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第67話 惨劇の始まり

 監禁一日目は、全ての隠し通路と抜け道と逃走経路を確認するだけで終わった。成果は乏しい。


「ダヴィドに抜かりがなさ過ぎて困る……」


 結局本当に部屋から出ることも出来ないまま、アドラーティはマクシムの報告に頭を痛めていた。

 子供の頃から馴染んできた抜け穴も、獣道のような道ならぬ道に至るまで、くまなく衛兵が配備されている。勿論死角は皆無だ。


「こうなると、馬の様子を見に行くついでに門を突破した方が早そうだな」

「あまりお勧めはできません」


 昨夜から覇気がないマクシムが、伏し目がちにそう否定した。

 二人の剣は丁重に取り上げられている上、厩舎も勿論警備を強化されている。一悶着起こしている間に増援が駆け付けるのがおちだろう。

 二日目は、包囲網の最も脆弱な部分を探ることと、戦力の弱体化を狙う戦略に切り替えて行動を再開した。

 と言っても、やはり扉の外には常時二名の精鋭が張り付き、動くのはマクシムなのだが。

 変化が訪れたのは、豪華だが味のしない昼食を終えてすぐの頃だった。

 ゴンゴーン……と、ノッカーの音がリハ・ネラ城に響いた。


「客か?」

「確認して参ります」


 アドラーティの疑念に、マクシムが素早く部屋を出る。

 出入りの商人や使用人への用事なら、ノッカーを使わない。テオドラはどうか知らないが、アドラーティはここにいることを秘密にしている。

 ルードゥスへの来客ではあろう。それが州長官としての用事なら、問題はないが。

 嫌な予感がして、外套を羽織り、いつでも動けるように準備する。

 マクシムが戻ってきたのは、それから少ししてだった。


「殿下! 妙な者が来て、フィデス侯爵家のいぬが入り込んでいると」

「なに?」


 予想外の事態だった。フィデス家の手の者がいるとして、それはラティオ侯爵家を探っているのか、アドラーティの動きに勘付いたのか。

 どちらにしろ、ここにいる理由はなくなった。マクシムも外套を羽織って、荷物を持つ。右手には剣の代わりに、蝋燭を外した銀の燭台を持っている。

 扉の外で監視に立つ二人も、既に警戒を強めているようだ。これ以上人が集まる前に強行突破をするかと、二人で扉の横に張り付いた時だった。

 トサッ、と小さな物音がした。コンコンと控えめな叩扉が続く。


「……」

「……」


 マクシムに目で合図して、アドラーティが扉に手をかける。開いた隙間に、マクシムがすかさず燭台の鋭利な先を突き刺した。

 ガッ、と硬質な音が上がる。だがそれは、目測の半分で止まっていた。


「ッ」

「マクシム!」


 二人同時に後ろに飛び退く。だが、扉は蹴破られたりはしなかった。ゆっくりと、ゆっくりと開く。

 そして現れたのは。


「……誰だ?」


 初めて見る男だった。

 四十歳半ばの、身綺麗な男だった。どこか疲れた顔で覇気がないながらも、その栗色の目は不気味にアドラーティを捉えている。敵意ではない。


(なんだ……憐み?)


 アドラーティが怪訝に眉根を寄せた時だった。


「殿下、お下がりください」


 マクシムが、両者の間に割り込んだ。緊張した様子で主を背に庇う。それは侍従武官としては当然の行動だ。だが、どこかおかしい。

 その疑念に先手を打つように、男が口を開いた。


「ご無沙汰しております。マクシム様」


 アドラーティからマクシムに視線をずらし、淡々と頭を下げる。燭台を構えたままのマクシムの反応は、ない。


「知り合いか」

「…………」


 アドラーティの問いにも、マクシムはその背中を固くするだけで返事はなかった。代わりのように、男が答える。


「えぇ。以前に、一度だけ」

「……殿下、お逃げください」


 男の答えを恐れるように、マクシムがアドラーティを一歩下がらせる。武器は全て取り上げられているが、相手も丸腰に見える。握り締めた燭台だけでは頼りないが、勝てない相手ではないはずだ。

 だが逃げるにしても、その前にどうしても確かめることがある。


「お前は、何者だ」


 フィデス家の間諜が入り込んだというのなら、この男がそうなのか、それともその隙をついて現れたのか。素直に名乗るとも思えないが、知っておく必要はある。

 だが意外にも、男は扉を後ろ手に閉めると、すんなりと口を開いた。


「申し遅れました。私は、オクトー・ライルードと申します」

八番目オクトー? 偽名か?」


 オクトーとは、古語で八番という意味のはずだ。とても人の名とは思えない。だがオクトーと名乗った男はこれには応えず、言葉を続けた。


「私は、さる方からの密命を受けてここに参りました」


 その思わせぶりな単語と言い回しに、アドラーティは嫌な予感が当たった気がした。

 アドラーティの命を狙う、偽名の男。そんなもの、思い当たるものは一つしかない。


「ハィニエル派か」


 声にしただけで、酷い疲労感に見舞われた。


「……どうせ、殿下の暗殺でも命じられたのだろう」


 マクシムが、歯軋りをして吐き捨てる。その様子を、オクトーは淡々と眺めてぽつりと零した。


「どうやら、マクシム様にはもう協力していただけないようですね」


 それが感情からというよりも、意図的な呟きであることは明らかだった。それでも、聞き捨てならぬ言葉があった。


「……『もう』?」

「以前にお会いした時に、少し、私のお願いを聞いて頂いたのです」


 アドラーティの呟きを、オクトーが積極的に引き取る。それだけで、「お願い」がどういったものか、嫌でも察せられた。


「……まさか」

「王証発見の報を、あんなにも早くフィデス侯爵側に知られたのはなぜか……。英邁な皇太子殿下であれば、既にお気付きのことと存じます」


 今更ながら、オクトーが恭しく頭を下げる。

 アドラーティは内心、一人得心した。


「……そういうことか」


 リォーが王証を発見したことは、レテ宮殿に帰ってきてすぐに聞いた話だ。これを知るのは侍従の二人だけだ。情報網の元締めである侍従長には、決して伝えないようにと念を押してある。

