胡蝶の夢
今回は……とある少女の物語である。
◆ ◆ ◆
田中芳雄は自分のデスクで、そのネット記事をじっと見ていた。
「VRの仮想世界ねえ」
芳雄はバリバリの管理職だった。そろそろ年代的に大会社の中では立場が危うくなってくる頃ではあったのだけど、今のところは過去の経験や人脈を生かして活動できていた。つまるところベテランであり古参。杓子定規に収まらないような事があると中堅社員が若手を連れて泣きついてきたり、そういう時にこそ真価を発揮する。そういう男だった。
そんな芳雄だったが、どこか煮え切らないものを今の生活に感じているのも事実だった。
「完全なVRでリアルと変わらない体験か。我が社の何かに活かせると面白いんだが」
試してみようかと思った。
彼は自宅に仕事を持ち込みたくないタイプだった。VRMMOとやらを試すのはいいが、いったいどこでやろうか?
(ふむ。やはり宿泊部屋に持ち込むしかないかな?)
会社の近くにアパートを借りてあった。古い世代の仕事人間である彼は、終電になった時などによくここに寝泊まりしていた。最近ではむしろ会合の後に利用する事が多かったが、まさかの時にそなえて実家にも知らせてあり「今日は宿泊部屋に泊まる」と伝えておけば問題ない。
考えた末、芳雄はVR端末システムの会社に問い合わせメールを飛ばした。
急ぐものではなかったし、今はそもそも仕事中だ。どちらにしろ詳しい話は後だ。
そして芳雄は仕事に戻り、VRMMOの事は忘れた。
「あなた。こんなお手紙が来ていましたよ」
「ん?VRMMOマシン?……ああこれか」
とある晩、妻に手紙を渡された芳雄は一瞬考え込んだが、VRMMOという言葉で「ああ、そういや連絡先を自宅にしていたか」と思い出した。
「すまん、それは仕事のものだ。こっちに来ちまったのか」
「お仕事?でもこれゲームの……」
「ああそうとも。なんだ知ってるのか」
「はい」
「まぁ詳しい話は社外秘になってしまうが、この『仮想空間』というものを仕事に使えないかって話があってね」
「そうなんですの?」
「うむ」
そういう話があるのも事実だし、嘘でもなかった。
勉強しろと社命があったわけでもない。だが、新しく任される仕事、任されそうなものについて独自に勉強するのはよくある事でもあった。
「ただ恥ずかしい話だが、僕らの世代はこういうのに詳しくない。そして知らないままじゃ、若手のアイデアにも意見できないじゃないか。まぁ、お試しってところかな?」
「まぁ、そうなんですね。……わたしてっきり」
「てっきり?なんだい?」
「あ、いえ」
「よくわからないが、変な勘違いをさせてしまったのならすまないね」
「いえ、あなたのせいではありませんもの」
芳雄は知らない事だが、当時、ネット恋人とかネット浮気という言葉が一部界隈で生まれていた。
暇な主婦がVRMMOで美少女になりすまして春を売ったり、そういう事が社会問題となってくるのはもう少し後の事。しかし目先の利くアダルト業界は既に最新のVRMMO環境が自分たちの商売に役立つ事を理解しており、そういう商売が既にアングラで立ち上がっていたのだ。
妻はそういうネタを知っていたから、まさかと思った。しかし芳雄が思いっきりいつもの仕事の事しか考えてないのがわかったせいだろうか、ホッとしたような、それでいて何か微妙な顔をしていた。
「それで『ツンダーク』をなさいますの?会社で?」
「さすがに業務中にやるのはね。ほら、いつもの宿泊部屋があるだろ?あそこに機械を置いて当面、週に二回の予定だよ。水曜と木曜の夕刻だな。ま、当然ながら打ち合わせ等があると潰れてしまうわけだが」
「あのお部屋にVRMMOマシンを?あれ結構大きいですけど、お掃除大丈夫なんですの?」
事情があり、宿泊部屋を選ぶ時に妻にも手伝ってもらったので、当然妻は知っていた。
「む……それを言われるとちょっと弱いが。でもなぁ、仕事を家に持ち込むのもどうかと思ってな」
「はいはい、それじゃあ今度のお休みにでも久々にお掃除にいきましょうか。あなたお時間ありますの?」
「日曜日は開けてあるが。……すまない」
「いえ……」
夫唱婦随。そんな古い言葉が似合うような彼らの家。
まるで昭和時代みたいなスタイルの夫婦だが、実によく似合ってもいた。
おせっかいな友人たちがその古さを咎める事もあったが、別に妻だって昔の専業主婦のごとく一日中家にいるわけではない。外と家はきちんと分けている、ただそれだけの事だった。
だがそのおかげで、芳雄は最後まで気づく事がなかった。
自分の妻がVRMMOやVRMMOマシンについて妙に詳しい事にも。
「……」
そして、妻がなぜか自分を無表情な、濁った目でじっと見ていた事にも。
もしこの時、芳雄がそれに気づいていたら?
