第20話:薬草師の罠と、村人たちの覚悟
その夜から、アーズブリー村は静かな戦場と化した。
私の小さな小屋は、さながら作戦司令室となり、カイウスさんと、覚悟を決めた村人たちが入れ替わり立ち替わり訪れては、私の指示を仰いでいく。昼間は穏やかな農村、しかし夜になれば、来るべき敵を迎え撃つための準備が、村の隅々で着々と進められていった。
「マーサさんの旦那様と、猟師の方々は、村へ続く森の道に罠を仕掛けてください。ですが、決して殺傷能力のあるものであってはいけません。足を取られて転ぶような、蔓の罠。あるいは、大きな音を立てて彼らを驚かせるような仕掛けで十分ですわ」
「分かった。森のことは俺たちに任せろ。獣を狩るのと同じ要領だ」
屈強な男たちは、私の指示に力強く頷くと、夜の闇へと消えていった。
「マーサさんと、村の女性の方々には、これをお願いします」
私が彼女たちに手渡したのは、すり鉢で細かくすり潰した、乾燥させた毒漆の粉末だった。
「これを、風上にある家の窓枠や扉の取っ手に、薄く塗りつけておいてください。敵がそれに触れれば、耐え難い痒みに襲われるはずです。戦闘どころではなくなりますわ」
「まあ、恐ろしい……でも、やるよ! 私たちの村を、好きにはさせないからね!」
女性たちは、決意を秘めた顔で頷き合い、それぞれの持ち場へと散っていった。
そして、カイウスさん。彼には、最も重要な役割を担ってもらった。
「カイウスさんは、村の子供たちと老人たちを、森の奥にある古い狩猟小屋へ避難させてください。そして、何があっても、決してそこから動かないで。あなたの役目は、戦うことではなく、村の未来を守ることです」
「……俺に、戦うなと?」
彼は、不満げに眉を寄せた。騎士である彼にとって、女子供と共に隠れていることほど、屈辱的なことはないのだろう。
「ええ。あなたの剣の腕は、最後の切り札です。私が考えた策が全て破られ、万策尽きた時……その時こそ、あなたの力が必要になります。それまでは、どうか、私のやり方を信じてくださいませんか」
私の真剣な眼差しに、彼はしばらく葛藤していたが、やがて、深く、そして信頼を込めて頷いた。
「……分かった。君の策を信じよう。だが、ロゼリア、君もだ。決して無茶はするな。君の身に何かあれば、俺は……」
「大丈夫ですわ」
私は、彼の言葉を遮るように、安心させるように微笑んだ。
「私の戦い方は、力と力でぶつかり合うような、無粋なものではございませんもの」
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全ての準備は、敵が到着するであろう二日後の夜までに、完璧に整えられた。
村へ続く道には、巧妙に隠された無数の罠。村の家々には、見えない毒の粉。そして、私の小屋の周りには、最後の仕上げが施されていた。
私は、畑で育てたハーブの中から、最も香りの強いものをいくつか選び出し、それらを調合して特殊な香油を作った。そして、小屋の周囲に張り巡らせた麻紐に、その香油をたっぷりと染み込ませておく。これは、敵を直接攻撃するためのものではない。彼らの嗅覚を麻痺させ、冷静な判断力を奪うための、香りの罠だ。
そして、運命の夜が来た。
月も星もない、漆黒の闇。風が木々の葉を揺らす音だけが、不気味に響き渡る。村人たちは息を殺し、それぞれの家に身を潜めて、その時を待っていた。私も、小屋の窓から、村へ続く暗い道をじっと見つめていた。
やがて、遠くの森の茂みから、獣ではない、複数の人間の気配が立ち上った。来たのだ。
最初に異変を知らせたのは、森の奥から響き渡った、けたたましい獣の鳴き声のような音だった。猟師たちが仕掛けた、音の罠だ。侵入者たちは一瞬動揺し、隊列を乱した。
次に、闇の中から、数人の男たちの低い呻き声と、悪態が聞こえてきた。蔓の罠に足を取られ、ぬかるんだ地面に転がったのだろう。
彼らは、予想外の抵抗に苛立ちながらも、プロの暗殺者集団らしく、すぐに体勢を立て直して村へと侵入してきた。その数、およそ十名。黒装束に身を包み、抜き身の剣を携えた、見るからに手練れの男たちだった。
彼らはいくつかのグループに分かれると、村の家々を調べるように、慎重に近づいていく。そして、扉や窓に手をかけた瞬間、悲劇は始まった。
「ぐっ……なんだこれは!?」
「か、痒い! 全身が、燃えるように痒いぞ!」
毒漆の粉末が、彼らの皮膚を容赦なく蝕んでいく。あまりの痒みに、屈強な男たちが剣を落とし、地面を転げ回り始めた。その醜態に、他の者たちが警戒を強める。
だが、彼らの苦難はまだ始まったばかりだった。
生き残った半数ほどの男たちが、標的である私の小屋へと、殺意に満ちた視線を向けた。彼らが、小屋を取り囲むように一歩足を踏み入れた、その瞬間。
私が仕掛けた、香りの罠が発動した。
ラベンダー、ミント、そして幻覚作用のあるキノコの胞子を混ぜ合わせた特殊な香りが、一斉に彼らの嗅覚を襲う。
「な、なんだこの匂いは……頭が……」
「いかん、目眩が……敵はどこだ!?」
強烈な香りに脳を混乱させられ、彼らは方向感覚を失い、仲間同士で剣を向け合う者まで現れた。
そして、仕上げは、私自身の手で行う。
私は小屋の屋根裏に登ると、そこから、麻痺毒を持つ根をすり潰して作った粉末を詰めた、小さな布袋を投げつけた。布袋は男たちの足元で破裂し、白い煙が立ち上る。
「げほっ、げほっ……こ、これは……体が……」
煙を吸い込んだ男たちは、次々とその場に崩れ落ち、手足の自由を奪われていった。もはや、剣を握る力さえ残ってはいない。
あっという間の出来事だった。
あれほど手練れに見えた暗殺者の一団は、誰一人として私に指一本触れることなく、無力化されていた。血は一滴も流れず、命を奪われた者もいない。ただ、痒みと痺れと混乱の中で、無様に地面を這いずり回っているだけ。
私は、静かに屋根裏から降りると、小屋の扉を開けた。
そして、暗殺者たちの前に、ただ一人、静かに、しかし絶対的な勝者として、立った。
「お引き取り願えますか。ここは、あなた方のような方が、土足で踏み入れていい場所ではございませんのよ」
私の静かな声が、春の夜の闇に、凛と響き渡った。




