤う。
『ひひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃ』
それは形容のし難い、筆舌に尽くしがたい、不気味でおぞましい甲高い叫びだ。
(う、るせぇんだよ……)
キンキンとやかましい。神経にさわる。俺は、それどころではない。
悲しみで心が溺れそうだ。地上が見たい。太陽の光を浴びたい。村の聖堂で神に祈りを捧げたい。畜生。畜生。
――任せた、と彼女は言った。
良い歳をして、ぐずぐずと溢れてくる涙を手で拭う。リリーの皮膚は手にべったりと張り付いている。あれの最後のぬくもりがここに宿っているのかと思えばどうしてか、それを剥がす気にはなれない。
『ひひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃ』
茨が周囲でぐるぐると回っていく。俺を逃がさないと茨が蛇のようにとぐろを巻いている。
周囲の木々は茨で覆われ、もはやかつての森の姿はそこにはない。狩人やキノコのデーモンたちが次々と森より引きずり出されて茨に磔にされていく。大食いの化物は空気に満ちる瘴気だけでは足りず、同族であるデーモンたちからも瘴気を吸っているのだ。
外の様子はもう考えたくもない。かつての廃都の再現でも起こっているのだろう。
「……任されちまった……」
任されたのだ。そして都合よく、俺の目の前にそのデーモンの本体がいる。
それは青い薔薇だ。捻じれ、絡み合う巨大な幹のような茎に支えられた青い薔薇が大輪の華を咲かせている。花旺天蓋。その名に相応しき威容。空を覆うがごとき、巨大な人喰い花。
そして伝え聞く花の君は鮮血のごとき赤き薔薇だったが、俺の目の前にいるそれは死相がごとき青褪めた色の薔薇だ。
周囲にも薔薇が咲いていく。青。青。青。俺を取り囲む青。この青はどこから来たのか。リリーではない。
思い浮かぶのはルークの黒駒だ。あれはリリーが倒したデーモンのもので、それを落としたのはデーモン、神の青薔薇である。
花の君は、つまり、リリーに加え、神の薔薇すら喰らったのか?
「そういう、ことなのか?」
やはり、駒は不吉なものだった。デーモンが落としたものだ。何もないわけがなかった。災厄を運ぶ触媒だった。猫が言うようなただの駒ではなかったのだ。
(迂闊だった……俺が、原因のようなものだ……)
あれを、リリーの鎧櫃に入れたのは俺だ。デーモンのものをリリーの持ち物としてしまった。駒の所有権はデーモンを倒したリリーにあったとはいえ、俺はやはり無知だったのだ。俺が持っておくべきだった。
ずしり、と駒を入れている袋が重くなったような気配。現実に駒に変化はない。ただ俺の心持ちが変わっただけだ。
『ひひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃ』
後悔が溢れていく。しかし、しかし、しかし、なんだ。俺の左腕と、顔に張り付いた皮から伝わる熱は。
そうではない、と俺を包み込むような熱が、リリーの皮から伝わってくる。
(リリー。お前なのか? お前は、そこにいるのか?)
頑張れと言ってくれているのか。お前を殺してしまった俺を。許してくれるのか?
答えはない。リリーは死んだ。だから応えない。それでもその皮より伝わる暖かさは聖女様の肋骨よりも俺の心に深く染み入っていく。
――リリーは、ありがとうと言って死んだのだ。
故にこそ、俺が彼女の死を不吉なものとして扱ってはならなかった。どんな死に様であれ、彼女の死は汚されるべきものではなかった。
誇り高き死に様だったと。彼女はやり遂げて死んだのだと。使命を果たしたのだと。善き死に様だったと彼女の家族に伝えられるように、俺がそうしなければならない。
「……てやる……」
同時に、湧き上がってくる激情がある。
目の前ではかつて都市一つを魔界に沈めた薔薇のデーモンが。神の血を引く貴き血と、強力なデーモンを喰らい、猛り狂っている。
ひゃはは、ひゃははと耳障りの悪い甲高い声が周囲を染めていく。気づけばそこらじゅうの茨から人の唇の形をした青薔薇が生え、俺を囲むようにして嘲り囀っている。
こいつにとっては久しぶりの人間だ。未だ俺に手を出さないのは慈悲ではなく、いたぶって殺すためなのだろう。
嗤う。その心を嘲笑う。デーモン。デーモンめ。巫山戯やがって。
その傲慢が間違いだったと思い知らせてやる。俺が茫然自失している間に殺さなかったことを後悔させてやる。リリーを殺したことを、地獄の底で永劫に悔いさせてやる。
俺の心は決まっていた。先の動揺が嘘のようにずっしりと覚悟が決まっていた。肉体と精神がやるべきことを理解していた。
ならば、と己に問う。
――リリー・ホワイトテラー・テキサスを殺したのは誰か?
この胸の熱と共に、俺はその言葉を吐き出す。
「貴様だ。それは貴様だ。花の君。魔宮八業将が一柱、花旺天蓋」
だから殺す。
復讐だ。ここでリリーの仇を討ち、彼女の死に様を美化してやる。
「ぶっ殺してやる……!!」
『ひひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃ』
俺の宣誓を、歪な声で、薔薇の化け物が嗤っていた。