そしてVRMMO『ツンダーク』について妻に質問していたら?
『ツンダーク』が、色々と不思議な都市伝説をもつ謎めいたVRMMOだと最初から知っていたら?
だが。
その「たられば」は「たられば」に終わり。
そして、その日がやってきた。
妻に手伝ってもらって掃除をし、そして数日が過ぎて金曜日の夜。
説明書を見つつVRMMOマシンの中に座り「医療機器みたいだな」なんて思いつつ『仮想世界ツンダーク』にアクセスを開始。
一瞬のゆらぎの後、芳雄は不思議な神殿のような場所にいた。
「これは……」
『ようこそツンダークへ。これから、この世界におけるあなたという人物を決定いたします』
「人物を決定?」
耳慣れない言い方に芳雄は眉を寄せたが、続く言葉がその疑問に答えてくれた。
『RPGとは Roll Playing Game の略であり、簡単にいえば、今でない時、ここでない場所で、自分でない誰かになって楽しむという事です。ツンダークはあなたから見れば「今でない時」と「ここでない場所」を提供いたしますが、あなたが現実のあなたのままでは意味がない。だからこそ、あなたではないあなたを策定する必要があるのです』
「なるほど」
聞いてみれば素直に納得できた。よくできているものだなと芳雄は感心した。
だがこの時点で芳雄は気づいていない。
ツンダークは公式にはゲームという表現をせず、あくまで仮想世界という表現で通している。だからキャラクタメイキングでRPGがどうのという説明を唐突にするはずがない。
そう。それはまるで芳雄の内心の疑問に答えるかのように。
しかし、そういう予備知識のない芳雄はそれに気づかない。ゲームといっても侮れないもんだなと、的確な回答に感心するにとどまった。
『ご理解いただけましたら、いよいよキャラクタと職業の設定に入ります。まずは人物の外見から』
「ふむ……ん?」
続いて表示された人物画像に芳雄の目は点になった。二名ほど表示されたのだが、どちらも子供だったからだ。
いや、そればかりか。
「……これは女装?……いや違う、完全に女の子じゃないか」
年の頃はどちらも十一か十二、そんなところだろうか?
片方はすんなり理解できた。なんだか腕白そうな男の子であるが、奇妙な懐かしさを感じたからだ。芳雄自身の子供の頃のようで、見ているだけでワクワクしてくる。
だが、もうひとつは……この、リュートのような楽器を抱えた美少女は何なのだろうか?
「これが……候補という事は、どちらかが私という事かな?でもこれは」
なぜに少女?
『この楽器はナーダといいます。ナーダ・コルフォという所の楽器工房で大昔から生産されているのですが、クラシックギターに似た感触で、しかも西洋音楽同様、1オクターヴを十二の半音で区切る構造になっています。つまりご存知の弦楽器と同じように調律し、演奏が可能です』
「いや、そういう事を聞きたいのではなくて。なぜ少女なのかね?」
芳雄はゲームなどにも縁遠い生活をしてきたので、もちろん異性キャラでゲームをした事などもない。
同じ物語でも主人公の性別や種族が違うなら、人々の応対からストーリーまで違いが出る事はなんの不思議もない。ゆえに異性も珍しい事ではないのだが、さすがにそれをゲーム素人の芳雄が理解できるわけがない。
そして、そんな芳雄になぜか解説はとても親切だった。
『あなたでないあなた、なのですから不思議はありません。いわば可能性のひとつですね』
「そうなのか。いやしかし、この私がこんな女の子など似合うわけが」
『問題なくお似合いですよ。それが可能だからこその仮想世界なのですから』
「そうなのかい?」
『はい。それに今回のデータで申し上げますと、あなたに最も親和性が高いのはむしろ女の子の方なのです。男の子の方がお仕着せというか、無理やりあわせた感じが強くなると思います』
「……そうか」
そんな馬鹿な、と芳雄の理性は解説を否定していた。
だけど同時に芳雄の遠い記憶が、今はもういない母親の言葉を思い出していた。
【芳雄はね、本当は芳恵のはずだったのよ。でも男の子が生まれちゃったから芳雄にしたのよね】
それは小さい、本当に小さい頃に母が語っていた昔話。
もし、自分が女の子に生まれていたら?
