第22話:王都へ放つ、反撃の狼煙
暗殺者たちが村の畑仕事に勤しむという、奇妙な三日間が過ぎた。
彼らは、生まれて初めて土に触れ、額に汗して働くという経験を通じて、そのささくれた殺意をすっかり削がれてしまったようだった。私が作る食事と薬湯で体調はすっかり回復し、出発の日、彼らはどこか気の抜けたような、穏やかな顔つきさえしていた。
「……二度と、この村とその薬草師に手を出すな」
カイウスさんの低い声での警告に、彼らはまるで雛鳥のようにこくこくと頷く。私は仕上げに、にっこりと微笑んで小さな薬袋を手渡した。
「これは、旅の道中の腹痛薬ですわ。ですが、もし、あなた方がこの村のことを誰かに話したり、再び悪事を働こうとしたりすれば……そうですね、一月ほど、全身に奇妙な発疹が浮き出る呪いをかけておきました」
もちろん、ただのハッタリだ。中身はただの胃腸薬。だが、私の「治療」という名の罰を骨身に染みて味わった彼らは、顔を真っ青にして震え上がり、蜘蛛の子を散らすように逃げ去っていった。
静けさを取り戻した村で、カイウスさんもまた、王都へ戻る支度を整えていた。
私たちの間には、あの日以来、少しだけぎこちなく、それでいて温かい空気が流れている。
「……これを」
出発の直前、私は彼に、マーグレイブ侯爵の紋章が入った指令書を、油紙で丁寧に包んで手渡した。これが、王都で戦うための、何よりの武器になる。
「カイウスさん。あなたは、王都における私の『剣』です。どうか、あなたの信じる正義のために、その剣を振るってください」
「ああ。君がここで築いた平穏を、何者にも脅させはしない」
彼は私の手を取り、その甲に、騎士の礼として、そっと唇を寄せた。
「ノア殿が君の『目』となり、俺が『剣』となる。王都と辺境。離れていても、俺たちの心は共にある」
彼の真摯な言葉に、私は力強く頷いた。
馬上の人となった彼は、一度だけ、名残惜しそうに私を振り返ると、今度こそ、迷いのない力強い足取りで、王都への道を駆けていった。
その日の午後、私は一人小屋に篭り、ペンを走らせていた。カイウスという剣を振るうためには、確かな情報と戦略が必要だ。宛先は、私のもう一人の協力者、ノア・アークライト様。
私は手紙に、今回の襲撃の顛末と、マーグレイブ侯爵とリリアンが黒幕であるという証拠が手に入ったことを、簡潔に記した。そして、私の考えうる、反撃の筋道を書き連ねる。
『ノア様には、王都における私の『目』、そして『頭脳』となっていただきたいのです。カイウスさんが王子に証拠を突きつけると同時に、あなたは宮廷内で噂を流してください。「聖女の癒やしを受けた後、聖印の力が弱まった貴族がいる」と。追い詰められたリリアンとマーグレイブ侯爵は、必ずやボロを出すはずです』
そして、手紙の最後には、小さな薬瓶を添えた。
『これは、私が調合した”真実の薬”の試作品です。人の舌を、ほんの少しだけ滑らかにする効果がございます。あるいは、ノア様の探究心を満たす、面白い使い道があるやもしれません』
伝書鳥に、私の静かなる宣戦布告を託し、空へと放つ。
盤上の駒は、すべて動いた。あとは、王都という舞台で、役者たちがどう踊るかを見届けるだけだ。
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――王都、王宮執務室。
カイウスが王都に帰還してすぐ、ジークハルト王子との私的な謁見が実現した。
この数週間、ジークハルトは自らの過去の判断を洗い直し、深い自己嫌悪と疑念に苛まれていた。ロゼリアを断罪した日の記録を読み返すたびに、証言の不自然さ、証拠の脆弱さに気づき、自分がどれほど愚かな操り人形であったかを思い知らされていたのだ。
そんな彼の前に、カイウスは、辺境の村で手に入れた一枚の羊皮紙を、静かに差し出した。
「……これは……マーグレイブ侯爵家の紋章……ロゼリアの、暗殺指令だと……?」
書かれた内容を読んだジークハルトの顔から、血の気が引いていく。それは、彼の最後の希望的観測を、粉々に打ち砕く、冷徹な現実だった。
リリアンは、ただの嫉妬深い少女ではなかった。彼女は、自らの地位を脅かす者を、平然と消し去ろうとする、本物の悪魔だったのだ。そして、自分はその悪魔に、まんまと騙されていた。
何よりも、許せなかった。
自分が信じた正義が、こんなにも汚れていたことが。そして、その偽りの正義のために、本当に価値のあるもの――ロゼリアの真摯な心と、彼女の未来を、自らの手で奪ってしまったことが。
彼の内面で、罪悪感は、やがて静かで、しかし底なしの冷たい怒りへと変わっていった。それは、ロゼリアに向けられたものではない。自分自身と、自分を欺いた者たち全てに対する、烈火の如き怒りだった。
彼はもはや、ただの恋に目がくらんだ王子ではなかった。国の膿を出し切ることを決意した、次期国王の顔をしていた。
「カイウス」
ジークハルトは、決然とした声で、長年の友の名を呼んだ。
「彼女は……ロゼリアは、何を望んでいる」
「彼女が望むのは、アーズブリー村での、穏やかな生活だけです」
カイウスは、静かに答えた。
「ですが、私が信じる正義は、彼女に”公正”が与えられるべきだと告げております。奪われた名誉、そして彼女を陥れた者たちへの、正当な裁きが」
ジークハルトは、カイウスの言葉を噛みしめるように聞くと、ゆっくりと頷いた。
「……そうだな。俺は、彼女に裁きを下した。ならば、今度は、俺が、真の悪に裁きを下す番だ」
彼は執務室の窓から、遠く、辺境の地が広がるであろう西の空を見つめた。その瞳には、もはや迷いはなかった。
王都に、大きな嵐が吹き荒れる。
その嵐の中心にいるのは、もはや偽りの聖女ではない。
王子が、そして国が、本当の意味で向き合わなければならないのは、辺境の地で静かに、だが確かに、世界の理さえも動かし始めた、一人の薬草師なのだから。