 ハィニエル派の襲撃については、カーランシェの誕生会を狙っていただろうと予想がつく。だがそこにネストル伯爵が現れたのは、明らかに早すぎる。

 裏切り者が密告したのだと言いたいのだろう。マクシムとメノンのどちらかが。


(なるほど、それであの顔か)


 アドラーティは、小さな嘆息とともに眼前の背中を見上げた。当のマクシムは反応しない。反論も言い訳もない。その顔は、きっと今にも怒り出しそうに眉間に皺を刻んでいるだろう。

 長い付き合いになれば、分かる。あれは、情けない自分に腹を立てているのだ。

 だがそれは、アドラーティ自身も同様だった。


(『俺こそ』とは、そういう意味か)


 マクシムの様子がおかしいことに、少しも気付かなかった。リハ・ネラ城に来ると決めてから、ずっと自分のことばかり考えていたから。


「よくもやってくれたな」

「……ッ」


 ふつふつと湧き上がる怒りを孕んだ声に、ついにマクシムがびくりと肩を揺らす。それでも、言い訳をするような男ではない。

 だからこそ、余計に腹が立った。マクシムの持つ燭台を横から奪う。


「ッ殿下――」

「俺の部下を脅すとは、覚悟はできているだろうな」

「…………」


 そのまま、オクトーの喉元に蠟燭立ての針芯を突き付けていた。押しのけられたマクシムが瞠目し、オクトーは不動でそれを見下ろす。

 手練れだろうとは、気付いていた。無手なのは、自信ゆえか。


「家族か、領民か?」

「……蒸留酒ウーゾには欠かせない水を、少々」


 アドラーティの端的な糾弾に、オクトーは初めて少しだけ目を伏せた。

 マクシムの生家はウィーヌム州西端のフォルミードで、その酒造りもクラスペダ山岳地帯を水源としている。脅迫するなら、その水源を止めるか汚すかと迫るのは妥当だろう。それは、一帯の領民の生活を握っているも同然だ。

 マクシムが逆らえるはずもない。


「目的はなんだ。俺の命か」


 今までは、過激派のハィニエル派でも守るべき国民だと自分に言い聞かせてきた。しかし今は、怒りを抑えられそうになかった。


「恒久の、平和を」


 淡々と、オクトーが答える。そこに今までのハィニエル派から感じる狂信的な熱意はなかったが、それでも怒りを鎮めることはできなかった。


「そのためには、青の王子が皇帝になることが不可欠か……!」


 どいつもこいつも、蒙昧で幼稚な信念を振りかざして、矛盾だらけの持論をさも唯一の正義のように語る。口では国のためと言いながら、やっていることは自分に都合の良い理想を我が儘に振りかざしているに過ぎない。その結果、アドラーティやその周りの大事な人を傷付ける。

 これもまた、アドラーティが皇太子でいる限りついて回る因習なのだ。


(腹が立つ……!)


 自分がいるために。自分が、青の王子でないために。


あの女(テオドラ)が、愚かな真似をしたために……!)


 今さら怒りが煮え立ち、瞬間的に激しい咳が込み上げる。喉に力を込めてぐっと堪えた途端、くらりと眩暈がした。そのせいで、遠く近付いてくる荒々しい足音にも気付けなかった。


「殿下の身の上、不憫なこと、お察し申し上げます」


 その音に重なるように、オクトーが答えにもならない言葉を返す。


「けれど……大事に思える家族と、少しでも同じ時間を過ごせたのなら、十分幸せなことだと思いますよ」

「? 何を、当たり前のことを……」


 無駄口を利いて時間を稼いでいるのかと、アドラーティが顔をしかめた時だった。


「御免」

「ッ」


 オクトーとマクシムが、同時に動いた。グサッと鈍い音が続く。

 そこに、扉を乱暴に開け放つ音と、新たな声が響いた。



「兄上!」



 フェルゼリォンの声だと、思考するよりも前に脳裏に浮かぶ。だがそれを何故とも早いとも考える余裕はなかった。

 アドラーティの前に飛び出したマクシムが、目の前でゆっくりと膝を折る。


「……ッ」


 何が起こったのかと問う前に、マクシムの声にならない苦悶が上がる。その目の前で、マクシムの巨躯に隠れていたオクトーの手元が露わになる。

 どこに隠していたのか、装飾のない短剣がその手に握られていた。刃先は、ぬらぬらと赤い。


「ッマクシム!」


 膝をつき、そのまま力なく倒れ始めた上半身を慌てて抱き止める。その拍子に、ついに堪えていた咳が血と共に飛び出した。マクシムと自分の血が、服の上で混ざり合う。

 そこに、遠く響いていた足音が聞き逃しようもないほど乱暴に近付き、すぐそこで止まった。


「なに、が……?」


 扉の向こうに現れたフェルゼリォンが、愕然と呟く。

 それに応えるように、ぽたり、と赤い絨毯になお赤黒い染みが落ちる鈍い音が重なった。


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