それは芳雄自身も忘れ去ってしまっていた、遠い遠い昔の思い出だった。
「……本当に、この子でも大丈夫なんだね?」
『はい。ではこちらでやってみますか?』
「ああ……まぁ、お試しだしね」
『ありがとうございます。きっとお気に入りいただけるかと』
気がつくと、勧められるままに少女の方を選んでいた。
ちなみに、提示されたデータはこんな感じだった。
『ヨシエ』職業:吟遊詩人Lv1、兼楽器職人Lv1
スキル:ナーダ(汎用弦楽器)演奏Lv1、呪歌Lv1
旅の途中で両親と死に別れた少女。親譲りの歌と演奏が武器。
ゲームは素人だったが、レベルについての話はきいた事があった。経験を積む事を数値であらわし、一定の経験を積むと、よりレベルが上がる……つまり熟練者になっていくというわけだ。話をきいた時にはいかにもゲームって感じだなと苦笑したものだが、こうして実際に見ると新鮮さがあった。
『情報は以上です。それでは開始しますか?』
「ああ、そうだね」
まさか自分が小さな女の子を演じる事になるとは。
芳雄は内心苦笑いをしたが、うだうだ悩み続ける性分でもなかった。それはそれで面白いと割り切り、楽しんでみる事にした。
だがその時、
「ん?なんだこの音?」
唐突に、何か不気味なサイレンのような音が響いたのだ。
「なんだこれ?……対人警報?」
『誰かがVRMMOマシンに近づいているようです。一度強制切断します』
「誰かが近づいている?」
その言葉の意味もわからぬままに強制的に通信が切れて、
そして目の前には、包丁を振り上げた妻の姿があった。
「!?」
あまりにも想定外の光景に、芳雄の意識は真っ白になった。
その一瞬の金縛りは、あまりにも致命的だった。妻の振り下ろす凶刃を無抵抗のままに受けてしまい、弁舌に尽くしがたい不気味な衝撃が、芳雄の身体を襲った。
「おま、え……」
「……」
妻の顔にはなんの表情も見えなかった。ただ目が虚ろで、精神がまともな状況ではないのが芳雄にもありありとわかった。
「……なんで起きたの」
奇怪なほどに平板な声が、妻の口から漏れた。
「起きなかったら、そのまま苦しまずに逝けたのに」
「な……ん……!」
だが意識が遠のいて、すべてが暗くなった。
再び目覚めた時、妻はもういなかった。
世界のすべてがセピア色に見えた。失血とおそらく精神的な衝撃の強さが視界をおかしくしていたのだろうが、芳雄には冷静に考えるような思考力も既になかった。まもなく自分が確実に死亡する、わかるのはそれだけだった。
刺された穴から何もかも流れだすような脱力感と、そして苦痛。そんな中、最後の気力を振り絞り、やったのは通報でもなく、何かの措置でもなかった。
『起きなかったら、そのまま苦しまずに逝けたのに』
最後の妻の言葉が脳裏をよぎった。
セピアに霞む視界の中、ほとんど手探りでVRMMOマシンのスイッチを入れた。血でベトベトになるが、かまっている余裕はもうない。
つまり、そうすればこの苦痛から逃れられると思った。それだけだった。
苦痛と共に意識が消えていく。おそらく自分はこのまま死ぬのだろう。
だけど。
「……(なぜ)」
なぜ妻があんな行動に出たのか、それだけが心残りだった。
◆ ◆ ◆
ナキール大陸南部の町、パルミラ。
シネセツカ大縦貫道路の末端であり、ナキール海への玄関でもある港町。ここは遠くゴンドル東大陸や魔大陸など、大陸をまたにかけるような大航海航路の中間地点でもあり、多くの商人や旅人などで賑わっている。
中央広場の一角に入り口を開くドルミエ酒場。今日も今日とて満員御礼で、多くの客が飲み食いし、時には喧嘩なんかもしている。
そんな中、きれいな音楽と歌声が響いていた。
「♪〜〜」
抱えた楽器からの音は心地よく、そしてどこか切なくて。歌う女の声も切なく、そして暖かく。猥雑で活気はあるが、ありすぎてギスギスしがちな酒場の雰囲気を、穏やかにおさめる効果も発揮しているように思えた。
歌っているのは、銀髪に灰色の瞳の美しい少女。どこの国ともしれない民族衣装をまとい、静かに歌い続けている。
その少女がきになる者たちもいるようだ。だが演奏中に声をかけると他の者に袋叩きにされかねないから、じっと待ち続けている。
やがて演奏が終わり、やんやの喝采やら口笛やらが飛びまくった。もちろん我関せずと飲んでいる者もいるのだが、だからといって怒ったり暴れだす者もいない。
しかし声をかけようとした者がハッと気づいた時には、もう少女は影も形もなく、ウエイターが「本日の演奏は終わりました」という立て看板をステージに置いていた。
「よしよし、お疲れだねユエ。楽器を置いてこっちにおいで」
「はい、ドーガ様」
声のした方を見ると、小太りした商人らしき男が穏やかに微笑んでいる。
ユエと呼ばれた少女は楽器を壁にかけると、静かに男の元に近寄った。そのままいつものご奉仕をしようとするが、
「待ちなさいユエ、まずはここに座りなさい」
「え、でもドーガ様、もう何日もなさってないのでは」
普通に座らせようとする主人に、首をかしげてみせた。
「そのとおりだけどね、病み上がりで疲れているだろう?まぁ、本当にしたくなったらわしの方からするからね、とりあえず今夜はおとなしくしておいで。それで食事はとったのかね?」
「いえ。歌い続けでしたから」
「そうか、では消化によいものでも届けさせよう。執事はおるか?」
「はい、ドーガ様」
鈴を鳴らしつつ声をあげると、初老の男が物陰から出てきた。
「ユエに何か消化によいものを。あと、わしは葡萄酒と……ユエはジュースでよいか?」
「えーと、わたしも葡萄酒を」
「うむ。ではそのように」
「は、消化によさげなもの、それに葡萄ジュースでございますね。旦那様は葡萄酒と」
「うむ」
「あの、わたしもお酒……」
「ならん」
「いけません、ご自愛を」
主人と執事の両方からお酒を拒否されて、ちょっぴり涙目なユエ。
ちなみにツンダークでいう葡萄酒は地球のワインとは様相が違う。ブドウ自体があまり広く生えてないせいか、数ある果実酒のひとつとなっているようである。
だが、元々ワイン好きでなかったユエとしては「こっちがいい」と思っていたりする。果実酒はどれも素朴な味わいで、しかし素材がよくわかって美味いのだ。
問題は、彼女の周囲の者たちがなかなか飲ませてくれない事だが。
「おまえが好きなのは知っているがね、今夜はやめておきなさい。病み上がりで無理をしたのだから」
「はい……ありがとうございます」
ユエは男の所有物である。
ただしこれは法的な立場であり、実際の立場はというと、男は一種のパトロンであろう。日本でいえばタニマチというのが最も近い。まぁユエの場合は本当に性的な意味でも所有されているが、それは当人たちの個人的事情であり一般には関係ない。
ツンダークにはマスメディアが存在しない。仮に芸能プロダクションが存在するとしたら、その商売相手は大きな劇場や権力者に限定されるわけだが、この形態ではいわゆる専業の芸能プロができるまでの需要がない。せいぜい、個別のパトロンがいれば充分なわけで、そういうわけで今の形に落ち着いていた。これはいわゆる宮廷楽士などと似たようなもので、ただ雇い主が国ではないというだけの話だった。
で、ユエの個人事情に移る。
そもそもユエは砂漠で倒れ、死にかけていたところを男に拾われた。目覚めた当時はヨシエと名乗ったが本人以外は発音が難しく、結局ああだこうだの末にユエの名に落ち着いた。
ユエは銅貨一枚持っていなかった。男は商人であったから、ユエが元気になってから、自分のものになるか働いて返すか、どちらかを選べと告げるつもりだったのだが、それ以前にユエにすっかり惚れ込んでしまった。
容姿も若干幼ないとはいえ充分に美しいが、それ以前に性格がとてもかわいらしい。商人顔負けの頭のキレがありながら、なんでもない事でも瞳をキラキラさせて無邪気に質問してきたりする。そして、そういう態度が演技でない証拠に、世話をさせている女衆にもすこぶる評判がいい。古株のメイドいわく、良い意味で女の子らしくない、そしてお淑やかでいい子だと。異世界人であるがゆえに常識には疎いようだが、磨けば光るだろうと。
ユエが男のお気に入りになるのに、長い時間は必要なかった。
今までにユエが言った唯一のわがままは、男がユエを後妻にしようとしたのを拒否した時だった。ユエは自分が異世界では男だった事を告白し、あちらの自分がたぶんもう死んでいる事も告げた。そのうえで、純粋な意味では女とはいえない自分がドーガ様の未来を縛る事はできませんと、そう言ったのだ。
以来、ユエは男のものとなった。正式に妻にしたわけではないが、男も、そして男の部下や身内も、ユエを手放す気はもうなくなってしまっていた。
「ところでユエよ」
「はい」
「おまえが倒れた原因については言えるか?そのつまり」
「ラーマ神様の神託の事ですね?わたしの前世についての」
「うむ」
ユエは異世界の自分を『前世』と表現したが、これは誇張ではなかった。彼女は自分が異世界人である事を知っていたが、いくつかの点でおかしかったからだ。
異世界からの渡航者は一方通行ではないはずなのに「ろぐあうと」なる事ができなかったらしい事。
あちらにおける自分の記憶や存在感が希薄で、こちらの自分の方がリアルと思える事。
そして、わずかに持っている異世界の記憶によると、殺されたんじゃないかという事。
「おっしゃる通り、ラーマ神様が教えて下さいました。わたしを殺した人が最後どうなったのかも」
「ふむ。どうだったのだ?……いや、きついなら思い出さずともよいが」
「いえ。……わたしを殺した人は……わたしの返り血で濡れた身体で外に出て、大騒ぎになって逮捕されたそうです」
「ほう。…では罪を償ったのかな?」
「いえ、あちらの世界の法律では、心神喪失状態だと罪に問われないっていう法の抜け穴があるんです。それを使って無罪になったそうです」
「……なんだと?そんな馬鹿な」
男が信じられないような顔をした。
「被害者はやられ損というわけか?なんて野蛮な法だそれは。信じがたい、本当なのか?」
「はい」
ユエは肯定すると、静かに首をふった。
「ですが、彼女がわたしを殺した背景を聞くと、怒りは覚えませんでした。正直、当時のわたしの行動にも原因があったと思うんです」
「……ほう?」
「わたしは彼女を芯の強い女性と思っていた。昼間、ひとりで家に置き去りにしても、自分自身の人生を楽しむ余裕のある人だと思っていたんです」
「ふむ」
「だけど事実は違ったそうです。彼女はひとりぼっちが苦手で、だけど外で楽しみを見つける勇気がなくて……だからいつも」
「なるほど……配偶者の本質を見極められなかった当時のおまえもまた、悪かったという事か」
「はい」
男は商人の顔をして「ふむ」とつぶやき、そして微笑んだ。
「そうか。でもまぁ、良かったではないか」
「……へ?」
「長い間、心にひっかかっていた疑問が解けたのだろう?良かったではないか?」
「いえ、でもトーガ様、わたしは……!?」
言葉を続けようとしたユエの口を、男の手が塞いだ。
「おまえは自分の立場を忘れたのかユエ?ほれ、言ってみなさい」
そう言うと、ゆっくりとユエの口から手を離した。
「わたしは……異世界人で」
「そんな事は聞いてない。今のおまえの立場だよユエ?」
「……わたしはトーガ様のものです」
「よく言えたね、そう、その通り」
男はクスクスと楽しげに笑った。
「前世の事は、そりゃ苦い記憶だろう。そして今のおまえがもし男なら、自分の連れ合いに同じ事を繰り返さんようにせにゃならんのだろうね。
しかし今、おまえは女だし、そして、わしの所有物だ。おまえは囲う側でなく囲われる側なのだから、気にする事はないのだよ」
「……それは詭弁ではありませんか?」
「詭弁ねえ?」
「トーガ様?……あ」
気がつくと、ユエは仰向けにひっくり返されていた。たちまちに形のいい胸がぷるんと剥き出され、いつもの時間が始まる。
「ユエ。おまえは賢い娘だが、いささか深刻に考え過ぎなのだよ」
「……」
「おまえがそうやって悩んでいるのは……たまたま前世の事なんぞ覚えているからにすぎぬ。
実際には、覚えていようがいまいが前世は存在し、数多の民が満たされず果てているにも関わらずな。
しかしな、ユエよ」
「はい」
命じられるままに身体を開いた。
「覚えておくがいい。所詮、人生なぞウサギの昼寝だとな。長いようでも過ぎてしまえばな」
「……不思議です……っ!」
身体が密着した。あまりに性急な行動に、ユエは眉をしかめた。
「不思議?」
「その……異世界にも、同じような言葉が」
「ほう?なんていうのだ?」
「はい…………胡蝶の夢と」




